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名無し野電車区
架空の車両形式・番台スレ 21次車

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架空の車両形式・番台スレ 21次車
130 :名無し野電車区[]:2013/05/21(火) 13:20:59.59 ID:oRFhEp2N0
京急600形電車
500形に続く2扉セミクロスシートとして京浜急行電鉄初の高性能カルダン駆動による全電動車方式として設計、
全金属製準張殻構造車体を採用して軽量化を実現し、搭載機器を集約分散するMM'方式による2両1ユニットを構成、
MM'ユニットを背中合わせに連結した設計となり、車体・台車を東急車輛と川崎車輌、電装品は東洋電機が担当、
先頭電動車がデハ700形、中間電動車がデハ750形で、ハイキング特急、海水浴特急の優等列車で運用され、
1956年(昭和31年)から1958年(昭和33年)までに4両編成10本、合計40両が製造された。

車体長18.200mm、車体幅2.700mmの全金属製準張殻構造車体を備え、補強帯が無いノーシルノーヘッダーの外板、
雨樋位置が屋根上部に移設された張り上げ屋根構造とされたことで、全体的に平滑な外観が実現している。
前面は非貫通2枚窓の湘南形スタイルだが、窓寸法が1.100mm×900mmとして窓の下辺を側窓よりやや持ち上げ、
センターピラーの部分を細くすることで鈍重な印象となるのを防ぎ、洗礼された前面となった。
前照灯は当時の標準に従い、屋根中央に1灯白熱灯を設置しており、標識灯は左右腰部に各1灯角形のものを設置する。
このデザインは京浜急行における湘南形スタイルの完成形となり、以後同一寸法のままでデハ800形(初代)や、
1968年(昭和43年)から4扉車体となったデハ500形更新車などに継承されている。
架空の車両形式・番台スレ 21次車
131 :名無し野電車区[]:2013/05/21(火) 13:23:03.78 ID:oRFhEp2N0
側面の客窓は高さ1.000mm×幅1.200mmの2段上昇窓で、戸袋窓が高さ1.000mm×幅900mmのHゴム支持による固定窓、
窓配置は先頭車がd1D(1)6(1)D1、中間車が1D(1)6(1)D1、(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓、数字:客窓)、
乗務員扉と客扉の間にある窓は高さ1.000×幅450mmの小窓となり、この小窓は更新後の500形、800形(初代)も採用、
小窓部には乗務員室に向いた2人掛けの片側シートを配置、扉間にある6枚の客窓の部分は、全て向かい合わせ配置の、
固定クロスシートとすることでクロスシートの数を12組48席とし、客用扉に隣接する戸袋窓分と連結部分は、
乗降を円滑にするためロングシートを設置、客窓には転落防止等の観点から下段中央を横切る位置に保護棒が設置され、
連結面の貫通路幅はデハ500形の仕様を継承して1.000mmの広幅とされ、貫通路の横に下段上昇式の2段窓を配置、
屋根にはモニタールーフを載せ、ここに三菱電機製16インチ径ファンデリアを各車6基ずつ搭載する。

車内のカラースキームは当初は東急車輛製造製が淡紅色のメラミン樹脂化粧板にエンジ色の腰掛けモケットという暖色系、
川崎車輌製が淡緑色のメラミン樹脂化粧板に青色の腰掛けモケットという寒色系で対照的な組み合わせであったが、
これは1958年(昭和33年)製車で後者に統一、初期製造車についても後に寒色系に統一された。
照明は当時の鉄道車両に採用が始まっていた、蛍光灯を連続カバー付きで取り付けてある。

車体外部の塗装はデハ600形(初代)・サハ650形で初採用されたダークヴァーミリオンを基本とし、
側面窓下に白帯を配するというデザインを踏襲するが、100mmであった白帯の幅を150mmに拡幅した上で、
前面にも帯を回して視認性の向上を図っており、この構成は以降700形(2代)までそのまま踏襲された。
架空の車両形式・番台スレ 21次車
132 :名無し野電車区[]:2013/05/21(火) 13:25:14.92 ID:oRFhEp2N0
主電動機は補償巻線付きで高速性能を重視して最弱め界磁率は50%に設定された180kWの東洋電機製造TDK-1819Aで、
駆動装置は同社自社開発による中空軸平行カルダンを採用、制御器は東洋電機製造製はACDF-H875-562A(ES-562A)、
ブレーキは従来の自動空気ブレーキに代えて、応答性に優れたHSC-D発電制動併用電磁直通ブレーキを搭載、
車内のサービス機器や制御器の動作電源として、東洋電機製TDK-315(DC7.0kW)の補助電源装置と、
ブレーキ用の空気圧供給源として、A-2型 レシプロ式の空気圧縮機をデハ750形に搭載した。

台車は車体メーカー両社による競作となっており、こちらも全く異なったコンセプトに基づく2系統の設計が共存する。
東急車輛製造はウィングばね式のTS-303・303A・310を供給、川崎車輛は長腕形軸梁式のOK-18・18A・18Bを供給、
OK形台車各形式の基本構造を踏襲しつつ、上枕梁を側枠左右に突き出して側受位置を可能な限り外に出すことで、
車体のローリング周期を長くし乗り心地の改善を図るなど、様々な特徴を備えた台車である。
集電装置はMM'ユニットの都合上、デハ750形の奇数車は浦賀寄り、偶数車は品川寄りに各1基ずつ、
通常の菱枠形パンタグラフを搭載していた。

竣工後、京浜急行電鉄の看板電車としてハイキング特急、海水浴特急、週末特急等の優等列車を中心に運用、
クロスシート車であることを生かして全席座席指定の特急「三浦ビーチ号」が夏期に設定されるなど、
その機能を有効活用する運用が実施され、京浜急行電鉄の名を広く知らしめた。
架空の車両形式・番台スレ 21次車
133 :名無し野電車区[]:2013/05/21(火) 13:29:03.48 ID:oRFhEp2N0
1965年(昭和40年)10月19日の一斉改番で、全てデハ600形(二代)に改番が実施され、1966年(昭和41年)に、
前照灯のシールドビーム化、前面窓内上部に方向幕・列車種別表示幕・列車番号表示幕を設置した。
1968年(昭和43年)に1号形ATSを設置、車内放送機器をトランジスタ増幅によるものへ交換、
先頭車の運転台寄り屋根に列車無線アンテナを設置、側面の客窓をアルミサッシ化などが行なわれた。
社会で冷房化のニーズが高まり、また当時京王5000系電車を皮切りに各私鉄で興った通勤車冷房化の趨勢を受けて、
1970年(昭和45年)から1972年(昭和47年)にかけて車体更新工事と併せて、601-602-603-604と605-606-607-608、
621-622-623-624と625-626-627-628が8両編成化されることになり、604・605、624・625は前面と運転機器を撤去、
乗務員扉跡に高さ1.000mm×幅1.200mmの2段上昇窓と連結面に1.000mmの広幅貫通路を設置する中間車改造され、
構体の補強を実施の上で全車に冷房能力36.000kcal/hの日立製作所FTUR-550-206A・FTUR-550-206C型集中冷房装置、
および三菱電機CU-71型、3種の集中冷房装置を編成ごとに搭載する冷房装置搭載改造工事が行なわれ、扇風機6基を併用。

この改造で屋根は平天井に改造して風洞が通され、モニター屋根は撤去、500形と同じ屋根中央部にFRP通風器を設置、
客窓の下段にある保護棒を撤去、客用ドアがステンレス製のものに変更された。
また冷房化された第1・第2編成の完成が丁度、7月初旬の夏期にあたり、海水浴特急のアピールも含め、
車体外部の塗装を赤地・白帯から海と空をイメージした青地・白帯に変更、ここに京急の青電が誕生した。
続く第3編成以降も青地・白帯に変更され、600形10本、全編成が青地・白帯の青電となった。
架空の車両形式・番台スレ 21次車
134 :名無し野電車区[]:2013/05/21(火) 13:37:13.65 ID:oRFhEp2N0
1972年(昭和47年)先頭部連結器を三菱電機K-2A電気連結器内蔵密着連結器から都営地下鉄1号線乗り入れ規格準拠の、
日本製鋼所NCB-6密着自動連結器に交換する工事が行われた。連結器高さ変更が伴ったため、車体に切り欠きが追加された。
ジャンパ栓配置も変更、品川方先頭車に開放ジャンパ栓受を取付るため浦賀方先頭車も含めて標識灯位置が変更されている。

青電になって以降、夏季特別列車などには優先的に運用され、朝ラッシュ時の12両編成特急にも運用、
1981年(昭和56年)に運転開始された通勤快特にも運用、この年から徐々に車体外部の塗装を青地・白帯を、
赤地・白帯へ戻し、最終的に2編成の青地・白帯が残った。1982年(昭和57年)に600形の後継形式2000形が登場すると、
12両編成特急の運用から外され、快特専用で運用されたが、1984年(昭和59年)に初期製造車両から廃車が始まり、
1987年(昭和62年)7月31日、青電として残っていた633-634-635-636、637-638-639-640の2編成が、快特・特急運用で、
さよなら運転を行い、翌月の8月3日に2編成とも廃車された。
廃車後、高松琴平電気鉄道に629-630と633-634-635-636の6両が譲渡され、非貫通2枚窓を1000形に似た貫通化、
2両編成化で中間車の先頭車化やロングシート化が行われた後1070形として入線し、新製から50年、
琴電入りからも20年以上が経過した現在も使用されている。
架空の車両形式・番台スレ 21次車
135 :名無し野電車区[]:2013/05/21(火) 15:18:23.90 ID:oRFhEp2N0
またトップナンバーであるデハ601が逗子市に譲渡、神武寺駅近くの逗子池子第一運動公園に静態保存され、
最終編成のデハ637・デハ638・デハ639・デハ640が最終時のまま、久里浜工場で保管されている。
他にはデハ617が個人に売却され、屋根付きで保管されている。

編成表
Mu1-Ms2-Ms1-Mu2
601-602-603-604-605-606-607-608
609-610-611-612
613-614-615-616
617-618-619-620
621-622-623-624-625-626-627-628
629-630-631-632
633-634-635-636
637-638-639-640


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