- 四国の部落 高知・徳島・愛媛・香川
42 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/02/05(日) 15:37:40.56 ID:ttwMhJ2o0 - 徳島県三好市東祖谷阿佐(旧・三好郡東祖谷山村阿佐)
屋島の合戦に敗れた平国盛率いる30名の残党が、讃岐山脈を経て、阿波へと入り、 現在の徳島県東みよし町から井川町(現・三好市)にかけての一帯に住んだが、 追手に脅かされ、祖谷に住んだと伝わる。阿佐集落に、平家の末裔と言われる阿佐氏が居住し、 平家屋敷や、平家のものと伝えられる赤旗(軍旗)が数百年前から現存する。 愛媛県四国中央市金生町山田井 切山(旧・川之江市) 愛媛県八幡浜市保内町平家谷(旧・西宇和郡保内町) 壇ノ浦の合戦後、落ち延びた残党が佐田岬半島の伊方越にたどり着き、宮内川上流の谷に隠れ住んだとの言い伝えがある。 8名で畑を開き暮らしていたが、源氏の追っ手の知るところとなり、6名は自害、残った2名が両家集落(保内町)の祖となったという。 平家谷には平家神社がまつられている。 高知県〜愛媛県〜徳島県の山地一帯高知県の越知(おち = 落ち?)町にある横倉山に安徳天皇陵参考地がある。 またその周辺に県境とは無関係に屋島からたどり着いた平家の人たちが分散して隠棲したとの言い伝えがある。 横倉山の前を流れる川を仁淀川と名付けたほか、京都ゆかりの地名が多く存在する。 当時京の北の守りであった藤社神社から北の集落を藤社と呼んだりした。 歴代皇族とそっくり同じつくりの立派な陵が、非常に険しい山中にひっそりと建立される姿は尋常では説明が付かないものの、 安徳天皇の墓であるという確証はない。ただし周辺に点在する平家一門の隠れ里では明治に入るまで墓石がなく 石に名前を書いて並べ置く風習があったがこれは戦時の伊勢平氏一門の風習と合致するうえ 香川県の屋島→徳島県の東祖谷→と逃れた平家一門が最後に住み着いた場所である可能性は高い。 愛媛県にある平家追討軍が引き返したという地にはひっそりと「平家終焉の地」の碑があるが そのすぐ南には仁淀川が流れ平家の隠れ里がある。 村おこしや明治以降の尊王思想でできた派手な周辺施設の多くは後の創作物と思われ 本物の末裔は余りの不便さでほとんどは都会でひっそり暮らしている。
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