- 昭和特撮作品で昭和文化を語るスレ
721 :どこの誰かは知らないけれど[sage]:2011/06/19(日) 10:14:00.21 ID:lHzoKLvQ - >>521
三年近くの前の書き込みに遅レスですが、 >女性誌のだしの取り方、手づくり洋服の特集あたりに何というか結婚意識の高さを感じた 「鉄腕アトム」とか小松左京とか、昭和時代の小説や漫画を読んでいると、出てくるのが「吊るしの安物」って言葉 意味を親に聞いたら、昔は、服ってだいたい家で作るもので、よそ行きの服は仕立屋さんに頼む 花嫁修行って、そういうことを身につけることで、既製服を買う人は、その程度の躾を受けることができなかった階層の女性のやることで、 普通の家庭がやることではなかった 大体、既製服が、デザイナーズブランドとして、市民権を得たのは、1970年代後半から チョーヤといえば梅酒の会社だが、ここが梅酒を発売したのは、昭和三十年代で、 そのとき、社内では、梅酒は家で作るものだと反対が多かった。昭和30年代まで、梅酒というモノはあっても、梅酒という商品はなかった (モノは商品となるとき、一題飛躍を遂げるのである・・・byマルクス) まあ、「手前味噌」というぐらいで、味噌だって自分の家で作っていたんだけど
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722 :どこの誰かは知らないけれど[sage]:2011/06/19(日) 10:23:59.64 ID:lHzoKLvQ - ついでに・・・
福本清三先生の自伝を読んでいたら、 昔は、田舎の人が、京都駅に行くにもよそ行きを着ていたとか まあ、ハレの日とケの日がはっきりと別れていたんだろうね 昭和17年生まれで、団塊のちょっと前生まれの俺の親は、80年代後半にはじめての海外旅行をしたが、 そのとき、いい服を着ていくと、外国で狙われるから、普段着を着て行けと言われて、感無量だったそうだ 「憧れのハワイ航路」なんて歌があった時代だったからなw
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723 :どこの誰かは知らないけれど[sage]:2011/06/19(日) 10:26:26.34 ID:lHzoKLvQ - 時代の人間だったからね に訂正
いくらなんでも、平成直前の昭和にそれはないw
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- 昭和特撮作品で昭和文化を語るスレ
724 :どこの誰かは知らないけれど[sage]:2011/06/19(日) 10:28:31.33 ID:lHzoKLvQ - 一大飛躍だ・・・何してんだよ スレチの上に・・・
落ちます・・・ごめん
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- 【平山】東映プロデューサー総合スレッド【吉川】
209 :どこの誰かは知らないけれど[sage]:2011/06/19(日) 17:08:46.82 ID:lHzoKLvQ - >>208
そんな話は腐るほどあるよ 年配の俳優さんがトークで言っていたが、映画会社のニューフェイスを受けたとき、その会社の偉いさんが、最終審査発表のとき、 「僕はあの石原裕次郎を落としてしまったから、ここで僕に落とされたからって、落胆しないように」 って言ってたってな・・・まあ、日活でないことは確かだ 「大地の子」の上川隆也も「無名塾」の試験に落とされたそうだし、 「アンネの日記」なんて、出版社に持っていったとき、編集者から 「この少女は、自分を客観視する能力にかけているように思われます」って言われたそうだし 俵万智だって、本当は角川から出す予定だったのが、その時の偉いさんから却下されたそうだし (後で、その時の編集者の責任にんされたという噂w)
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- 【平山】東映プロデューサー総合スレッド【吉川】
210 :どこの誰かは知らないけれど[sage]:2011/06/19(日) 17:16:37.52 ID:lHzoKLvQ - 責任にん→責任に
それから、少女漫画家の山岸涼子も、出版社に原稿を持ち込んだとき、 「このレベルだったら、漫画はご趣味になさった方だったら・・・」といわれたとか 高橋克彦が新人賞を取ったとき、編集者から30すぎるまで何も書くな、勉強してろって指導され、 その通りにして、直木賞ととったとき、その編集者に出会い、その指導のお礼を言ったら、 「僕は見込みがないと判断した人間にそういうことにしていたんだ・・・ 30すぎたら諦めるだろうと思って」 この手の話は、探したらもっとあるよ
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