- 阿含宗という宗教 318
622 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 18:56:07.44 ID:xgnCQBb1 - >>616-617、>>619-620
信者さんたちはごらんなさい。 ペテン大作さんが「四諦→解脱」と認めましたよ。 神通力でカルマ解脱するというオカルトを主張して、苦節十数年にして、 結局、「四諦→解脱」という当たり前の仏教に到達した。 四谷大塚の生徒なら10分で理解できる内容を、卒業生の彼は十数年かかった。 拍手してあげましょう。 ただ、彼はせっかく手が届いたのに、またそれに因縁を付けて、 「漏尽智→解脱」だと言い変えようと、意味不明の屁理屈を並べている。 彼以外は誰もわからない独り合点のペテン大作教で、阿含宗の教義でもなければ、 仏教の教義でもありませんから、勝手に吠えさせておきましょう。 三人以外の信者さんたちは、せっかくペテン大作さんが 「四諦→解脱」まで示したくれたのですから、正しい仏教を理解しましょう。 四諦(苦集滅道)で「道」とは漏尽智ではなく、八正道です。
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623 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:01:13.79 ID:xgnCQBb1 - 「道諦(どうたい) -悟りに至るためには八正道によるべきであるということ。」
(ウィキペディア) これは四諦(苦集滅道)の「道」の説明です。 このウィキペディアの、四諦の解脱とは「八正道によるべきである」と いう解説は、ほぼすべての仏教書でもこのままです。 信者さんたちの好きな成仏法という言葉で表現するなら、 釈尊の説いた成仏法とは八正道です。 ただし、仏教では成仏法などという奇妙な言葉は使わず、「道」と言います。 仏教の解脱とは八正道の実践よるというのは、深山説でも批判側説でもなく、 学者の解説した標準的な仏教書ではほぼこのように説いています。 もちろん、漏尽智で解脱するなんて、どこにもありません。
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624 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:05:11.74 ID:xgnCQBb1 - 「(道諦)とは,苦の止減に到る道筋についての真理であり正見・正思惟な
どのいわゆる八正道として示される.」(岩波仏教辞典、437ページ) 私が三人以外の信者さんたちにお勧めしたいのは、 「標準的な仏教の教義」を学び理解することです。 信者さんたちは、いきなり阿含宗というオカルトを学んでしまい、 それに染まっていることが多い。 その多くは、例えば因縁解脱、成仏法、霊障のカルマなどのように、 標準的な仏教では通用しないような用語や教義で出来ている。 信者さんたちはオカルト仏教に汚染されている。 それを信仰するのは信者さんたちの自由だが、その前に、 宗旨宗派を問わず、世界的にも仏教の教法として 認められている教義をきちんと学んではどうでしょう。 最終的に信者さんたちが何を選択するかは自由だから、 仏教の正しい知識と、自分の信仰を分けて考えることです。 知り合いから「因縁解脱?霊障解脱?そんな解脱は仏教のどこにあるのですか」と 質問されたら、何と答えますか? 「難しいことはわからん」と逃げれば、何も知らずに狂信しているとみなされ、 ペテン大作さんのように自己陶酔的な意味不明の屁理屈をこねくりまわせば、 宗教基地外だと思われて終わりです。 信者さんたちはペテン大作さんみたいにだけはなりたくないでしょう。 だったら、正しい仏教の知識を持つことです。
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625 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:09:12.45 ID:xgnCQBb1 - 「(道諦)とは,苦の止減に到る道筋についての真理であり正見・正思惟な
どのいわゆる八正道として示される.」(岩波仏教辞典、437ページ) 四諦(苦集滅道)は仏教のすべて、まとめです。 四諦で解脱するのではなく、四諦には解脱が説かれており、 解脱に至る道こそが八正道です。 四諦は仏教のすべてだと理解した上で、次の桐山さんの文章を読んでください。 「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、 「八聖道」ではないという確信を持った。」 (『般若心経瞑想法』115頁) 信者さんたちは驚きませんか。 岩波仏教辞典にさえも書いてある内容を桐山さんは否定している。 四諦(苦集滅道)の「道」とは八正道であることは、学者の間で 異論があるのを見たことがない。 信者さんたちの中には「いや、桐山ゲイカは修行によって 体得されたのだ」と言うかもしれないが、それなら なおさら桐山さんの間違いです。 なぜなら、釈尊本人が「道」とは八正道だと説明しているからです。
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626 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:13:23.86 ID:xgnCQBb1 - 「また比丘たちよ、行為の滅へと通じる道とは何か。
それは、聖なる八支の道(八聖道)、すなわち正しく見ること(正見)・ 正しく思惟すること(正思惟)・正しく語ること(正語)・正しくふるまうこと(正業)・ 正しい生活を営むこと(正命)・正しく努力すること(正精進)・ 正しく思念すること(正念)・正しく心を統一すること(正定)である。 比丘たちよ、これが行為の滅へと通じる道であるといわれる。」 (『原始仏典U 相応部経典4』春秋社、344頁) これは釈尊が苦集滅道の説明をした経典で、「滅」の後の「道」ついての 説明が上記です。 明瞭に釈尊は苦集滅道の道とは八正道だと説明しているのだから、 議論の余地もありません。 学者たちはこういう経典を見ていますから、全員が 四諦の道を八正道だと解説しているのも当然です。 ところが、桐山さんだけは 「「八聖道」ではないという確信を持った。」 という。 釈尊本人が八正道だとおっしゃっているのに、 桐山ゲイカは八正道ではないと確信を持っていると言う。 信者さんたちはどうしますか?
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627 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:17:15.61 ID:xgnCQBb1 - 「また比丘たちよ、行為の滅へと通じる道とは何か。
それは、聖なる八支の道(八聖道)、すなわち正しく見ること(正見)・」 (『原始仏典U 相応部経典4』春秋社、344頁) 「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、 「八聖道」ではないという確信を持った。」 (『般若心経瞑想法』115頁) 信者さんたちに目をそらさずに良く見てほしいのです。 釈尊は四諦の「道」とは八正道だと言い、桐山さんは違うという。 普通の知性のある信者さんたちなら、立ち往生しましたよね。 学者の説や批判側の説なら、ペテン大作さんみたいに あれこれ屁理屈の因縁を付けて、誤魔化すこともできるだろうが、 釈尊本人が八正道だと明瞭に八つ並べて言っているのに、 桐山さんはこれに逆らって否定しているのだから、説明がつかない。 でも、普通の知性のある信者さんなら、その知性が 今、答えを信者さんにささやいたはずです。 桐山さんの無知、桐山さんの嘘、です。
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628 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:24:05.13 ID:xgnCQBb1 - 「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、
「八聖道」ではないという確信を持った。」 (『般若心経瞑想法』115頁) 信者さんたちはすぐには認めたくないだろうが、 桐山さんの嘘、良く言っても無知であるという以外に説明がつかない。 四諦という仏教の基本中の基本について、なんと桐山さんは釈尊の言葉を否定した。 つまり、桐山さんは四諦など理解できなかったし、 私が引用した経典など読んだこともなかった。 私は代表的な経典を引用しただけで、阿含経のあちこちに 四諦の道とは八正道だと説明がありますから、本当に阿含経を熟読したら、 知らないはずがない。 桐山さんは何晩も徹夜して阿含経を読みふけったとおっしゃっていましたね。 もちろん、そんなのも嘘なのはこれを見れば十分です。 もし読んでいれば、彼は超人的記憶力を持っているのだから、 釈尊の言葉に反するようなことを書いたりしないでしょう。 経典を読んでいなくても、学者たちの解説を丁寧に読んで、 その証拠や根拠を理解したら、彼らが独断と偏見で書いたではなく、 釈尊がそのように述べているからだと気が付きます。 だが、桐山さんはそんなこともわからず、釈尊の教法を否定するような ことを堂々と書いてしまった。 桐山さんはペテン大作さんと同じで、付け焼刃的に阿含経や学者の解説を 引用して我説の補強に使ったにすぎず、仏教など理解していない。 だから、二人ともボロを出した。
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629 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:27:07.56 ID:xgnCQBb1 - 「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、
「八聖道」ではないという確信を持った。」 (『般若心経瞑想法』115頁) 信者さんたちは桐山さんが八正道をとても低くみていることに気が付きましたか? 宝生創価センセが八正道を薬の説明文だと小馬鹿にした。(>>383) この態度は、実は師匠の桐山さんから学んだものです。 宝生創価センセは阿含宗の教義もろくに知らないのに、 こういう、他人を侮蔑するような事だけはすぐに体得した。 きっと二人とも性格が悪いのでしょう。 桐山さんが八正道をどう見ていたかは、次の文章が典型です。 「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。 「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」 (『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁) スッサマジイことを桐山ゲイカが書いたことに気がついてください。 「八正道だけでは完全には解脱できない」 「八正道は、初学の弟子に説いたもの」 仏教を理解した者が読んだら、卒倒しそうな桐山ゲイカのお言葉です。 卒倒とは、大袈裟な話ではなく、桐山ゲイカが 釈尊に向かって、罵倒していることにお気づきですか?
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630 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:31:08.53 ID:xgnCQBb1 - 「八正道だけでは完全には解脱できない」
「八正道は、初学の弟子に説いたもの」 四諦(苦集滅道)は、繰り返しになりますが、仏教のすべてであり、 これ以上も以下もありません。 釈尊の説いた教法のすべてです。 そして、苦集滅道の「道」とは、八正道だと釈尊は説明している。 解脱するには八正道しかないのです・・と私が書いても 信者さんたちは疑うかもしれないから、釈尊本人の言葉を読んでください。 「もろもろの道のうちでは(八つの部分よりなる正しい道)が最もすぐれている。 もろもろの真理のうちでは(四つの句)(=四諦)が最もすぐれている。」 (『真理のことば 感興のことば』中村元、48頁) これを見ればわかるように、釈尊は四諦八正道を説いたのであり、 これこそが最高の最上の法だと言っている。 ご希望とあれば、八正道こそが涅槃に至る道であると説いた経典を 5つでも10個でも並べることができる。 釈尊は四諦八正道を獅子吼したのに、 桐山さんを解脱できない、初学のオシエと罵倒した。
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631 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2020/11/22(日) 19:35:21.88 ID:xgnCQBb1 - 「比丘たちよ、そのようにして、比丘もまた、聖なる八支の道を修め習い、
聖なる八支の道の修行を重ねれば、涅槃におもむき、涅槃に傾き、涅槃に注ぎ入るのである。」 (『阿含経典3』増谷文雄、169頁) 「しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。 「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」 (『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁) 信者さんたちは両者を何度でも読み比べてください。 声に出して、読んでみるべきです。 もし、信者さんたちに多少とも釈尊への尊崇の念や信仰の心があるなら、 恥ずかしさに身の縮む思いがするはずです。 釈尊を拝んだつもりで、その釈尊の最高の教法を理解どころか、 逆に罵倒する教祖の信者でいたことに、愕然とするはずです。 もちろん、ここにいる恥知らずの三人は、上記を読み比べても 何が問題なのか理解できないし、私のこの指摘の意味さえもわからない。 上記を読み比べて、身が震えるほどのショックを受ける信者は ほんのわずかしかいない。 心のある信者さんは目をそらさず、上記の経典と桐山さんの文章を 何度も読み比べて、自分がいる教団がどういう教団なのかを理解することです。
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