- 【考古】中国の仙人洞洞窟遺跡から料理に使用されていた約20,000年前の陶器破片が出土
15 :名無しのひみつ[]:2012/07/13(金) 15:01:54.85 ID:FmRfCXXo - これは中国人には関係ない話かもしれない。
長江文明は1万6千年前に徐々に温暖化して沈み始めたスンダランドから移り住んだ江南民族(Y染色体でいうとY-O2系)。 漢族は8千年前に、温暖化の洪水で壊滅していた華北に入りこんだ民族(Y-O3系)。 仙人洞洞窟遺跡が長江系列の文明の先駆者だった可能性もゼロではないが、日本とチベットで分断されてしまったY-D系民族の可能性も高い。 3万年前〜2万年前に東南アジアから北上してきたY-D系民族はなぜか華北にだけは存在しない。 Y-D1系が東南アジアと江南、朝鮮半島にほんのわずかに残る程度。 Y-D2系縄文人がアイヌ・大和・琉球で未だに最優勢で残っている。 そしてチベットではY-D3系とY-D1系が多く残っている。 華北は1万1千年前前後に氷河期最後の冷え込みから逆転、急激な温暖化(10年で8℃も平均気温が上がった、単純計算だと最近騒いでる温暖化の百倍の規模)で氷床崩壊の洪水により壊滅していたかもしれない。 そのくらい当時、華北と朝鮮半島ではいきなり人類痕跡が消えてなくなっている。 この災害で中国のY-D1系はその数を激減させ、その後に北上してきたY-O系にとって代わられたのだろう。 この遺跡の主はチベット・縄文系の可能性も高いと言える。
| - 【考古】世界最古となる約2万年前の土器片を、中国・江西省の洞窟遺跡で発見
28 :名無しのひみつ[]:2012/07/13(金) 20:10:46.56 ID:FmRfCXXo - モンゴロイド、新モンゴロイド、古モンゴロイド、モンゴル系民族、モンゴル系言語という旧世紀の概念が未だに使われているのは日本だけです。
世界ではとうに忘れ去られています。 日本は最終氷期の間ずっと大陸とは北海道だけがつながっていた状況でした。 今とは海流も違うのでしょうが、黒潮同様の暖流のおかげでとても住みやすい森林の国だったのです。 対して黄海は低草ステップの平原で、永久凍土は今の北京あたりまで来ていたそうです。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-16.html 縄文遺伝子は琉球・大和・日本だけにしか現存せず、これまでは日本が最古の土器発見地だったので、 縄文土器のルーツは分かりませんが……。 縄文・チベット系とくくると現在遺伝子が残され追跡できるのはインド・アンダマン諸島です。 そこから海路スンダランドへ東進、東南アジアに分派、江南、台湾(最古のブヌン族にY-D系が残されている)、琉球、日本と渡ってきたのが日本人のご先祖です。 今回の江南の土器はこのY-D系のものかもしれず、縄文土器のルーツの可能性も高いです。 江南からチベット・華北に広がったY-D1系と沿海州まわりで樺太から北海道に渡ったY-D2系があったのでは、と想定されています。 実は琉球・西日本とアイヌ・東日本だとY-D2遺伝子も若干違うグループが多かったりするのです。 アイヌ言語は後に流入したシベリア・ツングースの影響が強いのですが、「日本・琉球語族」とだいぶかけ離れているのは、北方周り縄文人と南方周り縄文人の差があったのではないか、と考えられています。
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29 :名無しのひみつ[]:2012/07/13(金) 21:02:20.18 ID:FmRfCXXo - 東アジア・日本最古の到達現生人類は遺伝染色体グループでいうとY-C系だったかもしれません。
台湾原住民ブヌン族からC系の祖型が検出されています。そしてY-C1とY-C3aが日本だけで検出されます。 日本に4万年前クラスの南方石器文化が残されているので、Y-C系はインドからスンダランド、台湾、日本と渡ってきたのでしょう。 その後Y-C3系は、亜間氷期の温暖化で日本から北上、内陸に向かいバイカル湖マリタ村までマンモスを追っていったのかもしれません。 マリタ村は定住型の大狩猟基地として大いに栄えたのですが、そこに最終氷期最寒冷期(2万年前)が襲います。東に逃げたものはなんとベーリング海峡を渡りY-C3bのイヌイット・インディアンとなりました。 南に逃げた部族の末裔がY-C3cの東胡ツングース系なのかもしれません。 日本にもう一度逃げ帰ってきたのが今ではほとんど残されていないY-C3aなのでしょうか。 マリタ村の細石刃文化はこれらの民族の非難ルートで発掘されています。 http://www.kerchner.com/images/dna/ydna_migrationmap_%28FTDNA2006%29.jpg このファミリーツリーのY-C3系ハブログループ移動シナリオが長らく府に落ちなかったのですが、 石器文化の移動、移り変わりと寒暖の推移を重ね合わせると真実に近づけるようにも思えます。 Y-C3グループは日本又は日本近辺を通り過ぎてシベリアに渡り、寒冷化で再び帰ってきたと考えると下記の日本の石器ルーツが理解できると思います。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/2/2-12.html 縄文人Y-D2系の到来(3〜2万年前)は、Y-C1・Y-C3の後だったのでしょう。 日本の石器文化のルーツは南方(アンダマン・スンダランド)、細石刃はシベリア、土器も南方(アンダマン・スンダランド・今回の江南?)と見るのが妥当でしょう。
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32 :名無しのひみつ[]:2012/07/13(金) 21:29:06.58 ID:FmRfCXXo - 1万6千年前から一万年以上も栄えた長江文明系は江南民族。
彼らは、いわゆる華北漢族とは遺伝子も言語も大きく異なります。 彼らが中華民族に組み込まれたのは2千2百年前の始皇帝の中国統一後になります。 今回の土器が江南系だとしたらその歴史は大きく遡ることになるのかもしれません。 ですが、その土器文明がチベット・縄文系による可能性も多いにあります。 どちらにせよ、いわゆる漢族の文明ではありません。 いわゆる漢族の中心である華北の黄河文明は8千年前から始まります。 それ以前の華北は数千年無人に近い状況にありました。 多分、氷河期末期の想像を絶する温暖化の洪水で壊滅状態にあったのでしょう(朝鮮半島も5千年前より前はほとんど無人状態でした。江南まで下ると被害は少なかったようです。海で隔てられた日本も無事)。 春秋・戦国期、周、殷の頃は統一王朝ではなく小規模な都市文明だと考えられています。 そして夏の実在がほとんど証明されそうなので民族王朝としての中国は4千年と言ってもいいでしょう(中国2万年にも、中国1万6千年にもなりません)。 まあ、無理して縄文土器文化を文明と捉えるとしたなら、日本だって1万5千年の文明社会と言えないこともない。
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34 :名無しのひみつ[]:2012/07/13(金) 22:25:52.25 ID:FmRfCXXo - >>33
WIKI他の抜粋です。 WIKIには参考文献載っていたと思います。 <最終氷期(ヴュルム氷期)とは?> 歴年代測定 約73,000年前〜 インドネシア・トバ湖火山大噴火の日傘効果で氷河期突入 (平均気温が急激に12℃位下がったとも、6万年間平均でも8℃以上低かった) 約23,000年前 シベリア・バイカル湖のマリタ遺跡マンモスハンターの定住村 約20,000〜18,000年前 ヴュルム氷期最寒冷期 (海水面−120m、永久凍土が北京まで、平均気温15℃以上低かった) 放射性炭素年代測定 約15,000〜12,500年前 オールデストドリアス亜氷期、寒冷 約12,500〜12,000年前 ベーリング亜間氷期、冷涼ーやや温暖 約12,000〜11,800年前 オールダードリアス亜氷期、寒冷 約11,800〜10,800年前 アレレード亜間氷期、温暖 (温暖化傾向、海水面は平均−10m) 約10,800〜10,300年前ヤンガードリアス亜氷期、寒冷 (ヴュルム氷期の終末、寒の戻り、グリーンランド山地は今より15℃低い、英国平均気温が−5℃でやはり今より15℃低い、末期には10年で8℃平均気温が上昇し気象大変動、局所的には一気に海水面100m上昇) 氷期終了?(15,000年前終了説も、現在まで継続説すらある) 約10,300〜9,700年前 プレボレアル亜間氷期、冷涼 約9,700〜7,500年前 ボレアル亜氷期、比較的温暖乾燥 約7,500〜5,000年前 アトランティック亜間氷期、温暖湿潤 (約6,500年前その前後縄文海進、平均気温今より+2℃、海水面+3〜5m前後) 約5,000〜2,500年前 サブボレアル亜氷期、比較的温暖乾燥 約2,500年前〜現在 サブアトランティック亜間氷期、冷涼ー温暖湿潤 *名称は欧州の花粉層序測定によるもので、気候もあくまで欧州のもの *ヤンガードリアス亜氷期は、年輪年代や珊瑚年代を使った暦年代では約12,900〜11,500年前、放射性炭素年代では上表の他に約11,000〜10,000年前説もある。 *下部の欧州花粉層序は放射性炭素年代測定だが、暦年代測定の方が精度が高いと言われている。
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