- 橋下 徹 Part.2
497 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2014/05/11(日) 18:20:52.78 ID:wNHlPuuR0 - ■西山(にしやま)
千種川上流域。地名の由来は、千種谷の中心千草の真西にあたる山中にあるため西山と名付けられたという。 地内に栗尾城があり、赤松貞範と範資兄弟の出城として構築され、赤松直頼が居城したというが(宍粟郡古城趾)、その所在は確認できない。 勢端島谷(せばたしまだに)にたたら跡がある。当地から美作国吉野郡後山(うしろやま)村(岡山県東粟倉村)へ通じる道は、 中世から千種鉄を備前の刀匠たちのもとへ運んだ主要道であり、また当地方に吉備文化が入った道でもあった。 志引峠(685m)を越えて物資の流通や通婚が江戸時代から昭和初期まで続いた。 【近世】西山村 江戸期から明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。 慶長5年(1600)姫路藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、慶安2年(1649)幕府領、以後延享元年(1744)〜同3年出羽国山形藩領、 宝暦2(1752)〜13年上野国高崎藩領、明和6年(1769)〜文政11年(1828)尼崎藩となったほかは幕府領。 地内紙屋という小字は、隣村室(むろ)の西方寺にある享保14年(1729)建立宝篋印塔に銘を残す紙屋助左衛門にちなむ。 助左衛門は紙漉きで巨万の富を築いたという(千種村誌)。当村では和紙の原材料となるコウゾとミツマタによる農外収入があった。 神社は大仙神社と天満神社。寺は無住の庵寺である高野山真言宗仙光寺と浄土真宗本願寺派教福寺。 教福寺境内にあるオハツキイチョウの実は妊婦のお産を軽くするとか、心臓によいといわれる。明治22年千種村の大字となる。 【近代】西山 明治22年〜現在の大字。はじめ千種村、昭和35年からは千種町の大字。 初期たたら製鉄が衰退したため、林業・養蚕業・蓄牛に力を入れるようになり、昭和13年には千種村が県下2位の子牛生産頭数となった。 同年の当地の牛馬保有頭数は牛72・馬3。換金作物としてタバコ・コンニャク玉を栽培。 近世後期における宍粟郡西山村皮多の状況 http://ci.nii.ac.jp/naid/40006506939 同和対策未実施地区を歩く--千種西山地区 (特集 差別がある限り行政施策を) http://ci.nii.ac.jp/naid/40004930645
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