トップページ > 河川・ダム等 > 2020年07月25日 > NpfOg+4S0

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川の名無しのように
球磨川 市房ダム・旧荒瀬ダム 【熊本県】

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球磨川 市房ダム・旧荒瀬ダム 【熊本県】
697 :川の名無しのように[sage]:2020/07/25(土) 22:14:10.02 ID:NpfOg+4S0
>>696
琵琶湖の稚魚だよ
球磨川 市房ダム・旧荒瀬ダム 【熊本県】
699 :川の名無しのように[sage]:2020/07/25(土) 22:22:04.70 ID:NpfOg+4S0
wiki見れ

当時は長良川河口堰(長良川)に対する賛否が全国的に渦巻き、第2次橋本内閣の建設大臣であった亀井静香が徳島県の細川内ダム計画(那賀川)を凍結してダム行政の一大転換を図ったことから全国的に未だ建設途上にあるダム事業への風当たりが強まっていた。またこうした運動に対して日本共産党[注釈 11]や、いわゆる進歩的文化人、朝日新聞などの一部マスコミが積極的に関与し、あるいは連携して運動を拡大させていった。また、民主党もマニフェストにおいて「川辺川ダム計画中止」を公約に掲げるなど、川辺川ダムに否定的な見解を取っていた[7][8]。

川辺川ダムも当初350億円の予算だった事業費が事業の長期化に伴い1984年に1130億円、1998年(平成10年)には約2200億円にまで跳ね上がった[注釈 12] ことから格好の標的となり、天野礼子やまさのあつこなど著名なダム反対活動家が川辺川ダムを「壮大な税金の無駄遣い」として反対運動を全国的に広めていった。彼らダム反対派は川辺川ダムの目的について逐一検証し、「川辺川ダムは無用の長物」として建設中止を強固に求めた。
球磨川 市房ダム・旧荒瀬ダム 【熊本県】
700 :川の名無しのように[sage]:2020/07/25(土) 22:22:41.43 ID:NpfOg+4S0
さらに地元の住民の中には昭和40年7月梅雨前線豪雨の被害を市房ダムの放流が原因であるとする住民も多く、かつ清流で名高い川辺川の環境を破壊するとして「清流川辺川を守る県民の会」など複数の市民団体が誕生。県内外の反対派と連携して反対活動を広げた。これら一連の活動は書籍やマスコミなどを通じて全国に知れ渡り、川辺川ダム問題を広く世に問う役割を果たした。このような経緯から、当初猛烈な反対運動が展開された五木、相良両村の水没予定地域が補償交渉に軟化姿勢を示し始めた後に、ダムの受益地とも言える下流域、及び流域外において本格的な反対運動が始まるという皮肉な結果となった。


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