- 人権板雑談6
786 :日本初のカジノは横浜に・・・@ (ワッチョイ b9af-Q5K5)[Gotenyama]:2016/12/15(木) 08:11:12.43 ID:VoOisRBD0 - 菅官房長官、「カジノ法案」で暗躍 成立を急ぐワケは 週刊新潮 2016年12月15日号 掲載
シェイクスピアの「お気に召すまま」には「この世は舞台、男も女もみな役者に過ぎない」という一節がある。 劇場のごとく、日々の人間模様が繰り広げられる永田町でこの度、主役に躍り出たのは菅義偉官房長官(68)。6 日に衆院を通過したIR推進法案、いわゆるカジノ法案の成立に向け、暗躍していたのだ。政治部記者が言う。 「法案は3年近くたな晒しの状態でした。公明党、特に山口那津男代表が委員会での審議入りに反対だったから です。公明党の国対も11月25日の段階で “上がダメだと言っている”と審議入りに待ったをかけました」 「菅さんは周囲に“公明党は俺がやる”と言って、調整に乗り出しました。11月最後の週末、創価学会の政治 担当である佐藤浩副会長に連絡し、“IR法案を審議入りさせます”と仁義を切ったのです」 「28日に幹事長らの与党協議に顔を出し、“お願いします”と頭を下げました。カジノ法案は議員立法で、政 府法案ではない。官房長官が出てくるのは極めて異例のことです。同日、安倍総理も会談で公明党の山口代表に 要請。代表は不満そうに“うちは反対なのに”と漏らしていました」 「一つは菅さんの地元・横浜にカジノを誘致したいから。もう一つは日本維新の会から強い要請があったのです。 維新は2025年の大阪万博との抱き合わせでカジノのオープンを考えている。タイムスケジュールとして、今国 会で成立しなければ、間に合わないのです」
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787 :日本初のカジノは横浜に・・・A (ワッチョイ b9af-Q5K5)[Gotenyama]:2016/12/15(木) 08:32:34.06 ID:VoOisRBD0 - 菅義偉・横浜市会議員選挙でお世話になったのは相模鉄道と藤木企業
藤木企業とは 創業者の藤木幸太郎は神戸・田岡サンの兄弟分 週刊新潮によると、菅氏のお膝元の横浜市にカジノが誘致されるやもしれないというので、横浜市が検討委員会 をつくって熱心だが、その委員に藤木企業の藤木幸太社長が入っているというのだ。カジノが誘致されれば雇用 1万人ともいわれ、街が潤うことになると、企業や電鉄会社が蠢き始めているというのだから、総理を目指す菅 氏の周りにもきな臭い匂いがしてきたのかもしれない。
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788 :日本初のカジノは横浜に・・・B (ワッチョイ b9af-Q5K5)[Gotenyama]:2016/12/15(木) 08:34:13.75 ID:VoOisRBD0 - 藤木 幸太郎
藤木幸太郎は沖仲士から身を起こし、やがて横浜港の港湾荷役の中心者となり叙勲を受けるまでになった人物。 稲川会埋地一家の初代組長。長男は横浜エフエム放送株式会社 代表取締役社長の藤木幸夫。 綱島一家の鶴岡政次郎、笹田一家の笹田昭一、堀井一家三代目の加藤伝太郎と並び横浜四天王と呼ばれた。 埋地一家は埋地ノ仙太こと渡辺仙太郎が明治に結成した。横浜外国人居留地が埋立地であったことに由来してい る。当時の外国人居留地は治外法権で、日本の警察が手が出せなかった。このため安全な居留地の賭場は大賑わ いだったようだ。明治の侠客「埋地の仙太」こと渡辺仙太郎が他界すると埋地の名称は一旦途絶えた。その後、 名跡が途絶えるが、昭和に入り横浜港を牛耳っていた親分「藤木幸太郎」が「埋地一家」を復活させ初代を名乗 った。 二代目を「海岸」こと外峯勇が継ぐ。外峯勇は稲川会の前身錦政会に加入。二代目の死後、再び名跡が 消え四十数年にわたり途絶えたままとなっていたが、2008年、埋地一家の貸元衆の一人山田時造の流れを汲む 杉浦一家組織委員長・貞方組々長が平成二十年三月に三代目を継承し、名称を復活させた。稲川会直参・貞方留 義が三代目を継承した。今現在組員50人。
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