- 阿含宗という宗教 327
134 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2022/01/27(木) 20:05:30.32 ID:wlxmlgHi - >>124神も仏も名無しさん2022/01/27(木) 12:26:58.98ID:TrIwSvZl
>深山さんは『輪廻転生瞑想法U』を読んでいないようですね。 >多分本自体を持っていないのでしょう。 >481 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/03/04(金) 12:32:41.81 ID:bRDfBXa2 >「これを修行するならば、「須陀オン自り阿那含に至りて五下分結 >を断ず」と同経に記されている。」 >(『輪廻転生瞑想法U』335ページ、2012年) この六年前の481は私が宝生センセに付けたレスで、ごらんのように、 『輪廻転生瞑想法U』の文章そのものを引用している。 この私が、この本を読んでいないし、持ってもいないとペテン大作さんは皮肉を並べた。 卑怯者のペテン大作さんは、これは宝生センセへのレスだから知らなかったと 逃げるだろうが、残念ながら、その逃げも通用しない。 >155深山 ◆lDoupiXSYZNC 2018/02/19(月) 12:17:00.61ID:miAd6axv >ペテン大作さんは『輪廻転生瞑想法U』からチャクラ開発を始めたと書いた。 ごらんのように、私が『輪廻転生瞑想法U』をもっていないどころか、 四年前に、ペテン大作さんとその本の内容について議論しているのです。 『輪廻転生瞑想法U』にある内容で、私と議論したことさえも彼は覚えていない。 彼は四年前の議論さえも覚えていないのに、「話題が古い」などと罵った。 これだけでもこっちが恥ずかしくなるくらいだが、彼の赤恥ぶりはこれだけではない。
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135 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2022/01/27(木) 20:17:29.25 ID:wlxmlgHi - 「この経典の題名をよく見るとよい。
「安那般那経」ではない。 「安那般那念経」なのである。 「念」は「意念」をいっているのである。」 (『輪廻転生瞑想法U』平河出版社、103頁、2013年) 「この経典の題名を よく見るとよい。「安那般那経」ではない。「安那般那念経」なのである。「念」は「意念」を いっているのである。」 (『阿含仏教超能力の秘密』322頁、1996年) 両者はまったく同じ文章ですから、桐山さんは1996年の本の文章を 2013年の本にも使いまわしをした。 ペテン大作さんは私が2013年の本を読まず、買ってもいないから、 上記の文章を知らないだろうと嘲笑ったが、知らないのは彼のほうです。 彼こそが1996年の本を読んでいなかったから、2013年の本を読んで、 桐山さんが新しいことを書いたと早とちりした。 これで深山をやっつけられるとばかりに、憎しみで目をテラテラしながら、 深山破れたり!とここに勝利を宣言しながら飛び出して、 今回もスッテンコロリンと自分から二度もコケテ、大恥をかいた。 自爆ネタを二十年近くも続けるこのドジな男によれば、深山は「話題が古い」そうだ。 ペテン大作さんの恥知らずぶりはこれだけではない。 今回出した「念」については、私はもちろんのこと、 ユビキタスさんも何度か説明しているのに、まだ理解できないのだ!! まるで初めて彼が発見しかのように大はしゃぎしている。 手の付けられない愚か者は放置して、他の信者さんたちだけでも、 仏教の「正しい念」を学んでください。 それには、桐山さんやペテン大作さんのいう念がいかにデタラメかを 理解するのが近道です。
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136 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2022/01/27(木) 20:28:22.69 ID:wlxmlgHi - 「意念はかたちなきものであり、物理的なカは、ないことはないけれども、非常
に微弱なものである。強化する必要がある。それも、ただ単に行らすだけではな く、最終的には、チャクラを「動かす」「刺激する」ところまで強力なものにし なければならぬのである。」 (『輪廻転生瞑想法U』平河出版社、104頁) 桐山さんは、これが安那般那念経の「念」であると説明しています。 桐山さんのいう念は物理的な力であり、チャクラを刺激すると述べています。 ペテン大作さんは新しいことのように思い込んでいるが、 桐山さんが前から述べている内容で、代表的な説明が三十七道品の 五力の一つ「念」についての説明です。 「念力法 異常なほど念力が強化される。 太陽光をレンズに集中して発火させるほどの念の力が養成される。 この法で強化された念の力は、信じられないほどの力を発揮をする。 この法の訓練から、クンダリニー・ヨーガの課程に入る。」 (『阿含仏教超能力の秘密』63頁 ) 桐山さんは五力の念とは念力であると述べている。 仏教では五力を五力法とは言わないし、五力の「念」は「念」であって、 念力法とは言いません。 これを強調するのは、信者さんたちは「法」「力」という言葉に弱く、 釈尊が念力とその獲得法を説いたかのように簡単に騙されるからです。 桐山さんは、安那般那念経の念とは念力のことで、これでチャクラを 動かすだと述べていることをまず信者さんたちは理解してください。
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137 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2022/01/27(木) 20:39:54.80 ID:wlxmlgHi - *桐山念力は安那般那念経にはない
信者さんたちに見てほしいのは、桐山さんの説明の阿含経の根拠です。 >>136の桐山さんの念力の説が、安那般那念経のどこにあるのか? 『輪廻転生瞑想法U』の87頁以降に原文が引用されていますから、読んでください。 安那般那念経には、桐山さんのいう「念力」の説明はありません。 安那般那の念を修習しなさいとあるだけで、桐山さんの念力に 相当する話は一言も出てこない。 つまり、桐山さんは経典の念を念力だと勝手な解釈をしているだけで、 なんら経典に書いていないのです。 これは呼吸法も同じことであることを前に指摘しました。 安那般那念経には呼吸の名称はあっても、呼吸法の説明などありません。 ましてや、チャクラやクンダリニーなんて阿含経には言葉も概念もない。 信者さんたちに気が付いてほしいのは、安那般那念経には一言もないのに、 信者さんたちはこの経典に念力や呼吸法が説かれていると錯覚していたことです。 桐山さんは阿含経から桐山成仏法を体得したかのように見せかけるために 阿含経を用いて作り話をしたのです。
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138 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2022/01/27(木) 20:51:19.69 ID:wlxmlgHi - *仏教の「念」とは念力ではない
ペテン大作さんなど三人組以外の信者さんたちに仏教の「念」を学んでほしい。 念は、仏道修行の根幹である八正道でも「正念」として出てくるくらいですから、 修行上、とても重要な内容です。 ペテン大作さんの大好きな望月仏教辞典も引用しましょう。 「念・・心に思うこと、いつも心に思うこと」(岩波仏教辞典、649頁) 「念・・即ち心をして所縁の事を記憶し、忘失せしめざる精神作用を云う。」(望月仏教辞典、4154頁) 両者とも同じ内容で、しかも簡単な内容です。 仏教の念とは、煩悩に囚われないという教えを、いつも思い続け、 一瞬もそのことから離れることなく、集中し続けることです。 信者さんたちに驚いてほしいのは、仏教の念には桐山さんのいうような 念力のような意味が全くないことです。 安那般那念経の念も上記の意味ですから、念力などという意味はありません。 いかに桐山さんの仏教解説が最初から最後までオカルト空想解釈か、 この一件を見てもわかります。
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139 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2022/01/27(木) 21:02:08.97 ID:wlxmlgHi - *説かれたことは説かれたままに、説かれないことは説かれないままに受け取る
信者さんたちは「学者はしょせん学者であって、桐山ゲイカは 成仏法を体得した上で解説しているのだ」と言いたいのはわかる。 だが、その主張には重要な人物が一人抜けていることに気が付いてほしい。 釈尊がどう説いたかです。 仏教とは、勝手な解釈の桐山教ではなく、釈尊が説いた教法です。 釈尊はすべて言葉で伝えたから、阿含経がすべてであり、 「説かれたことは説かれたままに、説かれないことは説かれないままに受け取る」 これが大原則です。 桐山さんの念力説は、阿含経のどこにもない。 つまり、説かれていないのだから、これは釈尊の説ではありません。 釈尊の説明を桐山さんが勝手な解釈で歪めることも、 これを信者さんたちが狂信するのも信仰の自由です。 ただ、釈尊の教法を歪めた悪業の報いは極めて大きいことだけは覚えておく、 というよりも、覚悟したほうがいいことは、何度も釈尊の言葉を引用したとおりです。
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