- 『北斗の拳』強さ議論
712 :100戦士[]:2019/11/23(土) 07:08:54.56 ID:U2wrTaku - 続きだよん♪(^ー^)b
●中国の歴史は「農民反乱の歴史」でもある。 秦「陳勝・呉広の乱」 新「赤眉の乱」 後漢「黄巾の乱」 唐「黄巣の乱」 元「紅巾の乱」 明「李自成の乱」 清「白蓮教徒の乱、太平天国の乱」 ●中国歴代の王朝は民衆の反乱から滅亡の道を辿った。 清を滅ぼした「太平天国の乱」はキリスト教的理想を中国清代で実現させようとした組織的な反乱である。 そして、反乱の混乱の中現れるのが、次の時代を導こうとする「次代の英雄達」。 漢の後の曹操・劉備・孫権、清の後の孫文等である。 ●王朝が腐り切ってその皇帝を見限った時、「北斗宗家と白馬寺の住職達」は民衆に乱を起こさせ、占いによって「次代の 英雄」を探した。清朝末期、占いに出たのは孫文だった。だが、孫文は「玉璽の受け取りと北斗の守護」を固辞したのである。 ここに「統一王朝と皇帝制」は終わりを告げ、北斗宗家の役割も終わった(溥儀が退位したのはまだ6歳に なったばかりの頃だった)。そして中国はやがて日本との戦争に突入していく事になる。 過去、中国の歴代統一王朝を実際に守護していたのは「北斗宗家と曹家拳」だった。 曹操が造った洛陽城(白馬寺も洛陽)の構造はその後の歴代王朝の都造りの手本とされている。 既に役割を終えているにも関わらず、章大厳が中国の為に「国共合作」を画策し動いたのは、あくまで曹家拳独自の判断であった。 だが、毛沢東に敗れて1949年に台湾へ逃げる時に蒋介石から「共に来てくれ」と懇願されて 「北斗宗家と住職達と劉家拳(宗武・文麗・拳心・ジュウケイら)」は中国から台湾に移った。 曹家拳でなく劉家拳な訳は、恐らくこの頃までに太炎が死に、曹家拳が断絶し失伝した為だと考えられる(経緯は不明)。 因みに台湾にはその後「文化大革命」で数多くの拳法家達が中国から移り住む事になる。
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