- 【畿内】B地区が存在しない?都市【平和】
106 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/10/14(火) 21:25:17.35 ID:A90uROWN0 - http://www.nodasho.co.jp/tidbit/p08/
>江戸時代後期の野田村は奥ノ町・東ノ町・城ノ内町・弓場(ゆば)町(又は弓ノ町)・堤町・北ノ町の >6町から成っていた(福島区円満寺文書による)。農村なのに町名がついているのが注目される。 >明治20年頃の地図には、それが字(あざ)奥・字村東・字城ノ内・字弓場・字堤・字大北となっている。 >大坂でははじめての実測図で、5000分の1の精度の高いものであるが、この地図を見ると昔の >野田の地形が非常にはっきりわかる。右の字名(あざめい)の区域だけが住宅地で1カ所に集中し、 >周囲は水路(井路(いじ))で取り囲まれ、この区域のまわりはほとんど田畑である。 >字村東(昔の東ノ町)の一部と字堤(昔の堤町)をのぞけば、この区域は現在でも野田・玉川一帯のうちで一番地盤の高い所である。 >しかも昔から続いてきた地名(町名・字名)は一見してそれとわかるように城と縁の深いものばかりである。 >おそらく、城ノ内町と奥ノ町とが、かつての野田城の中心部、せまい意味での城内にあたる部分なのであろう。 >弓場町は文字通り弓の訓練場の名残りで、東ノ町は城の東に隣接した町なのであろう。 >野田戎や円満寺、極楽寺などのある区域にあたる。また、堤町の西南には馬洗池があった。 >これも城と関係の深い名称である。井路は今日では埋められて道路にかわっているが、かつての堀の名残りと見てよいかもしれない。
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