- 天理教の基本 5の理
103 :基本[]:2019/08/03(土) 11:32:48.08 ID:ZT+TF7yq - これも、天理教の基本です。
日本から天竺への移動は、5尺になるまえの水中の住まいにおいて、食物を求めての移動であった。 5尺になって人間の成人に応じて天地、海山、そして食物までも出来た。 氷河期を終えて狩猟採集の食生活が開始され、世界が石器時代に日本では土器文化が発生しており縄文の時代には文化芸術が発展していた。 音符のような文字や、縄文の女神のような作品が残されてあるが、 縄文期には火山の大爆発と氷期の到来があり、西日本には食料はなく、その頃、縄文人は太平洋を航海する技術と天文学を有し、日本海を通し、太平洋を通し 海外と交易を行って縄文人は、シュメールに集団で移住したと理解できる。 縄文期において、日本には既に智慧があり、文字があったと理解されるのである。 こふき話で確認をしよう。 奈良初瀬七里四方の間にむまれた。このにんげんハせへじんにおふじ、ぢきもつくいまわり、 大和の国内ひろまり、地の上り、のこる大和にむまれたにんじゆふハ、また せへじんにおふじ、じきもつくいまわり、みな国々へゆき、地の上あがり。 外の国々にむまれたにんげんハ、またせへじんにおふじ、じきもつくいまわり、 地上あかり。此にんハ、みな唐てんじくの人となり。 (敷島大教会資料集成部『山田伊八郎文書』 にんげんハ五尺ニなるまたみづなかのすまい。三尺より五尺ニなるまでじきもつをだん/\とくいまハり、からてんじくまでもまハりいくなり。 五尺ニせいじんしたときに、このせかい、てんちうみ山、しきもつまでも にんげんのせいじんにをふじてけた事なり。 (中山正善『成人譜 その三 こふきの研究』天理教道友社、一九五七年。参照)
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- 天理教の基本 5の理
104 :基本[]:2019/08/03(土) 16:27:22.79 ID:ZT+TF7yq - イエスキリストの教えのルーツを、元の理のこふき話に理を照らし、歴史を見ました。
デジタル大辞泉の解説では、「始(はじ)めに言葉(ことば)ありき」について、 《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》 創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在するという意。 と、解説しています。新約聖書の文言です。 「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。 万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。 言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった。その光は闇の中で輝き、闇が光に打ち勝つことはなかった」 (『新約聖書』「ヨハネの福音書)より) 天理教の基本では 「火と水とは一の神 風より他に神はなし」と教えます。 風とは、言葉。 文字の仕込みのまえに知恵の仕込みがあり、その時には「言葉」(言語)は発生していた。 智慧の仕込みも、言語によってなされた、月日が教え来るということです。 お指図では、無い人間無い世界を始めてから最初からもの言えたのやないと言われています。 一つ教え、また一つ教えてもの言うようになりたも同じことと、言われています。 イエスキリストの言語はシュメール以前の言語(縄文言語)ではなく、日本語が母音の言語であるのに、子音の言語であり、 イエスの言うまず初めに言葉ありきは、ノアの方舟の、後のことで、親神の(子音言語による)文字の仕込みの後のこととなります。 新約・旧約の聖書時代の前に、律法の智慧があり、エデンという楽園の智慧があって、予言者は文字を用いて予言し、 イエスの誕生を予言していた。 風よりほかに神は無いを、天理教の基本とします。
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105 :基本[]:2019/08/03(土) 18:38:25.08 ID:ZT+TF7yq - こふき話には裏守護いわれる教説があります。
天理教の基本はイエスは月読命さまで、裏守護では、八幡様と聖徳太子が月読命さまと説かれています。 八幡様とは応神天皇で、神功皇后の胎内にいて三韓征伐を指揮したと日本書紀では言われています。 海神族の聖地と言われているのが福岡県にある海の神総本社で、八幡にまつわる伝承がありhttps://blog.goo.ne.jp/nimojero/e/596ac590b54fa2655cc7d1f8de1d87ec 引用します。 「神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで亀石が奉納された。」 「神功皇后が鹿の角を納めた事に由来する鹿角堂には一万以上の角が奉納されているとのこと。」 「海神族は、世界最古のシュメール文明が滅んだ後、船で東方へと渡ってきたシュメール人の末裔とも云われ、 自ら「龍の末裔」と称していたらしい、、、 とても小さな志賀島にも、悠大な起源が感じられる。」 「『龍の都』とも云われ君が代の祝詞の伝承で知られる(山誉祭)」・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 引用の通り、歴史上、日本には魏志倭人伝の頃海神族がいて、天理教の基本的には、海神族は、世界最古のシュメール文明が滅んだ時、船で東方へと帰ってきたシュメール人の末裔と思慮される。 八幡様は海神族を平定した、応神天皇ということで、武神であり、 つきよみの理のお方として、基本的理解ができる。
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- 天理教の基本 5の理
106 :基本[]:2019/08/03(土) 19:09:01.17 ID:ZT+TF7yq - 八幡様は海神族を平定した、応神天皇ということで、武神であり、
つきよみの理のお方として、基本的理解ができる。 聖徳太子も蘇我氏と物部氏の戦いにおいて、蘇我氏側である聖徳太子は戦いに勝利すれば、四天王を安置する寺院を建てると誓願を立てた。 見事勝利した。 太子信仰は、記紀のから生まれ、古事記のエピソードは、脚色され、その「イエス化」がさらに進んでいるように見える。 http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda2/6642vBL7652A59735.htm 引用しよう。 「穴穂部間人皇女の元旦の夢に金色に輝く僧(正体は西方の救世観音菩薩)が現れ、「われに救世の願いあり。よって胎をかりる」との託宣があった。」 「穴穂部間人皇女は辞退したが、「これは宿世の縁なり。これによって国本立ち、多くの民の救われることを思い、心安らけくおわすべし」と告げ、」 「ひとすじの金色の光と化して妃の口から胎内に入った。 」 「十カ月後、邸内を散歩し、厩戸の前に来たとき産気を覚え、その場にうずくまった。」「女孺(めのわらわ)たちが妃を産室へ運ぶと、玉のような皇子が生まれ、西方から黄色の光が邸内から庭先までも照らし、空高く瑞雲がたなびいた。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 太子信仰は、救世観音信仰として、救済をもたらしたとされる。 親鸞は 阿弥陀如来の誓願を聖徳太子のお恵みによって知らせていただいたと示している。 これも月日が教え来るでである。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
490 :基本[]:2019/08/03(土) 22:33:17.58 ID:ZT+TF7yq - 天理教の教えは、中山みきは3原典という書物で正当教義をまとめていますが、
天理教団は、教理の基本を心得ていない方ばかりで、こんな教団に発展されたら、神が恥をかきますから、 天理教団は衰退して、それが当然です。 >>489 中島みゆきさんの歌の歌詞が天理教の教理に基づくためには、きちんと教理を心得てなければならないが、 教団教理を説いている先生の教会に所属しているとしたら、求めても無理でしょう。 中島みゆきさんがご自分の信心の上で、歌をつくられたとしたら、天理教の匂いはしている。 基本的にはしっかりと、信心の匂いがすると思いますが、・・ 「宙船(そらふね)」は、お言葉に「空ばかり思うているからどもならん」とあります。 空に向かって羽ばたくことをせず、オールを自力で漕ぐことをせず、空ばかり思う、その否定です。 天理教団は「空ばかり思っていて」、「自ら貧のドン底に落ち、自ら難儀なるを、漕ぎ抜けない」。 それでいて、何時か空から甘露が降ってくると、自分が当事者であるを忘れている。 きちんと、教団批判になっています。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
491 :基本[]:2019/08/03(土) 22:57:03.95 ID:ZT+TF7yq - >>489-490
中島みゆきさんの作品だが、空と君の間にという作品には、 牧場の境界の目印や防風林として植えられるポプラになると言う歌詞がある。 空というのは、「君の心が分かるとたやすく誓える」男の事で、君という女性は、 その空に、空を信じてついて行って、泣かされたが、空からは冷たい雨が降り、 今日も冷たい雨が降るが、空と君の間には 君を引止めた僕(愛)がいるよ。 そういう歌である。 「君の心が分かる」とは、宗教家業者の用いる言葉であり、女性は救われようとして、 空、実は中身のない空(くう)(から)と、こう読めば、立派な、偽宗教家批判であり、 騙されている君への、メッセージである。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
492 :基本[]:2019/08/03(土) 23:10:15.50 ID:ZT+TF7yq - 中島みゆきさんの「糸」は、ある意味では天理教教理的作品と、誤解されるかもしれない。
縦、↓↑ 天 男性。横→← 地 女性、という天理教教理的構図でいえば、 それを謡っていると、一見はそう見える。誤解するなら、天理教の教理だと・・ 天理教の夫婦の教理の基本とはまるでちがう。 一筋心と一筋心が夫婦の始まりであると教えられているから、一筋の糸だとして、 教理を歌にしているとは、とても言えない。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
493 :基本[]:2019/08/03(土) 23:23:05.75 ID:ZT+TF7yq - >>485-486
>例えば、某巨大宗教団体の名誉会長が、 実は死んでいるのに、生きていることにされ、墓にも入れられず、供養もされない、言うなれば「無供養地獄」に落ちているような状態だったとしたら、 >これはどういった因縁と呼べるのでしょうか? 創価学会は【王仏冥合】おうぶつ‐みょうごう これが創価学会の指導原理です。 祭政一致は宗教による民衆支配の悪因縁で、 法華経の本門の教えが国家・社会の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという日蓮の教え。 それは、日蓮は為政者に諭す立場でしたが、精神を指導するのではなく、直接権力者になれと言う、そういう方向に向けて、創価学会は戦前早期にかじ取りしてます。 現在高年齢になった初期の熱烈な学会員には思想家大作は、日蓮の再生であり、釈迦の再誕であり、死んではならない存在なのです。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
494 :基本[]:2019/08/03(土) 23:34:22.15 ID:ZT+TF7yq - 生き仏大作さまの説いた【王仏冥合】おうぶつ‐みょうごう これが創価学会の指導原理です。
対して天理教は、国会ではおさまらないと、宣言しています。 「一年経てば一つの事情、又一年経てば一つの事情、年に取りて六十一年、お蔭/\と待ち兼ねたる処、 又一つには改正々々という、明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更にあろまい。 一夜の間の事情を見よ。国会二十三年と言うた一つの事情、 又お蔭/\の事情、よう思やんせよ。さあ/\明ければ五年という。 万事一つの事情を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。 弱い心は更に持たず、気兼遠慮は必ず要らん。さあ思やんしてくれ。 これから先は神一条の道。国会では治まらん。神一条の道で治める。 怖い道があって、やれ楽しみという。……」(明治24.2.7)1891年 万事に通じる理として、 さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。 さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。 さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。 五箇年々々々と五箇年の日に移る。 四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、 人間の心の理というは更々持たぬよう。・・・ これが、国会では治まらぬを創価学会においても、万事、予言していたこと、心得ましょう。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
495 :基本[]:2019/08/03(土) 23:38:23.65 ID:ZT+TF7yq - それでは、創価学会の5年5年5年を確かめましょう。ソースは「創価学会破折」などです。
1930年 昭和5年11月に 「創価教育学会」として創価学会創立。 1935年 昭和10年 牧口会長、折伏した元マルクス主義者を特高警察へ連れて行き 「今後、法華経の信仰に励み、国家有為の青年となるから御安心ください」と紹介。 1945年 昭和20年7月5日 刑期を終え出所。 ●牧口会長 日淳上人に対し不敬罪で投獄されたこと詫び忠誠を以後を誓う。 ●池田大作 就職した出版会社倒産(s24・⒑)で、小口金融「東京建設信用組合」の社員 に移動戸田城聖の下で貸金業社員となる。大蔵省から営業停止。 ●50年8月戸田は事業家として致命的に敗れた。組合法違反で告訴される。 1950年 昭和35年戸田は創価学会理事長の椅子を去る。 1960年 昭和35年5月3日 – 池田大作が戸田の遺言と数の力を以て会長に就任。 1970年 昭和45年 国会で政教一致問題が追及される 1975年 昭和50年 池田大作、創価学会本部において本尊の開眼入仏法要を行う。 1月 池田大作創価学会の世界的組織、SGIの会長に就任。 1980年 昭和55年 池田大作 所感「恩師の23回忌に思う」で、5反省懺悔 (聖教新聞) 1990年 昭和60年 池田大作 本部幹部会で池田が宗門及び日顕を批判する。。 2010年 5月の本部幹部会以降、体調不良から創価学会内の公式行事を全て欠席、現在へ至る。 そのため重病説や死亡説が一部マスメディアで取り上げられる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 天理王の手の平で、5年5年の歴史。創価学会は「はびこり・かれついく」。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
496 :基本[]:2019/08/03(土) 23:52:13.62 ID:ZT+TF7yq - 宗教利用の政治運動体、大本教、PLもその一派ですが、
教育出版業者と金融業者が、初代、二代の会長で日蓮正宗のお寺を利用して。王仏冥合を画策した。 1930年に「創価教育学会」として創立した。 天理教と立正佼成会をターゲットにして、邪教を信じると病気になる。日蓮正宗こそ正教だと折伏の理論で信者は増大し、 政治活動は当初からで、もちろん金集めが目的で、富士のお山の本山に団参させて、道中の立ち寄り先も食事も、 買うものはすべて、指定の業者、製造までしていて、しっかり設けた。 池田大作さんは、この組織を頂きますに出て、1960年3代会長になって、国会を利用に出て、 中山みきの教えと逆方向で、五つ理を吹くの五〇年後には、2010年5月、公式行事から消えた。 邪教を信じるとなる病名があって、はたしてどんな病名だろう、奇病だろうか、仮病だろうか、人前には出ない。 五つ理を吹くの理は、1960年の3代会長就任から50年で2010年公式行事から消えた。 公式行事から消えたが死なれてしまうと古参の学会信者に混乱を生む。 PLのように集金力が落ちたら、学会は存亡の危機になる。 哀れなものです。
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- 天理教が衰退した原因を考えるスレ
497 :基本[]:2019/08/03(土) 23:57:30.61 ID:ZT+TF7yq - 国会23年というた事情とは、国会開設の詔1881年から23年の1904年の事情で、12月5日 二百三高地を占領(旅順港内のロシア艦隊に砲撃開始)。
つまり国会開設の1882年から23年の1905年の事情の事で、日本軍東郷平八郎、伊勢神宮に戦捷奉告 10月20日連合艦隊、横須賀に凱旋 1月17日明治天皇、伊勢大神宮に戦捷奉告 国会と天皇は国民を戦争に導く道具だったという事で、戦争の勝利が伊勢神宮に報告されています。 池田大作は、「恩師の23回忌に思う」で、こう述べています。1980年です 「創価学会には、教祖も、唯一至上の絶対者などもいない。私も会員諸氏も、共に広宣流布をめざして進む同志である。(中略)」 「すなわち日蓮正宗創価学会員にとって、唯一至上、絶対の尊厳は三大秘法の御本尊であり、」 「他はすべて創価学会会長といえども、平等に末法の衆生であり、凡夫である」と述べたとおりであり、同じことは、今までも数多くの会合で話してまいりました。」
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