- 何故キリスト教の牧師や神父の教えはレベルが低いのか
540 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/07(月) 02:28:45.30 ID:BU2pJfxi - ちょっと読んでみない?主なる神さまに対する辛口で厳しい批評だよ
キリスト教はユダヤ教の神は唯一の神であるとか全知全能だとか純粋な善神 と思われがちだけど、それは正しい聖書の読み方だろうか? ユダヤ教聖典のモーゼ五書と ヨシュア記の要約 http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/mohze5syo_yosyuaki.html
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541 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/07(月) 03:06:42.31 ID:BU2pJfxi - >ノアは神ヤハウェの指示に完全に従った。 神ヤハウェは40日間大雨を降らせ、大洪水
>を起こした。 この大洪水は40日間続いた。 …この大洪水が起こったとき、ノアは600 >歳であった。 >(批評・・・アダムの子孫の殆ど全ては死んだことになる。 水中に棲息していた動物は >生き残れたであろう。 しかし、これについての記載はない。 水中に棲息していた動物の >ことは創世記の作者の頭に無かったのだろう。 また、全ての山々の頂までが水没してし >まうような大洪水は有り得ない。 中近東の全ての山々の頂までが水没する為には5123 >mの海面上昇が必要である。 こんなことが有り得ないことは創世記の作者にはわかって >いただろうし、創世記が書かれた頃の一般人にもわかっていただろう。 創世記の作者は >無理をし過ぎている。 現代アメリカのキリスト教徒の中には聖書の一字一句をそのまま >信じている人が4000万人前後もいるというから、驚きである。)
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542 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/07(月) 03:09:30.38 ID:BU2pJfxi - >イサクが14歳位になった頃、神ヤハウェはアブラハムに言った。 「おまえが愛してい
>る一人息子イサクをモリヤの地(後にエルサレム神殿が建てられた所)に連れて行き、山 >の上でイサクを生贄として捧げよ」。…神ヤハウェは再びアブラハムに言った。 「私は誓 >う。 おまえは一人息子さえ私の為には惜しまなかった。 私はおまえを祝福し、おまえの >子孫を星の数ほどに増やそう。 おまえの子孫によって全ての民が祝福されるだろう」。 >その後、アブラハムとイサクは2人のしもべと共にベエルシバに戻り、そこに住み着いた。 >(批評・・・神ヤハウェは全く疑り深い神である。 これを見ても、神ヤハウェは 「世界 >を創造した最高神」 ではなく、「全知全能の神」 でもなく、「至高なる神」 でもなく、 >「純粋善神」 でもなく、「一流の神」 ですらないことが判る。 神ヤハウェが 「世界を >創造した最高神」 であれば、わざわざこんなことを試みなくてもアブラハムの心を読み >取れるであろうに。)
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543 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/07(月) 03:11:50.26 ID:BU2pJfxi - >(批評・・・エジプトを出たイスラエルの民のうち、歩ける男だけでも60万人もいると
>なると、エジプトを出たイスラエルの民の総勢は200万人程度であったと推定される。 >この200万人が引き連れていた家畜の総数は明記されていないが、恐らくその総数は少 >なくとも400万頭はあったであろう。 今のシナイ半島は荒れ野(大部分が砂漠)である >が、当時のシナイ半島も荒れ野であったろう。 こんな土地で400万頭の家畜を飼うこと >ができるのか。 総勢200万人と400万頭の家畜が40年間に渡ってシナイ半島に滞留す >るなどということは史実としては有り得ない。 出エジプト記は誇張に満ちている。 出エ >ジプト記の第1章にはエジプトに入ったヤコブの子孫の総数は70人であったとある。 >このヤコブ一族の男子の数がエジプト在住中の430年間で60万人にまで増えるという >ことが本当に有り得るだろうか。 出エジプト記の続編とも言える民数記も誇張に満ちて >いる。 また、この章あたりから、神ヤハウェはイスラエルの民の守護神であることが明 >確になってくる。)
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544 :神も仏も名無しさん[]:2019/10/07(月) 03:15:57.30 ID:BU2pJfxi - >神ヤハウェはイスラエルの民に言った。 「エジプトの地からおまえたちを連れ出したの
>は私である。 私以外のどんなものも神としてはならぬ。 どんな像も作ってはならぬ。 ど >んな像も礼拝してはならぬ。 私は、私を憎む者には、その者の四代目の子までをも罰す >るような妬み深い神である。 私は、私を愛して契約を守る者には慈しみを与える。…そ >のとき、神ヤハウェはモーゼに言った。 「イスラエルの民にこう言え。 『銀の神々や金 >の神々を作って、主なる神と並べてはならぬ。 土の祭壇を作り、平和の生け贄と小さい >家畜と大きい家畜の生贄を供え、燔祭を行なえ』」。 >(批評・・・「私以外のどんなものも神としてはならぬ」。 これが、「唯一絶対の神ヤハウ >ェ」 と言われるときの 「唯一絶対」 の意味である。 創世記の作者や出エジプト記の作 >者は、世界には神ヤハウェ以外に様々な神々や神に類する天人がいることを知っている。 >しかし、創世記の作者や出エジプト記の作者は 「イスラエルの民は神ヤハウェだけを礼 >拝しなければならない。 イスラエルの民は神ヤハウェ以外の如何なるものも礼拝しては >ならない」 と言っているのである。 このような教えが一神教というものである。 一神 >教に対して、多神教は多くの神々を礼拝することを許す宗教である。 出エジプト記の作 >者は神ヤハウェをして 「どんな像も作ってはならぬ。 どんな像も礼拝してはならぬ」 と >言わせるほど、神ヤハウェに妬み深い性格を与えた。 また、十戒に従えば、ユダヤの社 >会ではどんな彫刻もしてはならない。 従って、ユダヤの社会には彫刻という芸術はない >ことになる。)
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