- 阿含宗という宗教300
112 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:07:59.65 ID:DtA28Oe3 - >>94神も仏も名無しさん2019/01/12(土) 00:34:50.59ID:zVfudQqR
>生きている間は、十善戒を守り、人助けの修善奉行、諸悪莫作、自浄其意 是諸仏教を実行すると 宝生創価さんは自分では十善戒を守っているつもりなんですね。 あなたが上記で引用した釈尊の言葉に相当する内容を私が毎回示しても、 食堂の食品見本だと小馬鹿にして、「代案を出せ」と始まる。 あなたが引用した言葉が仏教の全てだから、「是諸仏教」なのです。 見過ごせない間違いがあるから、一つ注意しておきます。 宝生創価さんに注意などしても何の意味もないのは知っているから、 読者の他の信者さんたちのためです。 くり返すが、宝生創価さんのためではない。 ×「修善奉行、諸悪莫作、自浄其意 是諸仏教」 ○「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」 あなたは自分では記憶力が良いつもりで、記憶だけで書いたのでしょう? だから、文字の間違いはともかく、順序を間違えている。 この釈尊の言葉の順序はちゃんと意味がある。 あなたは言葉の意味も仏教も理解していないから、順序を間違えるのです。 「諸悪莫作」が最初に来るのにはちゃんと理由があり、 この順序でなければいけない。
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115 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:12:18.92 ID:DtA28Oe3 - 「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」 (『真理のことば・感興のことば』中村元、36頁) 漢文で覚えないで、上記の普通の日本語で覚えたらどうか。 宝生創価さんは漢文で書いて、自分は漢文を空で覚えているのだと、 自分の教養を示したつもりなんでしょう。 だが、宝生創価さんのは中身のないハッタリだから、こうやって馬脚を現す。 そのハッタリぶりが桐山さんや1.5来補さんとそっくりです。 1.5来補さんも経典を漢文で記憶したつもりで、何度もここに引用したが、 次のように、引用するたびに漢文が違っていた。 「四双八輩是聖賢之衆」(55章266、6月23日) 「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(55章633, 7月9日) 「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(56章7、8月6日) 彼の持っている平河本には和訳が書いてあるのだから、現代文を書けばいいのに、 漢文を書いて、自分が漢文の素養があるのを誇示したいのです。 上記のように引用するたびに違う漢文を並べられても、恥じることもなく、 また記憶に頼ってデタラメな漢文を書いた。 この信者たちのハッタリは桐山さんが模範を示していた。
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120 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:18:01.85 ID:DtA28Oe3 - 「人を殺すに眼をさっせざる底の英霊漢なるべし」
(『師の一言』76ページ) これを桐山さんは『碧巌録』から引用したと書いたが、 原文にはそんな文章はありません。 自分で原文を引用しているのだから、確認すればいいのに、間違っている。 つまり、頭が良いつもりで見ようともせず、記憶に頼って適当に文章を書いた。 宝生創価さんや1.5来補さんと同じです。 抜群の記憶力を持つはずの桐山さんが、自分の書いたわずか6ページ ほどの文章でさえも記憶できず、整合性のない引用をしてみせた。 ここに桐山さんの頭の中がそのまま出ている。 ・抜群の記憶力があるという根拠のない自惚れを持っている、 ・原文を確認しようともせず、記憶だけで書くくらい愚か、 ・実際の記憶力はいい加減だから、実際に間違っている。 もう一つ、 ・自分は碧巌録のような難しい本も読んでいる教養人である、 と自慢したいのです。 簡単に言えば、頭が良いと自惚れているが、シッポが出ていることにも 気が付かないくらいの脳味噌です。 1.5来補さんや宝生創価さんの模範を示しているが、 教祖様だけあって桐山さんの仏教無知はこんな程度ではない。
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121 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:24:25.47 ID:DtA28Oe3 - 応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)
阿含宗には「応供の如来」という奇妙というよりも、恥ずかしい如来がいます。 信者さんたちの中で、普通の知性と普通の恥じる心を持っているなら、 応供の如来なんて言葉は使わないほうが良い。 なぜなら、仏教の無知と無教養がばれてしまうからです。 応供の如来は二つの意味で桐山さんの仏教無知と無教養ぶりが ばれてしまった事例です。 一つは、応供も如来も同じ仏という意味だということを知らなかった点です。 応供の如来なんて言ったら、如来の如来、仏の仏、なんて 変な意味になってしまう。 こんな基本的なことも知らない仏陀の智慧の持ち主は、 応供の如来というキャッチコピーを作り出した。
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122 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:29:31.95 ID:DtA28Oe3 - 応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)
二つ目の桐山さんの無知と無教養は、応供を「供養に応える」などと、 「レ」点をつけて読み、自分が漢文が読めるのだと自慢したことです。 中途半端な漢文知識を自慢するのは1.5来補さんや宝生創価さんとそっくりです。 仏教辞典を引けば、すぐに応供には供養に応えるなんて意味ではないことが わかるのに、知ったかぶりをして、「レ」点つけて読んで、教養人のふりをしたかった。 応供は、岩波仏教辞典にもあるように、供養を受けるにふさわしい くらいの意味で、供養に応えるなんて意味はありません。 教祖の無知と慢心が阿含宗の教義になってしまったのだから、爆笑です。 阿含宗がいかに知性の低い宗教かをわざわざ示している。 信者さんたちは、供養に応える、などという解釈はさもしいと思いませんか? 如来に供養して、その見返りをもらいたいという桐山さんの餓鬼の心が そのまま出ている恥ずかしい解釈です。 如来など清浄の比丘たちに供養しても、何もくれません。 三福道などという言葉も教義も釈迦仏教にはありません。
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123 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:40:39.45 ID:DtA28Oe3 - 応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)
桐山さんは信者さんたちにとって反面教師です。 それは間違いは誰にでもあるが、間違いに気が付いたら、撤回して 修正しないともっと恥の上塗りになるという点です。 桐山さんは応供の如来を教学試験に出した。 すると信者の一人が、応供も如来も仏の十号の一つだと、正しい答を書いた。 正面からではないが、桐山さんの間違いを指摘したのです。 ところが、桐山さんは応供の如来は違うと自分の餓鬼解釈をまた並べて、 間違いを認めなかった。 一切事経の八法十六法の話も同様で、桐山さんは八法の数え方を間違えた。 例祭の講義の後、信者から、法次法向は一つと数えるべきではないという質問が出た。 この指摘が正しく、桐山さんの数え方が間違っていた。 だが、桐山さんは間違いを絶対に認めないから、ついに本にして出してしまった。 間違い指摘されると、居直るという桐山さんの人生では珍しくない反応です。 信者から指摘された段階で修正していれば、教団内の話で済んだ。 ところが、せっかく、間違いを修正するチャンスがありながら、 自分の非を認めず、頑迷不屈に主張するから、そのチャンスを逃し、 ついには本にまで書いて世間に公表してしまい、大恥をかいた。 しかも、桐山さんは大恥を書いたとさえも気が付かなかった。 この桐山さんを信者さんたちは良く見てほしいのです。
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124 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:46:46.33 ID:DtA28Oe3 - 信者さんたちに、この桐山さんが、1.5来補さんや宝生創価さんと
そっくりであることに気が付いてほしい。 「預流向=聖者」であることは、経典にも、仏教辞典や学者の解説でも、 そして桐山さんも新刊で認めている。 だが、1.5来補さんは私が書いてもいないことを書いたと難癖を 付けながら(>>89)、今でもまだ「預流向≠聖者」と書いている。 何をどう示されようが、頑迷不屈に他人を非難しながら、自説に凝り固まっている。 宝生創価さんは「深山=創価信者」と頑迷に主張し、絶対に譲らない。 相談者さんの書き込みに、他宗の坊さんと喧嘩しているなどと ピント外れなインネンを付け(前スレ915)、それを指摘されても素知らぬ顔で、 今度は知りもしない十三仏大曼荼羅を護摩木の法施でくれたなどと言い出した(>>12)。 その間違いを指摘されても無視して、今度は阿含宗は創価の天敵などと始まった。 どこが天敵なのかと反論されても、創価がどうのこうのと関係ない話をして逃げた(>>65)。 二人とも頑迷に自分の間違いを認めないという点では桐山さんとそっくりです。
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125 :深山 ◆lDoupiXSYZNC []:2019/01/12(土) 11:52:49.35 ID:DtA28Oe3 - 宝生創価さんと1.5来補さんに共通するのは、間違いを指摘されても、
絶対に認めず、頑迷不屈にどこまで主張し続けることです。 桐山さんとそっくりです。 では、信者さんたちはどうか。 信者と元信者の間違いは、桐山阿含宗を宗教や指導者として 選んでしまったことです。 桐山さんの口車に乗せられて、阿含宗こそが真実の仏教であり、 オシャカをこの日本に蘇らせ、因縁を切り、超人的能力を体得して、 新しい人類を作り出す、なんて宣伝文句にまんまと乗ってしまった。 だが、現実の桐山さんは美食飽食を繰り返し、愛人を囲い、信者を騙して、 他人の不幸を踏み台にして、社会的な成功を得るためにお金を集めて 名誉を買い集めただけだった。 大作さんとそっくり。 しかも、大物俗物の大作さんにはるかに及ばない小物俗物だった。 桐山さんが亡くなって何年もたつのだから、冷静に過去の自分の信仰を 振り返ってみてはどうでしょう。 行歴の長い信者なら、因縁切りや超能力開発を目指した若者が どのような姿になり果てたか、鏡をしっかりと見てはどうでしょう。 言われたくはないだろうが、ある意味、1.5来補さんや宝生創価さんの 醜悪な姿こそが信者さんたちの姿を映す鏡です。
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