- アルビオレンジじゃ柿の種 Part4
626 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/13(水) 00:32:45 ID:cI5NcKNgO - いつもこの板は見てました。
それは、もう4年くらい前から。 某かなり西の土地に旅した時に、映画のロケ地の綺麗な海を見に行ったときから。 駅から海へ向かうバスから、正確には覚えていませんが、同和対策であることがハッキリした名称の共同作業場が見えました。 次に、正直言って良い印象を受けない気持ち悪い漢字の町名が見えました。あとで知ったら、漢字表記を変更してその漢字になったそうで、悪意を感じました。 それから東京出身で差別が見えにくかった僕は差別が許せなく思い、差別と戦う部署へ志願することも考えました。 なぜこのスレでそんなことを書くか? 僕の祖父が新潟出身であり、その村がこのスレなどで被差別部落であることがわかったからです。 僕は、自分の出自を知らずに育ち、就職時に差別を受けた覚えもありません。 祖父は代々の大工ですが、新潟を出て真面目に働き、東京に家を建て、義理堅く大して世話になってもいない人にも大金をお礼として払うような人でした。 父は商売下手で、借金もこさえ、家も失い、貧乏でしたが、僕を大学まで行かせ、不景気の中、希望する職につくまで支援してくれました。 考えてみれば、母の実家はボロい木造の都営住宅でした。被差別部落で有名な町の隣りです。母は都市銀行に勤めていたから違うと思っていましたが…。庶民派で良い銀行だと言ってました。 母は、僕が就職時に戸籍を取ろうとした時に不自然な態度で、頼みもしないのになぜか勝手に戸籍を取ってきました。 で、その就職の頃、「○○(僕)はなにも悪くないんだから、気にすることはない。」と不自然なタイミングで言いました。 その時、初めて自分の出自に疑問を感じました。結果、今の戸籍じゃ過去の身分はわかりませんが。 祖父の出自を知った今、僕は祖父と両親、そして、何者も受け入れる風土を持った東京に感謝しています。 祖父が被差別部落出身と確信したのは2週間くらい前。だけど、全然ショックを受けてない。 祖父はちゃんと生きてきたし、僕は出自を知る前から差別を醜いと思っていたから。 (つづく)
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