- 部落の人の名前★14©2ch.net
298 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0699-8I6M [219.25.223.141])[sage]:2016/12/15(木) 10:05:08.35 ID:/YW4ioBQ0 - >>297
初めて聞きました。根拠はありますか? 差別と吉原 http://yosiwarasaiken.net/moyou/sabetu.html > 当時、吉原者と同じように身分差別をうけた人々の中には、その身分から抜け出せる可能性のある人と、 >子孫までがずっと同じ身分差別を受けなくてはならない人々がいました。 >そんな人々は、娘が生まれた時、吉原の女衒に娘を託したのです。 >いくたりもの女衒を通し、その出自を不明にして買われた娘は、遊女にこそなりますが、 >運良く吉原を出ることができれば、差別身分から抜け出し、町人となることができたのでございます。
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301 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0699-8I6M [219.25.223.141])[sage]:2016/12/15(木) 10:49:04.13 ID:/YW4ioBQ0 - >>240、>>249 遅くなりました。
(共通認識) 青屋も紺屋も藍染関連の職人。、 青屋は河原に住み差別される。 紺屋は町に住み差別されない。 「諸色留帳」の享保六(1721)年の項には、天部村、六条村、川崎村の3カ村の年寄から 「町中に紺屋がたくさんあって藍壺をつかって藍染めをしている。ですから青屋並みの役をするように」(下坂2014より) との訴訟があった。 (下坂説) 下坂(2014) 「描かれた河原者のくらし 〜I絵画史料に見る四条河原の風景〜」 > 染め方の違いについては、史料22からわかります。「葉藍」は藍染職が用い、「藍玉」は紺屋職が用いるとありま >す。「葉藍」で染める藍染めの職と、発酵した「藍玉」で染める紺屋があきらかにちがう職種であったことがわかり >ます。青屋はあくまでも発酵させない葉藍で染めていたのです。 (現代の紺屋さんのブログ) http://kon-yu.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-34e4.html > 「すくも」とは、藍草の葉に水を打って寝かせ、100日の間に十七回程切り返し、堆肥のように醗酵させたものを言います。これを杵でうち固め、 >立方体の形に切ったものが、いわゆる藍玉と言われるもので、藍染めの原料です。 > では現在、何を持って善し悪しを判断できるかといえば、匂いです。 > 出来上がった「すくも」は、醗酵が完熟したものでなければなりません。 > 完熟したものには、アンモニア臭は含まれなず、土のような良い香りがいたします。 > フライパンで乾煎りすると良くわかる。これは、堆肥も同じです。完熟したものは、アンモニア臭が出ません。 紺屋さんのお話から考えると、 青屋 葉青(藍草の葉)から藍玉を作り、染める。作業工程でアンモニア臭がするから、町中での作業はNG。 紺屋 藍玉を買ってきて(例えば徳島など)、染める。作業工程でアンモニア臭はしないから、町中で作業してもOK。 このように理解しました。
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302 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0699-8I6M [219.25.223.141])[sage]:2016/12/15(木) 11:06:34.44 ID:/YW4ioBQ0 - >>297
「遊女」になれなかったのではなく、吉原のような幕府公認遊郭で雇うことはできなかったのですかね。 「傾城」にお殿様が入れ込んで、見受けしたら被差別階級出身だった。二人の間にできた子供が殿様になった。となれば、幕府が困りそうですね。 日本のことですから、いろんな抜け道はあったのでしょうが。 >>299 ありがとうございます。読んでみます。 >>300 「遊女」という概念は、広いですね。私の感覚では、夜鷹まで遊女に入れています。 飯盛り女や、湯女は、宿屋や湯屋の被雇用者ですよね。被差別階級の人を雇うのはNGでは?
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303 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0699-8I6M [219.25.223.141])[sage]:2016/12/15(木) 11:26:32.68 ID:/YW4ioBQ0 - >>302
江戸時代の京都や江戸では、町の番人(木戸の管理人)は、非人の仕事。 奴刑 江戸時代は、心中の生き残りは非人にされるのが量刑相場。 非人の親分(弾左衛門?、車善七?)が、それを女衒に売って、娼婦になることも多かったと書いているブログもある。 http://jiyodan.exblog.jp/13883902/ 閏刑(じゅんけい)としての奴刑(しゃつけい)・(一) 江戸時代の身分制度って、固定的なものではなかったんですね。
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306 :名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイWW 0699-vO17 [219.25.223.141])[sage]:2016/12/15(木) 12:25:32.91 ID:/YW4ioBQ0 - >>305
非人は、縁者が非人頭にカネを払えば素人(平民)に戻れるというルールもあったそうです。 「尤も素人より一旦非人に相成候ものは十ケ年相立不申(あいたちもうさず)候内は其非人の縁者より引上申度き(もうしたき)段、 非人小屋へ申し来たり其の趣(おもむき)非人頭共より私方へ申出候はば證文を取、素人に致し候様申し付け候」 荒井「江戸時代における賤民支配の一考察―身分法上の穢多の地位―」1957,東洋法学. 弾左衛門文書の安永六年(一七七七)五月八日の条
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