- 阿含宗という宗教 320
463 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 22:28:12.63 ID:7E/W7P5R - >>461 神も仏も名無しさん 2021/01/18(月) 22:14:25.22 ID:RPb/W1yg
>「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、 >三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。」 >(『原始仏教入門』水野弘元、佼正出版社、231頁) >「四禅四無色定」とあるから「心が安定し〜確固不動のものになると」は解脱であるは嘘。 いや片山氏はその沙門果経での四禅を修し終えた比丘のこの表現について、 八等至の自在と書いているではありませんか。 八等至の自在とは四禅四無色定の八定の時代でしょ。 ならばもう悟りを開いていてもおかしくない最高の禅定に達しているということではないですか。
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464 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 22:34:27.31 ID:7E/W7P5R - >>462
ところが桐山さんはそうは言ってないんですね。 修行、学問そんなものは何の役に立たないと思い知らされた。 サヘトマヘトでの体験談ですね。 もちろん修行も学問も何の役に立たないということはないだろうが、 それだけではだめで、自分の修行だけでは駄目で、仏陀から思念を受けてカルマを断つパワーとも言うべき智慧を得られたと書いてある。 四諦を修行してカルマを断つ智慧を得たなんて 書いてませんね。 要するにあなたはこういう桐山さんの話は戯れ言に過ぎないと言ってるんですよね。 私もそう思います。
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465 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 22:35:12.94 ID:7E/W7P5R - 八定の時代→八定の自在
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466 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 22:40:54.27 ID:7E/W7P5R - そもそも4諦の真理を理解認識して四諦の道諦である八正道を実践するなんてのは、
アナゴンどころかシュダオンになる前からずっと実践し続けているわけですからね 。 なぜならば八正道の中には戒定慧が全部入っているからです。
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470 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 23:07:37.00 ID:7E/W7P5R - >>467 神も仏も名無しさん 2021/01/18(月) 22:44:52.67 ID:RPb/W1yg
>では前と同じ質問をするけど、どうして水野博士は >「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには」 >と書いたのですか? 四禅四無色定に熟達した者=八等至の自在ではないですか。 四禅までの修禅記述しかないのに。 だからいつでも悟りを開ける状態だったわけですね。 いつでも神通力を発揮できる状態だったわけですね。 ちなみに神通力はそこから特別な修行してなんて書いていない。 心を向けたら神通も示したというだけです。 そして悟りについても四諦に心を向けたら解脱していることを確認したというけです。 特別な主義はしていない。 心を向けただけです。 ならば四禅までの修行で(順番で戒と定しかやっていない)そこまで行けたのか言うとそんなわけはない。 ちゃんと慧の修行もしていた。 四諦八正道の修行もしていたから禅定においては八等至の自在、四禅四無色定に熟達しているだけで、 心を向けただけで己の解脱を確認できたのです。(漏尽智) これは入門以来の戒定慧の戒定慧=八正道の修行が実って解脱したのです。 だから四禅を終えた後でも小さな煩悩も離れていたのであり、解脱していたのです。
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471 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 23:17:45.69 ID:7E/W7P5R - >>468 神も仏も名無しさん 2021/01/18(月) 22:49:54.89 ID:RPb/W1yg
>実践してはいるが認識はしていませんね。 認識しないで実践なんかできますか? 四諦とは苦諦、集諦、滅諦、道諦という真理ですよね。 苦しみは煩悩を集めているから起こるのであり煩悩を滅すればよいのだが、 滅する道が八正道という真理です。 これを理解せずにどうして実践にとりかかれる。 そして八正道を実践して煩悩を滅して苦から離れたと認識できるようになる。 この認識を得るには八正道の実践を日常生活でしなければならないのだが、 それは四禅を終えて神通も示してそれから初めて実践するのですか? そうではなくもう長年実践してきている。 そして煩悩滅して苦から離れた。苦とは心が安定してないことだった。 依然として人間は老いて死ぬ。 しかしそんなことは当たり前であると悟り、心はそんなことに動かされずに安定している。 だからそんな比丘が心を向けただけで心の安定=解脱を得ていたと知るのです。 だから回りくどい表現にも思えるが、解脱していたという事実が先にある。 心を神通に向けたら神通が示されたし、心を真理に向けたら解脱していたと知るわけです。
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473 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 23:19:40.17 ID:7E/W7P5R - >>469
いや、修行、学問、そんなものは役に立たないは言い過ぎでしょう。 自分の修行の他に飛躍的なプラスアルファが必要だと示したのであり、 四諦を認識して解脱するなんて桐山さんは示してもいない。
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474 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 23:31:09.09 ID:7E/W7P5R - 桐山さんは四諦を認識することで解脱を得るなんて認めてません。
なぜならば桐山さんは八正道は初学の者に説かれたものだと軽視しているのです。 しかし四諦の要は八正道です。 八正道の実践がなければ四諦など成立しない。 その認識がなければ成果も認識できない。 だからペテン大作さんは桐山さんのこの説を否定したのです。
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475 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2021/01/18(月) 23:57:37.63 ID:7E/W7P5R - 我々は桐山阿含宗を批判しているのだから桐山阿含宗の立場に立って桐山阿含宗の教義に背くことなく
これの正当性を証明する反論が できなければ、いや、でキルできない以前にしなければ、我々に反論する意味がないのですよ。 逆に我々の桐山阿含宗批判ネタに反論できないから、別の仏教解釈ネタしか出さないと周囲は見てしまい、 それはすこぶる損な話です。そちらにとって。
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