- 阿含宗という宗教 318
619 :神も仏も名無しさん[]:2020/11/22(日) 18:13:23.72 ID:QR4yk5vP - >>616
訂正 この引用は削除します。 ↓↓↓↓↓↓ 「是れ即ち一切の有漏煩惱を斷盡し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、 所作すでに辨じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し」 (『望月佛教大辞典 第五巻』世界聖典刊行協会、5082頁)
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620 :神も仏も名無しさん[]:2020/11/22(日) 18:23:55.22 ID:QR4yk5vP - >>618
負け兎の遠吠えはやめなよ。 深山さんを頼らず自分で論文を噛み砕きなさい。
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632 :神も仏も名無しさん[]:2020/11/22(日) 20:36:42.68 ID:QR4yk5vP - 「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、
汚れなく、柔らかで、巧みで、確立し不動となったときに、 諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。 そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。 〔以下、四諦に関連して説いているが、後世の付加であろう。〕 われがかくのごとく知り、かくのごとく見たときに、 心は欲の汚れから解脱し、心は生存の汚れから解脱し、 心は無明の汚れから解脱した。 解脱しおわったときに、「解脱した」という智が起こった」 (『ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯』中村元、春秋社、184頁) 「そこでこの(一切は)苦であると如実に知った」という部分 が漏尽智の内容になります。 (普通の読解力があれば分かる) これは四聖諦だから、この後に解脱と解脱知見が続く。 だから「漏尽智→解脱」になるのです。 こんな当たり前のことを議論していたのかと思うとバカみたいです。
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