- 坐禅と動中の工夫16
161 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 20:35:13.60 ID:0RDRbPtE - 禅宗哲学序論(禅の歴史釈尊〜明治まで)
https://www.toyo.ac.jp/text-db/text/INOUE06/06-03_zenshutetsugakujoron.txt 栄西禅師、衆に示して曰く、わがこの禅宗は 〔1〕【 単 伝 心 印 】 〔2〕【 不 立 文 字 】 〔3〕【 教 外 別 伝 】 〔4〕【 直 指 人 心 】 〔5〕【 見 性 成 仏 】 その証、散じて諸経論中にありと。 建仁二年、将軍頼家その徳に感じて、地を王城の東に卜し、大禅苑を営み、建仁寺と名付く。建保三年七月五日入寂。千光国師と諡す。寿七五歳。
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- 坐禅と動中の工夫13
371 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 20:37:42.20 ID:0RDRbPtE - 禅宗哲学序論(禅の歴史釈尊〜明治まで)
https://www.toyo.ac....hutetsugakujoron.txt 栄西禅師、衆に示して曰く、わがこの禅宗は 〔1〕【 単 伝 心 印 】 〔2〕【 不 立 文 字 】 〔3〕【 教 外 別 伝 】 〔4〕【 直 指 人 心 】 〔5〕【 見 性 成 仏 】 その証、散じて諸経論中にありと。 建仁二年、将軍頼家その徳に感じて、地を王城の東に卜し、大禅苑を営み、建仁寺と名付く。建保三年七月五日入寂。千光国師と諡す。寿七五歳。
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- 坐禅と動中の工夫13
372 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 20:40:17.15 ID:0RDRbPtE - >>367 シコシコだ!
カリ首を吊れ!
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171 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 20:53:58.37 ID:0RDRbPtE - 新・からっぽ禅蔵
https://blog.goo.ne.jp/logos1961/e/f8969277d8f76f78f0a3e30a77249ad0 ここに於いて森氏は、 「第一にあげられるのは、人間の本性の内容を虚無とするものである」 と述べる。 そして、虚無である人間の本性を失わせるものとしては「有」があり、これを排除すべきとする。 その排除すべき「有」として、 「五色・五味・五声などの感覚・喜怒哀楽の感情の対象となる富貴や名誉・人為の知識を増す学問・仁義礼知などの道徳」を挙げる。 これらを除き去ると、あとには何も残らない。結果、 (C)【人間の本性は虚無なのである】とし、『荘子』の外篇に属す天道篇の語として、 (D)【虚無恬淡(きょむてんたん)、寂漠無為(せきばくむい)】を挙げて言う。 「これは明らかに老子が説いた虚無を、そのまま人間の本性としたものであり、老子の影響を強く受けていることをしめす。 (E)荘子の内篇も、むろん虚無を説くが、しかしそれはすべてを受け入れるための空間であった。したがって老子の無のように、有を排除するものではなかった。
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176 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 21:03:32.96 ID:0RDRbPtE - >>170
あなたの見解が正しいと思うよ、縁起と言う時それは変化して行く様を言う、生滅である、そこに時系を認めるのは妄念 しかし、空となると、変化は有れど、そこに時間という観念は微塵もなく、そこは真如であると
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- 坐禅と動中の工夫16
179 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 21:11:05.95 ID:0RDRbPtE - 1から2が生まれ万象が出現す、これは変化であり時間の観念とは無縁のもの
変化とは距離であり空間のこと、これを存在と言う、存在は空であり変化の在るがままであると
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- 坐禅と動中の工夫16
180 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 21:14:13.13 ID:0RDRbPtE - >>177
変化と言ったら空間が意識され時間が生じる 故に言葉を絶するをもって空とする 、しかし変化はあるのである
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182 :神も仏も名無しさん[]:2021/04/08(木) 21:20:05.85 ID:0RDRbPtE - >>178
空として映じないから、こう言う疑念が生じる、中論も言語であり、時間の観念から逃れ得ない 【 不 立 文 字 】である
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