トップページ > 人権問題 > 2014年06月18日 > ZxOeHJah0

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名無しさん@お腹いっぱい。
■新・彩の国さいたま7■

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■新・彩の国さいたま7■
364 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/06/18(水) 09:51:17.12 ID:ZxOeHJah0
 ケッ w

 追剥話が、あの地域一帯に昔はあったんだ、ということも知らなかった癖に w

そもそも本当に追剥がいたのかどうかもはっきりとはしていなかった事だったのに w

追剥話は、そんなのがいるかもしれないから暗い夜道をひとり(特に女性)で
歩くのはやめましょうって事だったんじゃないかって自分は思ってる。
あそこいら一帯はB民が多くあいつらは野蛮な性格をしているのも多いから、と。
追剥のお話もB民差別に使われただけだったのかもよ? そんな気がする。
いつの時代の人間も今で云うところの都市伝説のようなお話が好きだったのだろうな
特に田舎の地区は日々の生活があまりに退屈すぎるから『追剥が出る』なんて誰かが云うと
その真相を確かめる事もなく皆で騒いだんではなかろうか。


              w w w
■新・彩の国さいたま7■
366 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/06/18(水) 10:45:18.88 ID:ZxOeHJah0
その感覚も今と昔では違うという事にならないか
昔なんて特にあそこいらでは自家用車を持っていてそれを普段自由に運転
しているなどという人間はそんなにいなかった。10キロ移動なら自転車が一般的で
あり、4-5キロくらいまでなら普通に徒歩で、という感じだったのではなかろうか?
自転車も買えないので、だから持っていないという人も当時は結構いたと思われる。
このような状況から当時の人間は少し遠いと思われる距離でもそれ程遠いと思わずに
不普通に歩いていたのではなかろうか?
遠い、近い、や時間の感覚て今なんかとは全然ちがうと思う。
自分には所沢の安松に知り合いがいるんだけどその知り合いの婆ちゃん92歳は、
娘の頃は家で籠を作っていてそれを川越の方まで自転車で売りに行ったのだけど
その位の距離の自転車での移動は当時は普通だったんだいねw と云ってたから。
それっておそらく昭和20年代初頭の頃のお話になるのだろうけど。
■新・彩の国さいたま7■
368 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/06/18(水) 12:53:36.62 ID:ZxOeHJah0
追剥伝説が狭山市の入曽や所沢市の富岡地区一帯に昭和40年代にあったのは、狭山事件が
昭和38年にあったからなのだろうがね。
あそこいらは夜になると本当に真っ暗だったし民家がほとんどなく人通りもなかったから
そんなのもあってそんな噂が広がってしまったのだろうな、きっと。
しかしなぁ〜。。。。


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