- 友枝町コピペ図書館9号館
826 :CC名無したん[sage]:2012/06/13(水) 21:22:43.21 ID:QQbBQA4oP - 【南京大虐殺は真実ではないと思う理由】 鈴木史朗(フリーアナウンサー)
TBSのバラエティ番組『からくりテレビ』の名物コーナーで、私が司会を務めていた「ご長寿早押しクイズ」 今から十一、二年前、南京戦に参加されていたという会津若松の方にお会いしたことがありました。 撮影の合間に私が「あそこは大変なことがあったから、もう南京には行けませんね」と声をかけると、 その方が「いや、私は死ぬまでにもう一度南京へ行きたいんであります」とおっしゃった。 私は驚いて、「どうしてですか」と聞いたところ、こんな話をして下さいました。 「衛生兵として南京で日本兵を助けたが、怪我をした中国の敗残兵も助けた。 軍のトラックで送ってやったら中国人の家族が非常に感謝して、家宝の掛け軸をくれたんです。 さらに『戦争が終わったら、ぜひもう一度南京へ来てほしい。歓待したい。一日千秋の思いで待っている』 とまで言われたんです。だから、私は死ぬまでにもう一度南京に行きたい」 このことでハッと思い出したのは、私自身が幼いころ、南京戦直後に中国にわたり、天津で過ごした日々のことでした。 それは、「大虐殺」があったなどとは到底考えられないほど、大変のどかな日々だったのです。 この方にはその後、もう一度お会いする機会があり「南京大虐殺」の証拠写真とされている、 松葉杖をついた片足の中国兵と、笑顔の日本兵が並んで移っている写真を持って行ったんです。 キャプションには、「残虐な日本兵によって、逃げられないように片足を斬り落とされた中国兵」と書かれていました。 ところが、その方がとても喜んだんです。 「この兵隊のことは良く覚えていますよ。アルマイトがなかったので、ヤカンをつぶして義足を作ってやったんです。 いやー、よかった。この写真、いただいてもいいですか」 他にも、実際に参戦された方々からさまざまなお話しをいただきました。 「たしかに、南京戦で相手の兵士を殺した。だが、それはあくまでも中国の兵士であって、日本兵も戦死しています」 「トーチカから撃ってくる兵士を仕留めて近づくと、機関銃手はまだあどけない顔の若者で、鎖でつながれていた。 武士の情で彼らの墓を作ってやりました」 以下省略) http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1115.html
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