- マインドフルネス Part.20
634 :神も仏も名無しさん[]:2019/06/16(日) 23:07:41.47 ID:735zFluG - キリスト教かユダヤ教は正統派が必ずしも初期、原始とは限らん
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636 :神も仏も名無しさん[]:2019/06/16(日) 23:20:11.56 ID:735zFluG - キリスト教異端 〜聖書の歴史〜
そして、ダ ヴィンチ コードや異端の外典の背景に潜んでいるのが「グノーシス主義」。 グノーシス主義は、紀元1世紀頃に生まれた思想である。 そのユニークな世界観はイスラム教やキリスト教にも影響を与えている。 正統派キリスト教会にとって、最も危険な異端なのである。 グノーシス主義は、物質と霊を区別し、霊を至高のものとし、物質を下等な悪とみなしている。 旧約聖書の創世記を否定することにもなり、正典入りはさすがにムリ。 本来の姿である「光霊」を認識することにより、至高神に帰還できるとしている。 この異端のグノーシス主義を代表する書がナグ ハマディ文書だ。1945年、エジプトで発見され、グノーシス主義の研究を一気に前進させた。 2006年5月号のナショナルジオグラフィックで、驚くべき事実が公表された。 1970年代、エジプトで発見されたパピルスが、「ユダの福音書」の写本と判明したというのだ。 ユダの福音書は、先のナグ ハマディ文書と同じく、グノーシス主義、つまり正統派キリスト教にとって最大の異端の書である。 放射性炭素年代測定法で、紀元220〜340年の書と判定されたが、他の聖書が書かれた時期と一致している。 ユダの福音書によれば、ユダがイエスを売ったのは、イエスの指示によるものであり、イエスの霊を肉体から解放するためだったという。 このくだりは、霊を至高のものとするグノーシス主義そのもの。 さらに、ユダはイエスの最高の弟子であり、イエスの使徒にあって、唯一イエスの教えを正しく理解していたと主張する。いずれにしても、正典とは真逆。 聖書の真実 イエス キリストの「愛」の教えは画期的なものだった。 欧米世界で「家族愛」が生まれたのは産業革命以降のことである。 その愛を2000年も前に説いたのである。 しかも、比類なき絶対愛。 このような教えを広めるためにはイエスの神性は不可欠で、それに合致した書を選択する必要があったのかもしれない。 ある意味、正統派キリスト教会の良心の選択だったともいえる。 いずれにせよ、陰謀や謎は間違いなく、カネを生む。そして、キリスト教と聖書の世界は陰謀と謎に満ちている。 http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-50/
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638 :神も仏も名無しさん[]:2019/06/16(日) 23:39:44.53 ID:735zFluG - キリスト教の光と影 最大のライバル「マニ教」と「グノーシス主義」
初期キリスト教の時代にキリスト教の最大のライバルであった「マニ教」と「グノーシス思想」を見ます。 今日においても正統を任ずるキリスト教会及び神学者たちはこれらの思想を「最大の危険思想」と見なして嫌悪し非難・中傷しつづけてきました。 「グノーシス」というのは「知識・認識」という意味のギリシャ語で、要するに「真理・神を認識することで救いに至る」というわけですが、 ただしこの知識・認識は学問的な知識・認識ではなく「知的直観」的なものでかなり「神秘思想」の要素が強いです。 「マニ教」がグノーシス主義宗教教団の一つに数えられ、「後期グノーシス主義の代表」という言われ方がされるのでした。 キリスト教側からの批判としては、人間が「自己認識・知」で神との合一ができるのだとすると、「救済者・キリストの存在」など特に必要なく 「自己鍛錬・自己覚醒」でいいということになってしまい、「啓示者」などと言ったってそのきっかけにすぎないわけで、とてもイエスのような「絶対的救済者」といった存在にはなりません。 「自己覚醒」はむしろ「プラトン的」で、仏教的に言えば「自力の思想」であり、「全面的に神に寄りすがる」ことを説いた「他力の思想」であるイエスの思想とは全然合わない、となります。 しかし、それにもかかわらずキリスト教にグノーシス主義が蔓延したのには、「救済」「神との合一」という思想がキリスト教にもあったからで、 この面で言えばグノーシスには「知的直観」という方法論が提示できて論理的に筋を通せたからでしよう。 グノーシス主義の系譜にマニ教が数えられているわけですが、それは例えば漢訳マニ教聖典が、「仏教」と関連づけて、自己のうちにある「光明」を「明性」と呼び「仏性」と等しいものとして、 これを「覚り了解して」「思量」を尽くして「仏性」を得るといった表現や、「知恵によって明性を悟る」といった表現にはっきり現れています。 この「覚る」「了解する」「思量」「知恵」といった言葉はすべて「グノーシス」ですから、「マニ教」がグノーシス思想に数えられるとされるのも十分理解できます。 http://www.ozawa-katsuhiko.com/10christ_hikari/christ_hikari_text/christ_hikari02.html
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641 :神も仏も名無しさん[]:2019/06/16(日) 23:54:57.69 ID:735zFluG - 「ユダの福音書」の持つ意味
1970年前にエジプトで発見された「ユダの福音書」写本。1700年以上前に書かれたものと見られる。 初期キリスト教の時代には、様々な教えを説く福音書が存在した。 新約聖書に収められているのは、その中で「正典」と認められた、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つの福音書のみである。 この4つの福音書が正典と認められたのは、西暦150〜200年頃だと言われる。 当時キリスト教の教えは一つではなく、様々な福音書が存在し、正統派教会もその中の一グループに過ぎなかった。 ユダの福音書は、正統派教会に弾圧されたグノーシス派の教義の一つであったと考えられている。 グノーシスという言葉は、ギリシャ語で「知識」を意味する。 知識といっても、本から得られる知識のことではなく、自己の本質を知ることで、神を認識することができると考え方であった。 これは「神の子であるイエスだけが、人間であると同時に神でもある」とする教会の立場と真っ向から対立する。 グノーシス派の福音書はほとんどがその後の弾圧によって破棄されたが、1945年、考古学史上を揺るがす驚くべき発見があった。 それがナグ・ハマディ文書の発見だ。 発見された写本のほとんどはグノーシス派の教義について書かれた文書であり、これによって初期キリスト教の研究は飛躍的に進んだ。 そこに書かれていたユダの記述は、新約聖書に書かれていることとは大きく食い違う。その内容があまりに衝撃的なため、発見当時は捏造を疑う声もあった。 ユダの福音書によれば、イエスの真の教えを理解しているのはユダだけであり、イエスに最も信頼されていた信徒でもあった。 そして、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」と話し、 イエスから物質である肉体を取り除くことによって、内なる真の自己、つまり神の本質を解放するように言うのであった。 これは、グノーシス派の典型的な考え方であり、肉体は牢獄で、その牢獄からイエスを解き放ったのがユダであったことを表している。 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4494/
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