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神も仏も名無しさん
阿含宗という宗教300

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阿含宗という宗教300
101 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 08:53:20.22 ID:OO+EYVi+
ユビくんは、弟子のスタートは須陀温向だと認めたのですね。ならば話が早くなる。釈迦は三結断じた須陀温から聖者としているから、須陀温向は聖者ではないことになるのです。もしも、釈迦が煩悩を無くす修行をしている者は聖者だというのならば話は別ですけどね。
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102 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 08:59:11.55 ID:OO+EYVi+
ユビくんと私とでは桐山因縁論の捉え方が違う。桐山師はまだ発現業報告を
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103 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 09:04:38.56 ID:OO+EYVi+
桐山師はまだ発現していない業報告=因縁、を無くすことが出来ると言っているのであって、既に発現している業報告を無くすと言っているのではない。但し、発現してしまった業報告でも、慢性疾患みたいなものは無くす、あるいは軽くすることが出来るわけです。
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104 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 09:13:11.41 ID:OO+EYVi+
新苦と古苦は私が造った語ではなく、漢訳阿含経に出ている語です。苦滅を達成するためには、その両方を無くすことが必要です。アングリマーラは業報告を無くしたから、修行を全う出来たのです。本来の業報ならば、死刑100回でしょう。
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105 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。
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130 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 14:22:30.72 ID:OO+EYVi+
釈迦も、桐山師新書も、預流向を聖者だとは認めていない。ただ八輩をひとまとめに聖者たちと表現しただけです。預流向は聖者予備軍であって、三結を断じたら聖者預流になるのです。深山くんも、金塊の例えを考えてみなさい。
金山の金塊は全て純金、というわけではない。
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131 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 14:29:04.06 ID:OO+EYVi+
桐山本上巻には、「わたくしたちは聖者に向かって修行しています。これを須陀温向といいます」と、書いてあります。これで須陀温向は聖者でないことが分かるでしょう。これを理解した人は、下巻も正しく読めるのです。字面だけ単純に追うな、と桐山師が言っていますよ。
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132 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 14:40:37.81 ID:OO+EYVi+
ユビくん提示の大念住経も読んで見たのだけどね。私が二十年程前に、スリランカの僧侶から聞いた七覚支解説ともかなり違うね。まぁ、今回の大念住経に似たような訳は他にも読んだことがあるけどね。考えて見れば、夢遊病者でもない限り、自分の行動には気づいているよね。
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133 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 14:49:44.35 ID:OO+EYVi+
桐山新書の念覚支解説は、念を強めることと四念処観修行の二つとしているね。これは輪廻する葦本の七覚支解説とほぼ同じです。輪廻する葦本にも七道品経が提示されているから、ユビくんは確かめてみなさいよ。四念処の結論は、空観を悟ることだから桐山解説で善しだね。
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134 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 14:58:33.07 ID:OO+EYVi+
ユビくんは、念を強める、を大げさに考えているのでは?気づきの瞑想だって、注意力は必要でしょ。ボーと観察するのでなく、注意力集中力を強めることは必要なのでは。別に力んだりしないでさ、肩の力は抜いてさ。その延長線上に念力ゴマあっても悪くないでしょ。
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135 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 15:09:19.33 ID:OO+EYVi+
たぶん深山くんは、四向四果の聖者を考えるとき、向と果の一対でひとつの聖者の位と考えた。イメージとして青年を例に挙げよう。15歳から25歳までを青年と定義した場合、二十歳未満を青年向、二十歳以上を青年果と名づけたら、青年向も青年果も同じ青年だからさ。
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136 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 15:12:17.46 ID:OO+EYVi+
↑そのようなイメージで、うっかりミスをしたのだろう。そして後に引けなくなった。
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137 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 15:24:08.23 ID:OO+EYVi+
しかしね、ユビくん提示のネットの大念住経の訳など、どこまで信用出来るのだろう?中村元師や増谷文雄師やその他高名な学者先生の阿含経訳に、なぜ気づきの瞑想法がないのかね?ユビくん説を聞かせてたもれ。
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147 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 17:15:08.60 ID:OO+EYVi+
一言で言うと、勝止息・無上止息などは、最上級の瞑想法で、深層意識の煩悩を滅してしまう。ここまで到達出来ない修行者は、禅定を出ると煩悩が戻ってしまうわけだ。ウッダカ仙人は解脱までもう一歩だったわけだ。禅定を出ると煩悩が戻ることは経典を読めば分かるね。
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149 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 17:22:44.48 ID:OO+EYVi+
例えば第四禅定は、心が清浄、安定、煩悩無く、とかだ。経によって表現が少し違うだけで内容は同じだ。だいたい煩悩があったら心が清浄安定なわけがない。しかし、この状態は禅定に入っているときの一時的なものだ。だから大解脱ではない。
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151 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 17:26:17.28 ID:OO+EYVi+
深山ユビくんみたいに、煩悩解脱を涅槃だと考えていると、第四禅定の心の状態を大解脱だと間違えてしまうのだ。
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153 :神も仏も名無しさん[]:2019/01/12(土) 17:39:51.07 ID:OO+EYVi+
安般念経の桐山解説は、細かい説明を省いて、一気に本質に迫ったものだと思う。安般念経の、有覚有観寂滅純一、の語だけで、これは九次第定の初禅から滅尽定まで表していると、私クラスでも分かる。桐山師の手法は一気に本質に迫ったものだね。


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