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神も仏も名無しさん
★★ メソジスト・ホーリネス の流れ ★★ [無断転載禁止]©2ch.net
ローマカトリック教会

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★★ メソジスト・ホーリネス の流れ ★★ [無断転載禁止]©2ch.net
926 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 01:41:26.49 ID:MaViRIZS
神の御許に召されましたジュゼッペ様が
安らかにお眠りになられます事をお祈り申し上げます。

人工呼吸器は若い人に……譲ったイタリア人神父、新型ウイルスで死去
https://www.bbc.com/japanese/52029836?fbclid=IwAR1SlaZsi68fQke2FVmS96IhfiHF9UGtHGfgwCZWBTqZHaJqNv-PAxQ6l5M
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801 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 01:46:06.52 ID:MaViRIZS
人工呼吸器は若い人に……譲ったイタリア人神父、新型ウイルスで死去
https://www.bbc.com/japanese/52029836?fbclid=IwAR1SlaZsi68fQke2FVmS96IhfiHF9UGtHGfgwCZWBTqZHaJqNv-PAxQ6l5M
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802 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 01:46:41.69 ID:MaViRIZS
神の御許に召されましたジュゼッペ様が
安らかにお眠りになられます事をお祈り申し上げます。
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928 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:22:37.71 ID:MaViRIZS
三島由紀夫研究会ニュースレター (令和2年3月25日)
                      通算第114号
=====================================
=============================
♪三浦小太郎「ドストエフスキーと三島由紀夫」
   (令和2年2月27日開催公開講座講演録)
=============================

はじめに 
本日はコロナウイルスの騒動が続く中、私如きものの講演会にこんなにたくさんの方に
ご参集いただき誠にありがとうございます。本日は、三島由紀夫研究会という伝統ある場に
相応しいかどうかはわかりませんが、主としてドストエフスキー、特に彼の政治思想という
あまり論じられない面について、私なりのお話をさせていただければと思います。
ドストエフスキーが多くの偉大な文学作品を生み出したことはここで紹介する必要もないと
思いますが、同時に彼は、『作家の日記』と題する個人雑誌を発行し、そこに膨大なエッセイ、
というより政治評論をその晩年に書き続けてきました。個人雑誌と言っても、当時のロシア帝国に
おいては数千部の購読者層を持ち、かなりの愛読者がいたことも確実です。『作家の日記』全体の分量は、
かの『カラマーゾフの兄弟』の二倍を超えるものであり、ドストエフスキーの政治的立場が赤裸々に表れて
いるのですが、これまで、ごく一部の評者を除けば、きちんと論じられることはまことに少ないものでした。
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929 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:23:54.27 ID:MaViRIZS
その理由は、ここでのドストエフスキーの言説があまりにも極端、今風に言えば「ネトウヨ」としか思えないものが
含まれていたからでした。いわく、ロシアの対トルコ戦争は聖戦でありこの戦争を全面支持する、ロシアは
コンスタンチノーブルを占有せよ、今ヨーロッパ文明は滅びつつあり、その黒幕はカトリックだ、平和主義はナンセンスだ、
ユダヤ人はロシアに「国家内国家」を作り陰謀をたくらんでいる・・・多くのドストエフスキー論者は、この文豪がこんな
偏見に満ちた言説を語ることに戸惑い、本作をほぼ無視してきたのでした。
しかし、日本では小林秀雄、河上徹太郎、そして渡辺京二などの数少ない論者が、本書の価値を過たず読み取ってきたように、
この作品は、表層の言説を越えて、今現代の私たちが読み取るべき多くのテーマを語りかけてきます。しかも、まるで今日の
様々なネット論者の言説とほとんどその語り口が同じというところがまた読んでいて面白い。私はここ数年、故の『作家の日記』を
時々読み返してきたのですが、今回、私なりの本作への想いを『ドストエフスキーの戦争論』(萬書房)という一冊の本にまとめることが
できました。絶対に売れそうもない本を出してくださった出版社の方には感謝の想いしかありませんが、皆様も本日の私の話に興味を
持たれましたらご一読いただければ幸いです。
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930 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:27:47.86 ID:MaViRIZS
ドストエフスキー対トルストイ
「アンナ・カレーニナ」の平和主義への批判

まず、『作家の日記』におけるドストエフスキーの平和主義批判について紹介させていただきます。
ドストエフスキーは、トルストイが代表作の一つ「アンナ・カレーニナ」最終部で展開した、露土戦争に向かう
義勇兵を批判した部分について、この偉大な作品の大きな傷の一つとして反論を展開しています。
露土戦争とは、1875、76年にかけて、今のバルカン半島を中心に起きたスラブ民族の独立運動に対し、
彼らを支配していたオスマン・トルコ帝国が残酷な弾圧を加えたことに始まります。ロシア帝国政府は当初、
かってのクリミア戦争での敗北の経験などから消極的な姿勢を示していたのですが、ロシア民衆は、キリスト教徒である
同胞のスラブ人をトルコの虐殺から救え、という声が沸き上がり、義勇兵が編成され、ロシア政府の宣戦布告を待たずして戦場に向かいました。
この民衆運動を全面的に支持したのがドストエフスキーであり、批判的だったのがトルストイでした。トルストイは、
『アンナ・カレーニナ』の最終部で、アンナを失った恋人が義勇兵を志願するシーンに加えて、トルストイの分身と思しき
レ—ヴィンの反戦論を書きつけました。レ—ヴィンは簡単に言えば、戦争は忌むべきものであり、スラブ人の救援に行くというのは大義名分で、
結局、他者を殺しに行くだけのものではないか、今義勇兵に向かうのは扇動者に踊らされた一部の人間で、決して民衆全体ではない、
という趣旨のことを語ります。ドストエフスキーは直ちに、それならば、レ—ヴィンは現実のトルコ人がキリスト教徒を虐殺している現場では
どういう態度を取るというのか、という疑問を投げかけています。
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931 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:28:39.76 ID:MaViRIZS
「ではひとつこんな場面を想像してみることにしよう。(中略)レ—ヴィンはすでに、剣をつけた銃を手にして、その現場に立っている。
それから二歩ほど離れたところでは、トルコ人が早くも抱きかかえられた子供の目を針で突き刺そうとして、いかにもご満悦の様子で身構えている。
その子供の7歳になる姉が泣きわめきながら、トルコ人から弟を取り戻そうとして気違いのようになって飛びかかる。ところがレ—ヴィンは思い迷って
ぼんやり突っ立ったままためらっている。」
 そして、レ—ヴィンの内心の声が、あのトルコ人を突き飛ばせ、子供を救えと叫んでも、レ—ヴィンの「反戦論」の立場ではこう考えるしかないと
ドストエフスキーは続けます。
「突き飛ばせだって!でも相手が子供を話すのをいやがって、サーベルを抜いたらどうしよう?ことによると、あのトルコ人を殺さなければならないことに
なるかもしれないじゃないか?いいや、殺すなんてことがどうしてできるものか!だめだ、あのトルコ人を殺すわけにはいかな。そうだ、いっそのこと目でも
なんでも突き刺させ、子供をなぶり殺しにするに任せておいて、ぼくはキチイ(レ—ヴィンの妻)のところへ帰るとしよう」(『作家の日記』)
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932 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:29:35.13 ID:MaViRIZS
 ドストエフスキーはここで戯画化した形で、トルストイの、そしてあらゆる絶対平和主義(いかなる場合でも暴力を否定する)の偽善を暴いています。
暴力を否定するのはいい。しかしそれならば、目の前で現実に繰り広げられている悪しき暴力に対して、平和的にいかなる手段でそれを止められるかという
答えがなければ、その理想は自己満足に過ぎない。これは憲法9条とその平和主義に対する根源的な批判にもつながるものですが、同時に、ここでドストエフスキーは、
平和主義の美名のもと安全地帯に常に身を置く知識人の欺瞞に対する鋭い批判ともなっています。
実は1960年代のベトナム反戦運動に対しても、三島由紀夫氏はドストエフスキーと極めて近い視点から批判を行っています。自決の約1週間前、
左翼的な批評家古林尚のインタビューに答えて、、スウエーデンで行われた、ベトナム戦争に反対し米軍の虐殺に抗議する集会で、そこでぼろぼろの服を着た
難民のような人が証言した、しかし、それを聞いているスウエーデンの上流階級の運動家たちは、綺麗な着物を着て、犬を連れている人もいる、その人たちが、
ああ、ひどいことだ、かわいそうだと涙を流している、そこに何とも言えない違和感があるという風景を紹介した上で「スウエーデンは12世紀、ロシアに敗れたという
(精神的な)傷を回復できなかったから、ああいう相対主義の国になってしまった。」と解説しています。
日本でも、「戦争はよくない」という立場から、当時ベ平連をはじめとして様々なベトナム反戦運動がおこりましたが、彼らの偽善性は、実はトルストイの登場人物や、
スウエーデンの平和主義者たちよりはるかに悪質でした。小田実にせよ、反戦運動の指導者たちはや平和主義を装いながら、結局北ベトナムの側を結果的に支援したのです。
なぜなら、彼らはパリ協定で一度結ばれたベトナムの和平を踏みにじってきたベトナムが南進した際に、断固北に抗議する反戦運動などしなかったではありませんか
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933 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:30:28.27 ID:MaViRIZS
ドストエフスキーの戦争賛美

 さらにドストエフスキーは『作家の日記』にて、「逆説家」という人物の発言を引用する形で
「現代の平和はあらゆる点で戦争に劣っている」という、戦争を平和の上に置く「逆説」を展開しています。
この戦争賛美の言説を批評する前に、まず、ドストエフスキーが当時のロシア社会をどのように分析していたかを
見ておく必要があります。
 ドストエフスキーにとって、19世紀末のロシア帝国は、特に農奴解放令が出てから、西欧近代の価値観が科学技術や経済と共に流れ込み、
旧来の伝統秩序や信仰、民族意識、同胞意識などが解体していく時代でした。農奴解放を偉大な事業としてドストエフスキーも評価しては
いるのですが、同時に、解放された「農民」たちは、土地を今度は借金をして手に入れなければならず、また、近代的な経済改革が社会全土で進み、
他国の資本が流入することで富の格差が急激に広がります。
今で言えば「国際金融資本」の浸食による共同体の堅いですね。ミール共同体と言われた農民を含む庶民の共同体は、資本主義の発展と、
「個人の自立」のなかで解体していき、共同体の根本をなしていたロシアのキリスト教伝統もその力を失っていきました。経済的恩恵に与れず、
或いは失敗して霊悪した民衆の中には酒におぼれ酢悪癖が目立ち、社会のモラルも解体していき、逆に弁護士や裁判所がすべて法律に基づいて
物事を処理していくようになります。
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934 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:31:47.54 ID:MaViRIZS
宗教や道徳に変わって科学と法律が優先され、それは「子供の自由」「科学的な教育」「個性の尊重」「旧来の陋習からの解放」などの掛け声の中、
家庭の秩序すらも崩壊し、若い人々は疎外感と無神論にとりつかれ、その精神的基盤を失って、自殺者が増加していきます。これは、現代社会のことを
言っているのではありません。繰り返しますが、ドストエフスキーが当時のロシア社会について述べていることを簡単にまとめてみたものです。
ドストエフスキーは直截的には次のように述べています。
「(資本主義社会の平和のうちに)富を手に入れるのはわずか十分の一の人間だけであり(中略)必要以上の富の蓄積が偏在することによってその富の
所有者のあいだに感情のがさつさが生じる」
「経済的格差の拡大に伴い、ついには途方もなく残酷な社会が生まれる。指の傷口から流れる血を見ただけでも卒倒するような」人間が、
貧しい人に対して平然と、
ほんのわずかな負債が払えないだけでも牢獄にぶちこもうとする。そして行き着く先はこのような社会なのだ。」
「人間同士の連帯感、人間の友好的団結、社会の相互依存に対する信頼は失われ『誰でもみんな自分のため、ただひたすら自分のため』
というテーゼが声高らかに唱えられるようになる。(中略)その結果、すべての人間が互いに相手を避け、ますます孤立化するようになる。」
このような状況下、ロシアでは民衆が疎外感に陥り、経済的格差により分断され、人間の価値が財産や社会的地位でのみ判断されるような世界観が
蔓延する時、それを唯一民衆の側から打ち破れるものとして、ドストエフスキーは「戦争」を讃美したのでした。ドストエフスキーは、
露土戦争に対する民衆の熱狂を次のように書いています。
「民衆は、新しい、生まれ変わらせてくれる偉大な一歩を踏み出す覚悟が、自分たちにはできていると信じている。」「皇帝の詔勅が読み上げられると、
民衆は十字を切って、みんなが戦争がはじまったことを祝い合った。われわれはこの耳でそれを聞き、この目でそれを見た。」
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935 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:32:49.19 ID:MaViRIZS
 そして、この戦争は「主人と奴隷を和解させ」、財産や地位ではなく、勇気と英雄的行為によって賞賛を受ける英雄時代の始まりのなかで、ロシア民衆に一体感を取り戻させたと
いうのでした。これは、大東亜戦争を「近代の超克」と述べたのと全く変わりません。まるでかっての日本浪漫派を思わせる口ぶりで、ドストエフスキーは露土戦争を「八紘一宇」のように語っています。
「われわれは世界に向かってまっ先に、われわれにとっては異民族である諸国民の個性を圧迫することによってわれわれは自国の繁栄を手に入れようとしているのではなく、むしろ反対に、ほかのあらゆる国民の
この上なく自由で誰にでも左右されることのない自主的な発展と、諸国民との同胞的結合の中にのみ自国の繁栄を見るものであることを宣言することになる。」
「互いに足りないところを補い合い、相手の本来の特性をこちらに接ぎ木するとともに、こちらからも接ぎ木のために自分の枝を相手に分かち与え、互いに心と魂を通い合わせ、学ぶべきものは学び、
教えなければならないものは教えながら、人類が、諸国民の世界的交流によって普遍的な統一体に成長し、見上げるようなすばらしい巨木となって、その影で幸福な地上をおおいつくすようになるまで
助け合っていく同胞的結合の中にそれを見るのである。」
 これを、ロシア帝国の侵略性を無視し、自国を讃美する聖戦論とだけ介錯するのは間違っています。ドストエフスキーが訴えようとしたのは、ロシア政府の政治的意思を乗り越えて、民衆が近代社会の
枠組みを超え、新たな幻の共同体、資本主義の金銭支配でもなく、共産主義の収容所体制でもない、人間の根源的なユートピアに向かって旅立つ姿を、この戦争に熱狂するロシア民衆の中に見出したのでした。
今日は時間の関係で割愛いたしますが、ドストエフスキーは『作家の日記』最終号に載せた詩人プーシキンへの講演において、このテーマを詩人の文学を通じてさらに普遍的な形で語っています。
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936 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:33:49.74 ID:MaViRIZS
三島由紀夫の「わだつみ像」批判

 三島由紀夫もまた、『海と夕焼け』という短編にて、ヨーロッパ中世の少年十字軍に寄せて「神風がなぜ吹かなかったという、
大東亜戦争の形而上学的な問い」に触れているのをはじめ、
戦争と人間の関係について様々な形で、戦後平和主義の建前論に異議を申し立ててきました。これも自決直前のインタビューですが、
三島由紀夫は、「きけ わだつみの声」に対し、厳しい批判を行っています。
自分(三島)はあれを読んだ時に、これは絶対嘘だと思った。もちろろん、一つ一つの手記は本当に書かれたものだろう。
しかし、当時の青年たちは、自分たちが学んできたヨーロッパ、とくにドイツの観念論と、日本というものの価値観の間で
引き裂かれるような身もだえを感じていたはずだ。そこを突っ切った人たち(無言のうちに戦いに向かった人たちや、
天皇陛下万歳の一言に自分の想いを集約した人たち)と、悩んで戦争への苦悩を記した人たちと、前者が愚かで、後者が賢かったという、
極めて偏見に満ちた編集があの本に話されている。だから自分は、全共闘運動によって立命館で「わだつみ像」が倒されたと聞いて快哉を叫んだ。
三島は誤解を恐れずそこまで語っています。
三島にすれば、近代的な価値観の中で苦悩していた若者と、あえて近代を越え、民族の大義や祖国、そして天皇陛下万歳の一言を信じて旅立った若者の間に、
決して優劣をつけたくはなかったのだろうし、戦後の言論空間が前者の言葉だけを真実とし、後者の思想的な覚悟を蔑視していることが許せなかったのでしょう。
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937 :神も仏も名無しさん[]:2020/03/26(木) 15:34:58.90 ID:MaViRIZS
最後に、これはまだ私も今後研究していきたいテーマなのですが、ドストエフスキーと三島由紀夫というテーマを考える時、
三島が代表作の一つ『仮面の告白』にて、ドストエフスキーの「カラマーゾフの姜頼」からの言葉を引用していることが必ず指摘されます。
むしろ、ドストエフスキーの小説を思わせる哲学的議論を登場人物にさせている作品は『美しい星』なのですが、『仮面の告白』において、
私が忘れがたい一言を発していたのが、作家、中上健次でした。彼が「路地」、つまり同和地区や差別の問題にこだわり続けたことは
言うまでもありません。そして中上は、1970年代に行われた野間宏や安岡章太郎との座談会で、左翼的な建前論に終始する野間を制するように、
同和地区の文学の内容はあまりに薄い、差別語にこだわって糾弾することなど差別の本質と、あえて言えばそこから生まれる文化の豊かさに
比べたら無意味であり、今の在日朝鮮人や同和出身の作家の文学はあまりにも物足りない、と語っています。
そして中上は、差別の問題を最も深く認識していた作家として、まず谷崎潤一郎、そして三島の名をあげ、『仮面の告白』のなかで、
主人公が汚穢屋に激しく感情移入するシーンを「愛しい」と評していました。実は、ドストエフスキーの文学は、当時の差別されていた異端キリスト教、
それも過激な、去勢派、鞭身派などの、ある意味マゾヒスティックな修行を課した信仰にも深い影響を受けていることが、江川卓氏らの研究によって
裏付けられています。とても私などの読み解けるテーマではないかもしれませんが、ドストエフスキーと三島の内面の共通性として「差別」の問題も
また興味深いものかもしれません。それでは、これでまとまりのないものでしたが、本日のお話を閉じさせていただきます。どうもありがとうございました(終)
(文責;三島由紀夫研究会事務局)


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