- 【10年前の】しゅごキャラ!【恥ずかしい〜】
202 :CC名無したん[sage]:2012/12/17(月) 23:36:50.29 ID:Tw/1NmT30 - 富田祐弘
脚本 ■日常生活の中での文化 僕としては今回の劇場版のテーマによって、”日常生活の中で文化ってどういう ことなんだろう”ってことをもう一回、自分自身としても見直すつもりで、そのあたり を書いてみたいなと。まあこれはこちらの勝手な思いだけども、文化というのは 男と女というのが日常生活にいるからできるんじゃないかと、そのへんの気分というのを 今回意識的にしてみようかと考えていったわけです。 戦争が起きるとかならず、いろいろな発明品がどんどん出てくるというように、 男と女が恋をしていったりすれば、文化といういうものもどんどん変わってくるし、 おもしろくなっていくんじゃないかと考えて、そのあたりをちょっと掘り起こして みたいというね……。まあ、どの程度掘り起こせたかは別として。 それを言わせる担い手を、ロイ・フォッカーにして、輝と未沙はそれに気がついて いくという形にしておいて、ミンメイのほうは、理屈では気がついていないけれども、 感性として初めから無意識のうちにもっている女の子として仕組んでみたんです。 ■キャリアガール=ミンメイ テレビシリーズのときには、ミンメイは明るくて、アメリカなんかでいうキャリア ガール的な気分というのをもっていたんだけど、まだ日本ではそういった考えというのは 定着していなくて、そのへんでどちらかといえば古いタイプである未沙のほうに 視聴者たちが感情移入しがちでしたね。本来ミンメイを主人公として物語をセッティング していたんだけれども、人気の面では未沙のほうにかたむいてしまいましたね。
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203 :CC名無したん[sage]:2012/12/17(月) 23:37:20.92 ID:Tw/1NmT30 - ■輝と未沙
輝というのは、テレビシリーズのときは優柔不断で決断力がないということと、 情況の中で自分を決めることができずに流されてしまう。まあ、これは僕が若い ころなんかにも経験としてあったし、今の若い視聴者は輝に同化しやすかった でしょうね。ただ、優しさと優柔不断というのは違うものであって、優しさというのは 決断した中から出てくるのだけど、優柔不断というのは決断できずにフラフラしている ことをいうわけです。ですから、映画では輝は少し脱皮したところで、決断できる人物 にしていかなくてはということを河森氏や岩田氏なんかと話して決めていきましたね。 もっとも、今までの一連のアニメ作品だとかを見ても、三角関係といえばたいてい 女の子1人を男が二人でとりあうというパターンで、男は積極的にガンガンきて、 その二人の男にまよう女の子が主人公というのが多かったでしょう。その構図が逆転 しているわけだから、どうしても輝はその中で悩まざるを得ない、すぐ判断できない という気分はあるでしょうね。映画では、やっぱりミンメイが大きく育つために あえてふったというね(笑い)。なぜ輝はミンメイが好きなのに未沙と一緒になったか、 という部分の輝の心情というのは映画では明確に出たと思います。 未沙のほうは、わかりやすいというか、ミンメイと違って日本で日常的に過ごして きた人なら同化しやすいんじゃないですか。本当はミンメイも未沙も、自分には素直 なんだけど、表現の仕方がミンメイは外に、未沙は内へと全然違ってしまっているんです。 ■男と女の戦い 男と女が戦っているという構図は、昔からやりたかったんです。これはべつに ロボットものじゃなくてもよかったわけですけど、男と女に分かれてケンカしていて、 その中にお互いに好きあっているのがいるけど一緒になれない。そこでなんとか 男と女の世界を仲良くさせようするという、ロミオとジュリエットじゃないけど、 そういう構図をもった世界の話は昔からやりたいと考えていました。 今回それが見事にメルトランディとゼントラーディ、その中で未沙と輝という構図が できて、そういった意味でやりたかったものができましたね。
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204 :CC名無したん[sage]:2012/12/17(月) 23:37:51.91 ID:Tw/1NmT30 - ■生の台詞
僕はよく”生の台詞書くなよ”って昔から言われるタイプだったんですよ。 よく冗談で”日常生活でそういう言葉って言えないから、せめて虚構の世界の中で 使いたい”と言うと”そういうこと言うからしらじらしい台詞が出てきちゃうんだよ” なんて言われたりもしました。最近はずいぶん抑えているほうなんだけど、 芝居をやっていたせいもあって、生の台詞を書いちゃうほうみたいですね。 今回の劇場版のシナリオでは台詞よりも映像を重視した面というのはありますね。 僕も台詞で粋なものを書くのみ楽しみだけど、ト書きだけで全部書いていって、 それで心情がわかるような映画というのを作ってみたいなと。バランス問題だとは 思うんだけど、変に言葉で語らないときのほうがわかるというね。本来言葉というのは、 人の叫びでしかなかったのが、お互いに意思を伝えるために発達してきたわけだけど、 逆にそのためにお互いの意思の疎通がなくなってきてるんじゃないかな。 今、全体的に日常生活の中でも、言葉をいっぱい使うようになってきたから、 アニメでも早口な作品が多いでしょ。その中で、ほんとに寡黙な作品が出てくれば、 またひと味違ったおもしろさが出ると思うんだけどね。
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