- キリスト教を棄教して元の宗教に戻るにはどうしたらいいか
16 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:25:09.46 ID:lBeBqRwW - 「神の国は、見える形では来ない。」?
お久しぶりにコメントさせていただきます。 >天国が金銀宝石でできた素晴らしい場所だと描かれているのは、 >ヨハネの黙示録21章だと教わりました。 (中略) >この箇所に、はっきりと具体的な宝石の名前までが記されています。 そう書かれている一方、イエス自身は「神の国」について、 このようなことを語っているんですよね。 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 (ルカによる福音書/ 17章 20節~21節) イエスは「神の国は、見える形では来ない。」と語っているのに、 黙示録で描かれている「聖なる都」の方は、材質に至るまで バッチリ描写されているのはどういうことなのでしょう。 クリスチャンの方々は、こういう聖書の中にすらある不一致について、 疑問に思わないのでしょうかね。
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17 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:26:24.05 ID:lBeBqRwW - Re: 「神の国は、見える形では来ない。」?
> お久しぶりにコメントさせていただきます。 > > >天国が金銀宝石でできた素晴らしい場所だと描かれているのは、 > >ヨハネの黙示録21章だと教わりました。 > (中略) > >この箇所に、はっきりと具体的な宝石の名前までが記されています。 > > そう書かれている一方、イエス自身は「神の国」について、 > このようなことを語っているんですよね。 > > ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 > (ルカによる福音書/ 17章 20節~21節) > > イエスは「神の国は、見える形では来ない。」と語っているのに、 > 黙示録で描かれている「聖なる都」の方は、材質に至るまで > バッチリ描写されているのはどういうことなのでしょう。 ササキエルさんの指摘で思い出しましたが、 確か、「天国は目に見えなくて私達の心の中にある」というような話を 教会学校で教わったことを思い出しました。 私は記事の中で、「はっきりと具体的な宝石の名前までが記されて」書きましたが、 それは、潜在意識の中に、その当時の記憶があった表れです。 今思うと、教会学校では先生によって、またその時によって言うことが違うので、 子供心にも混乱したものです。 それから、ある合同集会に参加した時に、 中高年の御婦人方が雑談しているところを見たことがありますが、 あるご婦人は「私は天国にあるのと同じ宝石を全部集めたい」 と嬉しそうに語っていました。 この人も聖書の黙示録なんてろくに読んでいないか、 バイアスがかかっていてそれが天国の描写だと信じていたのでしょう。 まったく滑稽な話です。
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18 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:26:37.66 ID:lBeBqRwW - > クリスチャンの方々は、こういう聖書の中にすらある不一致について、
> 疑問に思わないのでしょうかね。 それを疑問に思わないほどの頭が単純な人が宗教にはまるのです。 たまたま最初に出会った宗教がキリスト教だっただけのことです。 そういう人たちがもし最初にエホバの証人に出会っていたら、 間違いなくその信者になっていたでしょうし、 それがオウム真理教だったらそれに洗脳されていたでしょう。 「キリスト教はこの世で唯一正しい」などとクリスチャンは言いますが、 一体いくつの宗教を比較したうえで言っているのでしょうか。 たまたま初めて出会った宗教がキリスト教だったくせに。 「私はいくつもの宗教を比較検討してキリスト教が正しいと判断し、 その上で入信する決意をしました」 などと言っている人を一人も見たことがありません
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19 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:29:06.78 ID:lBeBqRwW - Re: タイトルなし
> 天国の解釈については、桃栗さんが教会にいた頃に比べ、若干の変化が生じていると私は思います。 > イエス様に「私はあなたがたを全然知らない。」と言われる対象が、 > もしかしたら自分たちなのではないか?と、牧師たちに怖れが生じているんです。 > 聖書をよく読めば、確かにそうなんです。 > > そうした背景があるので、このテーマを語られることが少なくなってきたと思います。 > 少なくともあまり強調されなくなった、とは言えます。 確かに、天国の情景について教会で教わったのは、 その1回だけしか記憶がありません。 結局、牧師も含めてクリスチャンは天国の情景について、 それぞれに一定のイメージを持っているのでしょうが、 その根拠や由来については関心がないのかもしれません。 特に、牧師さんなど聖職者にとっては触れられたくない箇所かも知れません。 天国の情景だけではなく、クリスマスツリーややイースターエッグなど、 クリスチャンが当たり前だと思っていることの根拠や由来を調べると、 聖書と全然関係ないことが多い、ということに私は関心があります。
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20 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:31:14.69 ID:lBeBqRwW - Re: 神の国はインマヌエル
> 久しぶりに拝見しました。 > 「天国、天の国、神の国」私の理解は平凡なクリスチャンの方と同じです。 平凡なクリスチャンさんの理解って、これのことですか? >「天の国」と「神の国」の違い、わかります?これは、それぞらの福音書記者のコンテキストの違いによるものです。福音書の背景にはその福音書を作成した教会が前提とされます。どの時代、どの地域で、どんな人々を対象とした教会であったのか。その違いですよ。 これが答えですか? 抽象的な日本語を並べただけでさっぱりわかりません。 一般人には理解不能な難解で抽象的な言葉を長々と並べ立てて、 そして「私は分かってる、でもあなたにはどうせ分からない」という上から目線。 クリスチャンがよくやる相手を「煙に巻く」という手法ですね。 > 黙示録は、当時、迫害されていたため、ストレートに物事を言うことが出来なかったため、象徴的表現で書かれたと、聞いたことがあります。違ったら、ごめんなさい。 皮肉なことに、クリスチャンが書き込めば書き込むほど、 私が日ごろから言い続けていることが証明されてしまいます。 つまり、クリスチャンは聖書の中の都合の良い箇所は文字通り信じるのに、 黙示録という「都合の悪い」書物は文字通り信じないのです。 > 何年か前にコメントさせて頂きました。それからもずっと桃栗さんは、神様から離れられないのですね。それだけ、神様が桃栗さんのことをとらえていらっしゃるのではないでしょうか。 その考え方がまかり通るのなら、 原発に反対している人が多いのは、原発が人々の心を捉えているからですか? 米軍基地に反対している人が多いのは、基地が人々の心を捉えているからですか?
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21 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:35:03.42 ID:lBeBqRwW - Re: え!?
また私が日ごろから言っていることを裏付けるコメントが来ました。 > 私、教会の神父にも神学者にも「死んだことないから天国がどんなところかわかんない」と共通の答えをもらいましたが、今のプロテスタントは違うのですか!? > それに天の国の理解は「神との完全な一致」でカトリックは共通してるはずですが。えー!? キリスト教は大小様々な宗派、教派、教団、教会に分裂し、 それぞれが聖書や教義の解釈が異なり、 さらに、それぞれが自分たちの解釈ことが正しいと信じているのが特徴です。 今までに何度もこのことはブログで取り上げてきました。 この方のコメントも私の発言を裏付けるものとなりました。 > ていうか、ヨハネの黙示録って暗号文ですよね。もう解読コードもなくなっちゃってるから、 こちらも私の日ごろからの主張を裏付けるものです。 キリスト教は、聖書の都合の良い箇所はそのまま文字通り信じるのに、 都合の悪い箇所は例えだの比喩だの言い訳をして、文字通り信じようとしません。 そもそも、黙示録は暗号文だと誰が言ったのでしょうか? エホバの神ですか? イエスですか? 聖霊ですか? パウロですか? > エホバとかに都合よく使われて恫喝の道具にされていますけど。 プロテスタントの方こそ、この聖句を都合よく使って恫喝の道具にしていますが。 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。 ローマの信徒への手紙/ 06章 23節 プロテスタントはこの言葉を使って信者に罪の意識を刷り込み、 ひたすら懺悔と献金をさせるように仕向けるのです。 カトリックは違うのでしょうか。 そう言えばカトリックは何を根拠にマリアを崇拝しているのでしょうね。 聖書のどこに「聖母」という言葉があるのでしょう。 カトリックの聖書には書いてあるのでしょうか。
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22 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:37:33.13 ID:lBeBqRwW - Re: 天国ってどんなところ
> はじめまして。失礼ながら匿名とさせていただきます。私も両親がクリスチャンでしたので、幼少の頃日曜学校に通ってました。その後社会人になり現在に至るまでキリスト教との 関係はありませんでしたが、父も母も無くなった後にキリスト教とはどういうものなのか、又今回のブログのタイトルにあるように天国とはどういうところなのかと興味がわきました。 そんな中自分なりに他の宗教はどのような考え方をしているのかと調べてみました。 仏教は極楽、いわゆる無の境地に至り解脱するという事で、全ての苦から解放されるとのこと、しかしこれも同じく抽象的ではっきりどのようなところなのだろうかと思いました。 日本神道(神社)は、他の宗教のような経典は無く、自然から学び感謝し先祖を大切にする、他の宗教のようにこうしなければならないとか、何々をどのようにすれば天国に行けるという事は一切言っていません。 私の考えに通じるものを感じます。 私は、日本人にとっての 仏教や神道は、 宗教というよりもむしろ文化、習慣、風習と考えています。 宗教と文化・習慣・風習の違いを定義するのは難しいですが、 私が考えるその違いは、一つには人工的か自然発生的かということ。 他には、経典があるかないかの違いです。 「仏教にはお経があるじゃないか」という反論があるかもしれませんが、 クリスチャンが 聖書を読むように、日常的にお経を読む日本人がどれほどいるでしょう。 また、宗教はああしなさいこうしなさいとうるさいですね。
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23 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:38:35.08 ID:lBeBqRwW - > 又元有名俳優であったT,H氏によれば天国と言うところはその人その人が望むようなところ、その人にとって一番心地よいところと言っていたことを思い出します。
キリスト教が言っている天国と称しているところははたして万人にとって天国なのかどうなのかは解らないと言うことだけは言えると自分は思いました。長文となってしまいましたが是非ご意見をお聞かせいただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。 私の思うに、天国というのは現実逃避の場です。 人間なら誰でも永遠に生きていたいと思いますよね。 しかし、それは不可能なのが分かっているから、 「この世で死んでもあの世で生きていける」と現実逃避するのです。 また、身近な人を失うと悲しいですよね。 その悲しさを和らげるために「天国」という場を想像し、 「あの人は死んだけど、あの世で生きている」と信じて悲しみを和らげるのです。 別に、現実逃避することは悪いことではありません。 むしろ、この世の辛さ、苦しみなどを和らげるために必要な場です。 ただし、クリスチャンの場合は、 まるで自分たちが特権階級 にでもなったかのように、 自分たちが天国に行けることをひけらかし、 神を信じない=天国に行けない人たちを見下すのが不愉快なのです。 そういう風に言うと、決まってクリスチャンからこういう類の反論があります。 「そういうクリスチャンは本当のクリスチャンじゃない」 「そういう信仰は正しい信仰じゃない」 「本当のクリスチャンならそんなことは言わない」 クリスチャンは、何か自分たちに都合の悪いことが言われると、 それは正しいキリスト教じゃない、それは本当のクリスチャン じゃないなど、 言い訳ばかりして自分たちの正当性を主張します。 では、正しいキリスト教って何ですか? 本当のクリスチャンってどんなクリスチャンですか? 正しい信仰ってどんな信仰ですか? クリスチャンが言う 「本当」とか「正しい」ってどういう意味なのでしょう。 結局、それぞれに自分の判断基準こそが正しいと信じて疑わないのです。 この記事に書いた通りです。
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24 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/15(火) 21:41:13.27 ID:lBeBqRwW - Re: あれま
> こちらにレスがついていたのですね。気がつきませんでした。 > > ヨハネが歴史書である(=励ましの暗号)とする立場→文学類型説を唱える人。私の周りで一番説得力がある。 > 聖書を作った人→後のカトリック。 > 聖書が絶対でない理由→聖書はイエスが書いたものではない。聖書はイエスの存命中、或いは復活後すぐではなく、細部には問題がある (最古の福音書はAD60年頃のマルコ)。聖書は全てを書いていない(ヨハネ福音書最後より)。聖書はギリシャ・ローマの強い影響下で編纂されている。(=写本の言語の偏り) > まだまだありますが、九戸レベルならこれくらいでいいでしょう。 結局、クリスチャンは聖書の中の都合の良い箇所は文字通り信じるのに、 都合が悪い箇所は「聖書は絶対でないから」と言って逃げるのですね。 これで私の主張がまた裏付けられました。
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