- ■新・彩の国さいたま7■
417 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/06/27(金) 09:35:05.93 ID:26NBxpBV0 - 狭山界隈ではその事件があってからは地元の住民たちはその事件について
公の場で云々する人はあまりいませんでしたよね。タブーになっていた。 これは当然と云えば当然の事だったと思う。 なぜならば、その事件の関係者や親戚も狭山に住んでいる人は多かったから、 狭山市民の連中にだってそれぞれの意見や考えがあったのだろうが、それを簡単に 口にすると問題が生ずるおそれがあると。なので公の場でその事件について白黒はっきり した事を云う人間はほとんどいなかったのだろう。 でも大人たちは内々なんかではその事件についてああでもない、こうでもないと 語っていたので子供たちも、同和とか差別とか部落とかについての基本的な知識は他所の場所に 住んでいた同世代の子供達と比べるとかなりあったのではないのかって思う。なので、学校でB教育を 行えたのではなかろうかとも感じる。今なんかだとこういった環境にないから、その教育を行うのは狭山なんかで あってもかなり難しいのかもね? 大人がその事を全く知らないから、知ってる人がほとんどいないからね。 でも考えてみればもう50年も前の昔の事なのだから仕方がないという気もするんだよなぁ〜 知らないなら一生知らなくてもいい事なのかもしれないし。
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