- 【畿内】B地区が存在しない?都市【平和】
37 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2014/05/17(土) 08:55:54.36 ID:sVyrJJYW0 - 130 :底名無し沼さん:2013/05/13(月) 11:03:51.20
『神戸の真実 イメージだけで造られた新興都市』 第1章:震災がなければ再開発できなかったほどの巨大スラム 第2章:震災があっても手がつけられない中心部の事情 第3章:THE・闇市 日本最大のパラダイス 第4章:中内功の野望 **人を駆逐せよ! 第5章:西欧人に足蹴にされた人々 〜下働きで頑張った祖先たち〜 第6章:神戸ビーフの裏事情 第7章:西洋館、洋食、中華 国際都市と称された神戸の真実 第8章:阪急沿線が高級化されるまで 「土石流地帯を攻略せよ!」 第9章:寒村を都市化へ 近代日本の弊害を一身に背負った神戸 第10章:神戸人への提言 お花畑から脱却せよ!祖先からの手紙 お洒落、ハイカラというのがウリだった神戸が、実はこうだというのが素直に歴史を見ていくだけでどんどん崩れていくのが実感できた。 兵庫津付近と違って、現在の中心部は本当に寒村で、地価が安上がりな事情だけで港が開発された。 そして西日本各地からアンコ(港湾労働者)、土方、丁稚、工員など、あらゆる下層階級の人々がどっと押し寄せて、神戸を造った。 貿易関係の西欧人向けに神戸ビーフ、ケーキ、パン、洋食が名物となり、西洋館ができた。 それらの下働きをしていたのが神戸人であった。 筆者が述べていた「水上生活していた貧困香港人が、当時彼らを支配していた西欧人の館を誇らしげに自慢するようなもの」と いった表現は、あまりに的を射ていた。 当時の貧困層であった中国人が流れてきて、集落を作った結果、現在の南京町となったこと等も、 今現在の神戸人でも知らない人は多いと思う。 神戸の西欧的な世界は、実は当時の人口の1%未満しか体験できなかった現実。 数%がやっと平均的日本人の生活を送れて、大多数は下層社会に身をおいていた現実。 バブルが終わって、失われた20年をすぎる中で、神戸が一地方都市に堕していく。 支店もこない、中心部は再開発されない、大阪依存・・・神戸のメッキがはがれて, 知らずうちに神戸本来の姿が露になってきたように思えてならない。
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