- 【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
7 :名無しのひみつ[]:2012/09/06(木) 18:21:40.71 ID:AOSjEsQ8 - 彌彦神社(いやひこじんじゃ)の主祭神は天香山命ではなく、大彦命ではないかとの説がある。
いやひこ神社の「い」は元来「伊」であり(伊彌彦神社)、それは「大」を意味するという。 つまり大彌彦神社だということだ。 まあそれゆえ大屋彦(イタケル五十猛イタキソ、または家宅六神の別神)説もあるわけだが・・・。 彌彦神社の社家はずっと高橋氏であり、これは安倍氏同様に大彦命の子孫であるのも大彦命主祭神説の傍証となっている。 だがこの神社の高橋氏は別系統で尾張氏であるという説さえある。 越後一宮彌彦神社は謎につつまれている。
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26 :名無しのひみつ[]:2012/09/06(木) 20:03:18.86 ID:AOSjEsQ8 - 白山神社は堀氏が国替えで入ってからいきなり白山比売命を祀るようになった。
それ以前はスサノオを祀る出雲系の社であった。 大国主の沼河比売伝説、建御名方伝説、出雲崎の地名や弥彦のイタキソ伝説で知られるとおり、大和朝廷以前の新潟は出雲勢力が支配していたといえよう。 新羅は元々倭人の国であり、日本人が興した国であるが、出雲勢力との関係は強いものがあった、と見て良いだろう(両者の共通項がスサノオであり四隅突出型墳丘墓でもある)。 歴史のロマンを考えるのに史料・考古資料・それに準じた学説を元にするのは当たり前の話なのだが、ラノベや宗教がらみのトンデモ本を引用してくるのだけは勘弁してもらいたい。 オカルト版ででもやって欲しい。
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34 :名無しのひみつ[]:2012/09/06(木) 20:39:20.55 ID:AOSjEsQ8 - 中臣鎌足はその死の床で、たいして天智天皇の役に立てなかったことを悔いていたという。
そのとおり、乙巳の変でもほとんど見ていただけ、元々朝廷の神祇官の家系なので武官としても天智天皇の治世にも役立てなかった。 後付けで実在もしない官位やらなんやら受けたなどと飾りたてられたが、実際のところは上記が本当のところだろう。 帝からは死後に「藤原姓」を賜った程度だろう。 そして天智天皇のご落胤説もある藤原不比等も忘れられた存在だった、と言えるだろう。 もちろん兄帝を恨んでいた? 天武天皇の御代は大人しく隠れているしかなかったかも知れない。 そんな彼を拾い助け後の藤氏の権勢の礎を作ったのが、天武天皇の大后ながら父帝天智天皇の政治を、側近を、呼び戻した持統天皇であった。 藤原不比等が政治の中央に踊り出たのは単なる偶然だったのである。 そんな歴史の常識すら知らない輩がトンデモ本を語るのは見苦しいことこのうえない。
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38 :名無しのひみつ[]:2012/09/06(木) 21:50:41.61 ID:AOSjEsQ8 - 埼玉の稲荷山古墳から大彦命銘が彫られた鉄剣が出土した。
大彦命は第八代孝元天皇の皇子であり、これまで「欠史八代」などと貶められていた皇統が実在する可能性が高まったのだ。 北陸道将軍大彦命は越後の姫を娶り建沼河別命(後の東海道将軍、父将軍と合流した地が「会津」という逸話あり)を設けた。 そうした話を聞くと、大国主が翡翠を求めて越入りして妻に求めた沼河比売の神話やその息子の建御名方の諏訪入り神話も単なる作り話と思えなくなってくる勢いだ。 そしてこの建沼河別命を祖とするのが、東征で有名な阿倍比羅夫や陰陽師の安倍晴明の安倍氏と越後国造高橋氏である。 だが、彌彦神社の社家高橋氏の本当の出自は越後国造家ではなく(尾張氏説もある)、物部支族の高橋氏(料理の祖<部>をうたっている)ではないかと疑っている。
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46 :名無しのひみつ[]:2012/09/06(木) 22:58:56.07 ID:AOSjEsQ8 - >>45
朝鮮人(穢族)はまだ満州で漢族と戦ってる頃 朝鮮穢族のご先祖の粛慎(みしはせ、ジュシン)は東北まで? にも入り込んできた。
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50 :名無しのひみつ[]:2012/09/06(木) 23:30:52.72 ID:AOSjEsQ8 - >>48
新潟平野は山の瀬、川の瀬は昔からのひら地だけど、その他は泥沼のような湿地帯ばかり(それゆえの沼河比売、建沼河別命の名前)・・・。 その上そのひら地も堆積層が増えてくから遺跡発掘・保存状況は厳しいものがある。 丘陵地帯の方が良く見つかっているね。
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