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323 :神も仏も名無しさん[]:2019/02/05(火) 00:04:14.58 ID:2b3V3qXd - >>318
その通りだと思うけれど、 だからといって、「生命」とは、あるいはその「生命活動」というシステムそのものは、 はたして化学反応なのだろうか。否だ。 「事物が定まった関係にある」ということそれ自体は、化学反応ではない。 化学反応は、たまたま採用された、その一部に過ぎない。 そもそも、「化学反応」とは、言語性ではない。新規に事物の関係を構築する作用ではない。
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326 :神も仏も名無しさん[]:2019/02/05(火) 00:11:56.58 ID:2b3V3qXd - キリストの命令は、「敵を愛せ」である。
これほど自然に反した命令があろうか。 自然における生物の衝動は、つまるところ奪うことにある。 その源泉は、生命活動だ。 生物はその命と存在に同一性を定められていながらも、 生物の衝動は、その細胞の反応は、捕食であり残物の排出なのだ。 芸術が何を表現するかということと、芸術の本質そのものは別のものだ。 芸術は「あれ」というものだ。そこに何が描かれるかということとは、何の関係もない。
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330 :神も仏も名無しさん[]:2019/02/05(火) 00:24:02.60 ID:2b3V3qXd - >>324
我々人間の身体に限っていえば、事実その通りだと思うし、それを否定した覚えはないのですけど、 それ故に、あなたが何を議論したいのか、もし何かしらの反論を試みているのだとすれば、それが何なのかわからない。 もし、「化学反応こそがすべての言語活動、生命活動の前提だ」というなら、 繰り返すけれども、化学反応それ自体には言語活動や生命そのものを定義し要求する作用はない。 また、人格の活動においては、「自由に動かせる事物」があれば足りるのであり、 生命とは、化学反応の連鎖というだけでは語れない、同一性を不可欠とするものだ。 一個の生命は、一個又は複数の化学反応と、同義ではない。ひとつの何かだ。
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332 :神も仏も名無しさん[]:2019/02/05(火) 00:26:41.16 ID:2b3V3qXd - そもそも、「一個」として数えられる生命体そのものが複数の化学反応の集合というわけではないというのみならず、
生物の意識も化学反応ではないし、言語活動も化学反応ではないし、倫理性も化学反応ではない。
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