- 淡路島【兵庫の楽園】
103 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/25(土) 00:31:58.05 ID:yYQjycdL0 - 西宮神社の本社格に当たる広田神社(西宮市)は奈良時代からの大社で、
平安時代の「延喜式神名帳」にも名神大社として記されている。 元暦元(1184)年に、源氏の総大将・源頼朝は平家討伐を広田神社に祈祷させ、 その代わりに、淡路島の津名郡の一部(現・南あわじ市旧三原郡緑町と洲本市西部)を荘園として同社に与えた。 広田神社は平安時代末期に、人々の居住地が海浜へと拡大するのに伴って、海岸に近い場所に西宮神社を建立した。 そして「海の神」、「商業の神」として蛭児神を祭り、その功徳を分かりやすく庶民に知らせるため、 タイを釣り上げる恵比須人形を操って神徳の宣伝をした。 これを任務としたのが、淡路の荘園農民であった。 室町時代末期には、神社荘園は次々と大名領に取り込まれ、広田神社も荘園を失う。 こうして西宮神社と淡路島の結びつきも途絶え、ほとんどの農民が淡路に帰村した。 そして江戸時代初期に、そうした農民の子孫の間から、淡路の人形座が誕生することになる。
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104 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/25(土) 00:33:33.90 ID:yYQjycdL0 - 先山から3`ほど南の、南あわじ市広田広田には、広田八幡神社と大宮寺がある。
源頼朝が平氏追討の戦勝祈願のために、現在の西宮市にある広田神社へ、 淡路の広田荘を寄進したことが起源となったという広田神社は、 大宮寺とともに「淡路名所図会」にも描かれている。 その大宮寺の裏山には、江戸時代、淡路で起きた最大の一揆である「天明の縄騒動」に殉じた人々を供養する塔がある。 首謀者とみなされた二人は処刑されたが、今もこの場所では、命日である3月23日に、天明志士大祭が営まれているそうである。
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105 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/25(土) 00:34:53.71 ID:yYQjycdL0 - 田広がる 頼朝寄進の地/広田
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000131009300001
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108 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/06/25(土) 22:11:33.28 ID:yYQjycdL0 - 中条村
明治10〜22年の村名。三原郡の内、淡路島中央部、洲本川支流初尾川流域。 広田宮村、中筋村の各一部と鮎屋村、徳原村が合併して成立。 始め中条を「なかすじ」と読んでいたが、中筋と区別する為、「ちゅうじょう」と読むようになった。 鳩尾には、淡路四十九薬師25番札所の薬師堂がある他、 鎌倉幕府の別当和田義盛の次男友盛にまつわる伝説がある。 誘進小学校が設置され、明治18年の生徒数は男子48、女子13。 同校鮎屋分校は男子33、女子13。寺院は真言宗青池山大泉寺。 明治22年、広田村中条中筋組、中条広田組、中条徳原組、中条鮎屋(あいや)組となる。
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