- 天理教の基本 5の理
486 :基本[]:2019/10/02(水) 07:36:10.87 ID:vz5Rr2B6 - おふでさき5号には、五号 七十七才老女 明治七年五月
いきなり、牛馬というという話題と前生・後生の問題が登場します。 いまゝでハぎうばとゆうハまゝあれど あとさきしれた事ハあるまい (5-1) このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ (5-2) 今までは前生・後生、後生・前生についてしらなんだ。つまりそこがダメということ。 このたび、というのは実の箱時代(立教から扉開く・天理教会開始まで)です。 天理教が立教され「身に障り」を見せる時代が来た。 つまりイエス様やお釈迦様は天罰・仏罰の原理原則を教えたが、そこが人間はちゃんと聞けていない。 天国や地獄も「幽冥」の出来事、「夢物語」で、「説話」であると「哲学である」と、駄目な教えに落した。 理を曲げたのは信仰組織の長たちで、それで、「新宗教・天理教」がはじまった。 仏の因果応報もキリストの神の審判も具体的な事実としての「天理」なのだよと、教えたのが天理教。 親神中山みきの、教えなのだよと、宣言されています。 五号 七十七才老女 明治七年五月の 刻限は、五号・五月は五の理で仏法を意味します。 七十七才老女 明治七年 刻限は、777の理で、キリストを示します。 以上を前提に、おふでさきは、仏教系の人、キリスト教の人、おのおの個別であるを諭します。 そして、現実に、神が善悪を分けるという宣言をしています。 この宣言は、明治21年から実効が開始されて、やまい助けの天理教は大繁盛です。 明治21年の天理教会開始以前にあった「不思議なたすけ」(初代たちの出来事)は、 実の箱時代の、「ひながた」(モデル)であり、中山みきは模倣魔術として「鏡屋敷」をつかう。 その悪しきモデルがおふでさきや、逸話編に収録されています。 あく因縁のお話ばかりが大教会初代や先人の話題であり、真似しないほうがよい。
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487 :基本[]:2019/10/02(水) 07:43:06.22 ID:vz5Rr2B6 - 心どうりに病気にするよという、天理の発動は万民には明治21年からですが、
その、5・5の理(仏法)、777の理(聖書教)の教えの、駄目つめをする原理原則は 実の箱時代には、55、777の刻限で以下記されています。 このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん (5-3) めへ/\にハがみしやんハいらんもの 神がそれ/\みわけするぞや (5-4) 一やしきをなじくらしているうちに 神もほとけもあるとをもへよ (5-5) これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで (5-6) このはなしみな一れつハしやんせよ をなじ心わさらにあるまい (5-7) をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで (5-8) せかいぢうどこのものとハゆハんでな 心のほこりみにさハりつく (5-9) みのうちのなやむ事をばしやんして 神にもたれる心しやんせ (5-10) どのよふなむつかし事とゆうたとて 神のぢうよふはやくみせたい (5-11) いまゝでハ神のぢうよふしんぢつを しりたるものさらにないので (5-12) これからハいかなむつかしやまいでも 心したいになをらんでなし (5-13) しんぢつの心を神がうけとれば いかなぢうよふしてみせるてな (5-14) こらほどの神のしんぢつこのはなし そばなるものハはやくさとれよ (5-15) これさいかはやくさとりがついたなら なにゝついてもみなこのどふり (5-16) けふまでハなによの事もせかねとも もふせきこむでをふくハんのみち (5-17) このみちハせかいなみとハをもうなよ これまつだいのこふきはぢまり (5-18) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 神も仏もあると思え。やまいたすけの要諦です。
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488 :基本[]:2019/10/02(水) 07:57:32.50 ID:vz5Rr2B6 - 五濁 仏教用語。 濁とは濁(にご)り、穢(けが)れのこと。
五つの穢れとは、劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁をいう。 この基本的な教えが信仰組織を通してゆがめられていく。その結果がこんな文章になる。 五濁 仏教の世界観を表わす用語。 世界の存続期間中,世の中のけがれゆくさまを5つに分類したもの。 まず人間の寿命が短くなり (寿濁) ,時代的な環境が腐敗し (劫濁) ,煩悩が盛んとなり (煩悩濁)、 思想が混乱をきたし (見濁) ,人間の肉体,精神とも貧相,無気力になる (有情濁) という5つの段階を経て世の中が衰微すると考えられた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 心の汚れを取りなさいという教えが、「汚れをとらないと不幸になるぞ」「世は滅ぶぞ」と、 脅して、信者を頼らせるけれど、その因果関係は解明されずあいまいで、信仰組織は逆に人を惑わした。 ダメである。
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489 :基本[]:2019/10/02(水) 10:17:41.92 ID:vz5Rr2B6 - https://www.afpbb.com/articles/-/2249679
7はいろいろな宗教にとって意味のある数字。キリスト教の聖書には創造主は世界を創るために7日間を要し、 ユダヤ教の花嫁は花婿の周りを7周し、イスラム教の巡礼者はメッカ(Mecca)の神聖なカーバ神殿(Kaaba)の周囲を7周する。 ヒンズー教では、体にはエネルギーの源となる糸車(spinning wheel sources of energy)である7か所のチャクラ(chakra)があるとされ、 「7つの大罪」や「世界の7不思議」は、宗教を越えて人々を引きつける。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 777の理は世界創造の理に由来するが、聖書の神の世界創造についても、その理が歪められている。 終末論には悪魔の数字があって666、こういう、救済を説いた聖書の教えも、 人間の原罪をキリストが十字架で贖ったとか、信仰組織の長がすりかえてしまっている。 救われるには神を敬えという、教会を敬えという最悪もあって、立派な教会や神殿は、 祭祀の場であり、権力の場となって、祭政一致の政治は今も世界にはびかる。 この現実こそ、信仰を捨てよと仏陀が示し、神殿を清めたイエスキリストの行動を、 まるで理解しない、聖教主義であり、実際に現実の民衆をまどわし、人心は、正しい神仏のお心、 釈迦の慈悲とイエスの愛の純粋さのみを救済に求め、実際に心の汚れを清め、人々で愛し合うを捨てた。 だから、因果応報の天理と、天罰の天理を、人においての病の理を教え、中山みきは、 現実においての因縁切りの道を、教えると、宣言したのが、おふでさき5号の冒頭である。
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490 :基本[]:2019/10/02(水) 10:45:48.34 ID:vz5Rr2B6 - 明治7年、おふでさきで、やまいたすけの根本原理を示した親神は、
人から人で人材を三人、道に寄せた。 先ず、西浦彌平 明治7年長男・楢蔵のジフテリアをご守護頂き入信 上田嘉治郎(嘉助)、ナライト等を導く 泉田藤吉 明治4年にはお地場帰りをしていたが、明治7年2月入信。 増井りん、明治7年3月入信。 因果応報の教理を、やまい助けの教理を説く、 お助け人泉田藤吉から、弟子の中川弥吉、よし、北初代。麹町初代、そして愛町初代。 増井りんも因果応報の教理の達人であった。針のさづけをいただく。 天理教は、実の箱時代にお助けの名手泉田藤吉を手本として、おさとしで病を治した。 それが、扉開いて一気に、病人を治しては、お地場帰りさせ、信者を増やす。 これは、うまいやりかただと、病治し信仰は国内にあふれる。 宗教ビジネスの仲間が増え、政府は拝み祈祷の禁止を法律化し、ただちに弾圧する。 5の理の間違いの、基本形が実の箱時代にはあって、偽教祖やあらゆる異端がはびこるが、 これははびこらしである。 運命ではやがて枯れるが、その泥海の中から、 裏天皇を信奉する大日本立教皇道会に、百戦錬磨の新宗教の立教願望者が集合する。 ここまでも、すべておふでさきは理を知らせてある。
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