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65 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 07:36:27.34 ID:naVXcb8t0 - 今度、韓国である映画監督が、皇軍の生体実験の映画を作るそうで、今作っているそうだ。
遠藤周作の「海と毒薬」と言う作品は、九州大学でのアメリカ人捕虜の生体実験を題材にした そうだが、着眼がいいと思う。 韓国の監督は、満州での731部隊での生体実験が主眼だろう。 マルタの強姦など、大いにあり得る。しかし、それを自白するほどの度胸あるものはいなかったろう。 皇軍と言う公務員に、後方として生体実験をする権限と義務を与えているものがあったのなら、それを見出すことは 難しくなかった。そんなものはなかったのだ。 だから、皇軍は法律違反の行為をしていたのだ。 この点で、ヒットラーと同等以上だったのだ。 一人の人間でさえも、違法な政府の行為により、被害を受けた場合は、当時の法律でも、 被害者が泣き寝入りすることを強要する道理はなかったろう。 人は集団になると、気が大きくなって、何でもできると考えがちなのだ。特に個人の道徳倫理感のない状態では。 日本は明治維新から、廃仏毀釈運動で、道徳倫理を捨て去っていたんだ。 富国強兵のために道徳倫理を捨て去ったのだ。
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66 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 07:39:35.64 ID:naVXcb8t0 - >>65訂正
後方→公法
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67 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 08:12:37.49 ID:naVXcb8t0 - フォーカス・アジア2014年12月6日 03時02分(2014年12月6日 07時42分 更新)
複数の韓国メディアは、米ニューヨーク・タイムズが4日付の社説で日本の安倍政権が慰安婦問題など をめぐり「危険な火遊びを行っている」と批判したことを報じた。 社説は「日本における歴史のごまかし(Whitewashing History in Japan)」というタイトルで、冒頭 で「安倍政府に促された日本の右翼勢力が、第2次大戦時に何千人もの慰安婦が日本軍によって強制 動員されたという不名誉な歴史を否定する脅迫のキャンペーンを行っている」と日本の現状に懸念を示 した。続けて、アジアの戦地で女性を虐待する制度があったことを主要な日本の学者や外国研究者が、 アジア全域で慰安婦が強制動員されたことを「歴史的事実として確立している」と指摘。そのうえで、現 在の日本で、こうした出来事を「戦時中の敵がでっち上げたウソ」とする政治勢力が勢いを増し、1993 年の「河野談話」を見直そうとしているとした。 社説はさらに、安倍首相が3月に「中国や韓国の批判や米国の不満の下」で河野談話の継承を認めた ことを指摘、「これが歴史的な真実だ」と強調した。 韓国各紙はこれを「ニューヨーク・タイムズが安倍政権を強く非難」「日本の慰安婦歴史隠蔽は危険な火 遊び」などと伝えている。 (記事の続きや関連情報はリンク先で) 引用元:ExciteNews http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20141206/Xinhua_03488.html
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68 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 14:38:23.13 ID:naVXcb8t0 - II. 人体実験の背景
ところで、これらの実験および殺害はなぜ起こり得たのでしょうか。 ナチスのさまざまな人体実験は、基本的には、 強制収容所の囚人という《いずれ始末する》人間を《有効に》利用した、という性質のものであったといえます。 医師で医学史家のC. プロスは、彼のインタビューに答えてある女性医師が語った話を次のように記しています。 1943年に彼女は医学生としてベルリンのある研究室で腎臓の機能に関する実験をしていた。 彼女はこの実験を自分自身と同僚の学生に対して行っていた。ある日、アフリカ戦線から帰ったばかりの空軍の軍医が彼女の実験室に立ち寄り、 こう叫んだ。「この実験を自分自身に対してやるなんて、どうかしてるんじゃないか?強制収容所はそのためにあるんじゃないか!」 (Christian Pross, "Das Krankenhaus Moabit 1920, 1933, 1945," in C. Pross & R. Winau (eds.), Nicht misshandeln, Edition Hentrich, 1984, p.226; Pross, "Nazi Doctors, German Medicine, and the Historical Truth," in Annas & Grodin, The Nazi Doctors and the Nuremberg Code, p.34.) そして《いずれ始末する》人間、というカテゴリーを生み出したのは、ナチスの人種主義でした。ヒトラーは、 ナチスのバイブルとなった『わが闘争』の中で述べています。 「人間の生存の最高の目的は、国家の維持やあまつさえ政府の維持ではなく、その種の保存である」 (Adolf Hitler, Mein Kampf, Zwei Baende in einem Band, Ungekuerzte Ausgabe, Zentralverlag der NSDAP, 1940, S.104. 平野一郎・将積茂訳『わが闘争』全2巻、角川文庫、1973年、上巻 p.146。強調は原文のまま【以下同様】)。
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69 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 14:41:32.67 ID:naVXcb8t0 - >>68つづき
ここでいう「種」とは、ホモ・サピエンスという生物種ではなく、人種 Rasse (race) を意味します。そこで 「血と人種に対する罪は、この世の原罪であり、それに手を染めた人間たちの破滅である」(ibid., S.272. 邦訳上巻 p.353) 「最も神聖な人権はただ一つだけあり、この権利は同時に最も神聖な義務でもある。すなわちそれは、血を純粋に保つよう配慮することである。 それは、最良の人類を保存することで、人類のより高貴な発展の可能性を与えるためなのだ」(ibid., S.444. 邦訳下巻 pp.52-53) ということになります。 このナチスの人種主義は、一方では優秀な人種としてのドイツ人(「アーリア人」)と劣等な人種(「亜人間 Untermenschen」すなわち下等な人間) としてのユダヤ人・スラブ人・ロマの人々・黒人・アジア人という人種間のランクづけを含むと同時に、 もう一方ではドイツ人の中での優秀な人々(健康で逞しく多産)と劣等な人々(病人や障害者)という人種内でのランクづけを含みます。 前者の人種間のランクづけは、やがてユダヤ人・ロマの人々・スラブ人(ポーランド人やソ連人)の大量殺害へと向かい、 後者の人種内でのランク付けは、断種法である「遺伝病子孫予防法」や、障害者を抹殺した「安楽死」計画へと向かうことになります。
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70 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 14:46:08.79 ID:naVXcb8t0 - >>68つづき
そして、ナチスの人種主義は、優生学と人種衛生学 Rassenhygiene(民族衛生学)によって科学的に補強されていました (以下、主に米本『遺伝管理社会』を参照。ただし「Rasse」はすべて「人種」に訳し変えています)。 優生学は、ダーウィンの従兄弟F. ゴルトンによって19世紀後半に始められた、人種の生得的な質の改良と発展をめざす学問でした。 発祥の地英国では労働者や貧民層など下層階級の人々による国民の劣化が中心問題とされていましたが、米国に移入されると、 黒人や、南欧やアイルランドやスラブ系の移民など、劣等な「人種」の問題がまさしく優生学の課題となりました。 また米国では知的障害者などの断種も、第2次大戦後に優生学が勢いを失うまで、さかんに行われていました。 こうした米国の優生政策は、ナチスの模範となっています。 ドイツでは、ダーウィンの『種の起源』に啓発されたE. ヘッケルが19世紀から独自の解釈に基づく進化論を説いていました。 ヘッケルの社会ダーウィニズムは、生物学を基本に据え、生存闘争の原理に基づく「新しい倫理」を求めるものでした。 これは「ドイツ一元論同盟」(1906年)を発足させるなど、大きな社会的影響を与えています。
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71 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 14:48:37.83 ID:naVXcb8t0 - >>68つづき
ドイツでは、ダーウィンの『種の起源』に啓発されたE. ヘッケルが19世紀から独自の解釈に基づく進化論を説いていました。 ヘッケルの社会ダーウィニズムは、生物学を基本に据え、生存闘争の原理に基づく「新しい倫理」を求めるものでした。 これは「ドイツ一元論同盟」(1906年)を発足させるなど、大きな社会的影響を与えています。 こうした社会状況の中で、A. プレッツは1895年に『人種衛生学の基本方針』を著し、1904年には『人種生物学および社会生物学雑誌』を創刊し、翌1905年には「人種衛生学会」を設立しました。 彼によると人種衛生学とは「人種の最適の維持条件および発展条件に関する学問」( Archive fuer Rassen- und Gesellshaftsbiologie, Vol. 1, 1904. 米本『遺伝管理社会』p.69 による)です。 この人種衛生学がドイツにおいては優生学の代名詞となり、とくに第一次世界大戦後になると、ドイツ国家の危機を救う応用科学として、 政策にも取り入れられるようになりました。 1920年にプロシア内務省厚生局に設置された「人種衛生顧問会議」はやがて「人種衛生・人口問題委員会」として「プロシア保健会議」の一部に統合されます。 ドイツ人種衛生学会の主導権は、プレッツのような在野研究者から、内務官僚と専門の遺伝学者の手に移りました。国立遺伝研究所の設置運動も起こり、 1927年にカイザー・ウィルヘルム人類学・人類遺伝学・優生学研究所が設立されました。 この研究所は、ナチス時代にはナチス人種衛生学の研究拠点となり、ここの研究者たちは上述の人体実験などにも深く関与していました。
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72 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/12/06(土) 14:51:30.05 ID:naVXcb8t0 - >>68つづき
先に引用した『わが闘争』の記述は、人種衛生学の主張をヒトラーなりに取り入れたものだったのです。 そして人種衛生学者の側も、ヒトラーとナチスに人種衛生学を実践してくれる政党を見出したのでした。 もっとも、一つだけ注意しておかなければならないことは、 優生学はなにもナチスのような右翼ばかりに支持されたものではなかった、ということです。 当時は社会主義者や自由主義者も、社会改革に科学的基盤を与えるものとして、優生学を積極的に支持していました。 また、皮肉なことに、ワイマール共和国時代のドイツの有力な優生学者にはユダヤ人が多かったのです。 彼らはナチス政権成立後に職から追われたり、亡命を余儀なくされました。 http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/vuniv99/exp-lec3.html
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