トップページ > 人権問題 > 2015年03月22日 > obtZXaIf0

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名無しさん@お腹いっぱい。
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93 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/03/22(日) 22:22:34.60 ID:obtZXaIf0
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/2886039.html

ミツオウ 光応 福岡県北九州市小倉南区。事物。福岡県北九州市小倉南区北方にある浄土真宗の永万寺の僧侶による明治新姓。山号の光応山から。
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94 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/03/22(日) 22:26:56.73 ID:obtZXaIf0
http://ameblo.jp/daioji-87-karen/entry-10844249114.html

博文さんの友人が小倉の永萬寺の光応住職です。
龍大の同期で 良くお土産に 鶯宿梅をいただきました。縁は異なもの粋なものですね。
とっても美味しい箸休めです。
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95 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/03/22(日) 22:33:04.34 ID:obtZXaIf0
永万寺 法中損害賠償請求訴訟
http://kokuratimes.jp/?p=551

法中制度は幕末の小倉戦争で焼失した永万寺(小倉南区)に起源を持つ。
同寺再建のために当時第5代住職と9人の僧侶が1口500円を出資。
引き換えに、永万寺が存続する限り子々孫々まで同寺僧侶の地位を継承する無名契約を交わしたことに由来。

1990年代、税務署が勧告し加入した僧侶たちの社会保険料を寺が半額負担を拒否し、
「壇家への態度が悪い」を理由に96年11月、16人の僧侶を解雇した。
北九州一円を割振りして16人の僧侶が受け持ち、寺から独立して法務活動をしていた。
16人は子々孫々までの「地位継承者」と確信していたが、一方的に権利剥奪され、解雇された。

「地位確認請求訴訟」は20〇〇年11月に棄却された。事の顛末を本紙で知った弁護士有志が同寺を控訴。
02年10月、福岡高裁は「法中僧侶の経済的地位で争え」と控訴を却下し、1審判決を取り消して差し戻した。

06年11月9日、福岡地裁小倉支部は「僧侶解任は無効」と判決し、原告らが逆転勝利した。

その後、同逆転勝訴まで1人年330万円計算で10年分の損害賠償総額約4億6000万円を求めて提訴したのが今回の裁判。

06年12月17日、福岡地裁小倉支部は「債権者(法中)の債務者(永万寺)に対する
債権の執行保全のために債務者保有の不動産を仮に差し押さえる」仮処分を出し、永万寺の本堂や門徒会館を差し押さえた。

12月21日午後、判決を心待ちにしていた傍聴人に向かって福岡地裁小倉支部の係員は開廷を「五分待って」と伝えた。
判決は最初の予定では9月21日だった。原告や門徒は「あと五分」を静かに待った。

青木亮裁判長は遅れたことを詫びると「判決一」と読み始め、原告14人に対する700万円から2000万円の損害賠償金額を読み上げ、
「永万寺側の反訴を棄却する」と述べ閉廷した。廷内には安堵感が充満し原告、門徒、支援者の頬が緩んだ。

原告の1人、堀田弘城さんは笑みを浮かべ「色々なことが消し飛んだ」と言葉を噛みしめながら話した。
(2011年1月1日付)
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96 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2015/03/22(日) 22:37:04.95 ID:obtZXaIf0
永万寺事件六回目の勝訴
http://www.jlaf.jp/tsushin/2011/1369.html

一 永万寺事件とは

 永万寺の門徒は六〇〇〇世帯、法中と呼ばれる一〇家の僧侶がそれぞれの担当地域を持ち、
法中はその担当地域で法務活動をし、もらったお布施で生活してきた。住職は原則として葬儀のみを法中と行い、そのお布施で生活してきた。

 平成八年九月住職はこの法中制度を一方的に廃止し、それに反対する法中全員を解雇した。

二 裁判に加わる

 法中は地位確認の本訴をしたが敗訴した。その判決文を入手した私は控訴審に加わることにした。

 私は弁護士は役者であり、法廷は芝居であると考えている。
永万寺の裁判には住職についた門徒と法中側に残った門徒が法廷傍聴に押し寄せ、
傍聴席を満席にしている。私はこのような法廷をこよなく好きである。燃えるのである。

三 争点は何か

 原告の主張は以下のとおりである。

 「第二次長州征伐で高杉晋作ひきいる騎兵隊が小笠原を攻めたときに、小笠原は小倉城に火を放って逃げた。その火事の延焼で永万寺も燃えた。

 明治になって永万寺を再建する時に法中の先祖が五〇〇円を寄付し、その代わりに担当地区をもらい、代々法中として法務活動をしてきた」

 一審はその証拠がないと判示した。控訴審でいまさら証拠を探しても見つからない。私は法中の地位は時効で取得したと主張した。


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