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名無しさん
ATT分割から再統合へNTT分割は意味ある?

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ATT分割から再統合へNTT分割は意味ある?
129 :名無しさん[]:2011/06/15(水) 15:17:16.84 ID:CpWT4gF8
当時は帝国主義真っ只中であったため建設途中の1927年、上海のイギリスの租界地に向かうための
イギリス軍の中継地などとして軍に一時接収されるなど大変な目にあいましたが、1928年12月11日、
開業にこぎつけました。

客室数は約250。1950年代までは九龍一の高さを誇り、当時は珍しく全室にトイレバス付の最高級ホテルでした。
なぜホテル名に“半島”と名づけたか、はっきりとはわかりませんが、当時のTSTは埋め立てでできた尖沙咀東部
(Tsim Sha Tsui East)はなく、東端は漆咸道南(Chatham Road South)で、西端は前水警総部(現在、再開発中)
とかなりの“細身”でした。上空からみれば当時はまさに半島の形をしていたからと推測されます。

ペニンシュラが建てられた半島は、西のポルトガルから続くユーラシア大陸の末端でした。(武田信晃著)
ATT分割から再統合へNTT分割は意味ある?
130 :名無しさん[]:2011/06/15(水) 15:18:17.37 ID:CpWT4gF8
[尖沙咀-3]★ザ・ペニンシュラの歴史2  2008.11.4
http://db.soknet.com.hk/thehk2000/topic_back_details.aspx?type=hk_trivia&id=1748

苦労して開業した後は、最高級ホテルとして順調に経営してきたペニンシュラ。
しかし、太平洋戦争に翻弄されます。開戦から21日後の1941年12月29日には香港を占領した
日本軍の軍政庁が置かれ、“東亜ホテル”に改名されられました。
当時のナンバー2である参謀長には栗林忠道が就任しています。クリント・イーストウッド監督の
『硫黄島からの手紙』で渡辺謙が演じたあの栗林中将です。香港は、硫黄島に行く前の赴任地の1つでした。

戦時中のカドゥーリー一家ですが、42年の1月に赤柱(Stanley)の抑留キャンプに収容されます。
ところがなぜかエリーは2か月後の上海に追放する形で釈放されます
(なぜ収容所から出られたのかは謎ですが、カドゥーリーという名前が効果を発揮したのはいうまでもありません)。
ATT分割から再統合へNTT分割は意味ある?
131 :名無しさん[]:2011/06/15(水) 15:19:48.44 ID:CpWT4gF8
戦後のペニンシュラのことは書くまでもありません。ニューヨーク、バンコクなど世界中にホテルを持ち、
2007年には念願の東京にも進出。最高級ホテルとしての地位を不動のものとしています。

カドゥーリー一家は、ザ・ペニンシュラの経営以外にも、ピークトラムの運営やキャセイパシフィック航空と共同で
機内食の事業もやっています。さらには、1930年以来“中華電力”の経営も手掛けています。
九龍サイドに在住の皆さん、あなたの電気代は彼らの懐に入っています! 

肝心の当人たちは、香港島南部にある最高級住宅街の一戸建ての巨大な家に住んでいるらしく、
香港島の電気事業をしている香港一の富豪、李嘉誠(リ・カーシン)に電気代を払っているのは皮肉な話ですが。

なお、今の香港上海大酒店の中枢にいるのは、3代目のマイケル・カドゥーリーです。(武田信晃著)
ATT分割から再統合へNTT分割は意味ある?
132 :名無しさん[]:2011/06/15(水) 15:21:00.50 ID:CpWT4gF8
[太子-1]★中華電力とカドゥーリー家 5/24更新  2011.5.23
http://db.soknet.com.hk/thehk2000/topic_back_details.aspx?type=hk_trivia&id=2191

太子(Prince Edward)は厳密に言えば旺角(Mong Kok)の一部ですがMTRの地下鉄があるということもあり、
今回、1つの地域として取り上げたいと思います。

今、日本ではTEPCOこと東京電力の福島第一原子力発電所への対応のまずさが話題に上っています。
香港は小さな街にも関わらず電力会社は2社あります。
香港島と南Y島(Lamma Island)を管轄する香港電燈(Hong Kong Electric)と
九龍(Kowloon)、新界(New Territories)、南Y島を除く離島に電力を供給している中電集団(CLP Group)です。
CLPとはChina Light & Powerの略です。

現在、220万戸を越える顧客を抱える同社は1901年に創設されます。
1930年ペニンシュラホテルのオーナーであるカドゥーリー一家が取締役会のメンバーとなります。
以来、CLPは実質的にカドゥーリー家が経営することになります。
ATT分割から再統合へNTT分割は意味ある?
133 :名無しさん[]:2011/06/15(水) 15:22:56.03 ID:CpWT4gF8
カドゥーリー家については尖沙咀(Tsim Sha Tsui)の回でもう少し詳しく書いていますので、
興味がある方はバックナンバーを見てみて下さい。

同社の本部は亜皆老街(Argyle Street)の139-147号にあります。そびえ立つ鐘楼を中心に東西に伸びる5階建ての建物は
昔の学校を思い出させます。1940年に完成した建物で、香港の歴史的建造物に登録される可能性がありましたが、
まだリストには入っていません。一説によるとCLP側が名簿から削除してほしいという要求を政府にしたみたいです。
登録されると自由に増改築や、建て替えがしにくいからでしょう。香港人は2007年の皇后碼頭(Queen’s Pier)の
取り壊し/移設問題で歴史的建造物について目覚めましたので、もしCLPが建て替えを計画した場合、
政府、市民がどういった動きをするのか注目です。

この本社の裏手には嘉道理道(Kadoorie Avenue)と名前のついた通りがあります。
ここは九龍塘(Kowloon Tong)よりもお金持ちが住む通りです。もちろんカドゥーリー親族の一部も住んでいます。
いやはや、彼らは通勤が楽なところに社屋を建てたものです。


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