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108 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 10:49:55.66 ID:+8BAw/uw - >>103 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:04:38.56 ID:OO+EYVi+
>桐山師はまだ発現していない業報告=因縁、を無くすことが出来ると言っているのであって、既に発現している業報告を無くすと言っているのではない。但し、発現してしまった業報告でも、慢性疾患みたいなものは無くす、あるいは軽くすることが出来るわけです。 業報は変えられないとは、発現のことを言っているのではなく、 その悪因縁とやらをいつ作ったかということを問題視しているのです。 前世に作った悪業の報いが そうであるならば 、その方法は変えられない避けられないと仏教は言っているのです。 ちなみに桐山因縁とは そういう過去になした悪業からの業報です。 だから因縁解脱なんて言葉は無く、またおかしな言葉なんだが、 あえて言うと業報解脱の方が 意味だけは通るのです。 もちろん解脱には業報解脱なんてものはありませんが 、そこであなたの出し古苦と新苦です。 既に作ってしまった悪業の報いは 避けられません。これがあなたの言う古苦ですね。 ところがこれから悪業を作らなければその報いは受けることはありません。これが新苦ですね 。 例えば これから罪を犯さねば 牢屋に入るなんてことはありません。 当たり前ですよね 。ところが桐山さんは 刑獄の因縁というものが元々その人にあって、この人は悪いことをして 刑務所に入れられるということは運命だと言っているのです。 それはそういう条件を過去世から作ったと言っているのです。 つまり桐山因縁とはあなたの言う古苦であり 、古苦解脱を 説いたのです。 それはあなたも否定したはずなんです。
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109 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 10:51:38.94 ID:+8BAw/uw - その方法は変えられないと仏教は言っているのです。
↓ その業報は変えられないと仏教は言っているのです。
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110 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 10:56:01.97 ID:+8BAw/uw - >>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。 止息経読んだことがあります? 短い経典ですよ。 その経典の文脈に従って その表面意識、 潜在意識 、深層意識 についてどう語っているか 作文してみなさい。いや、訳してみなさい。
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111 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:01:06.56 ID:+8BAw/uw - ちなみに桐山さんは止息経を4つの呼吸法を説いていると述べています。
しかしこの止息経は短い経典であるにもかかわらず、 原文を示して 現代語訳を示して解説などしたことがありません。 本来ならば アゴンマガジンで解説して、 仏陀の真実の教えを説くの著書にも載せておかしくない経典のはずなんですけれどもね。 なんで載せないんでしょうかね(笑)
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113 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:10:10.23 ID:+8BAw/uw - それではヨル公さんが、桐山さんの遊行経解説で出てきた表面意識、潜在意識、深層意識に着目したので、私が前スレにて論じた
遊行経桐山解説批判を貼りましょう。 608 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:04:21.80 ID:WnR+H5Aa 「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判 それでは新著の批判を再開しますが、この遊行経に関しては声聞品のように いくつも批判点をあげるのではなく、一点に絞って批判したいと思います。 批判点がそれしかないというのではなく、声聞品と同じようにいくらでも指摘はできるのですが、 私はこの遊行経に関してはこの点を特に重視して批判したいと思うところがあります。 それは桐山さんの得意とする表面意識、潜在意識、深層意識と 分けて 物事を考えているところです。 遊行経は 大パリニッバーナ経、大般涅槃経と同じ内容構成ですから大変長いのですが、桐山さんはその中の一部を抜粋して示したわけです。 どの部分を抜粋したかと言うと、ナーディカ村において病気で亡くなった在俗信者に対して 12人がアナゴンとなって天上界に生じている、 50人がシダゴンとなっている、500人がシュダオンとなっていると示したところです 。 これら死後の行き先は法の鏡と言う 道標があるのだから これに照らし合わせればよいと阿難に示すわけです。 そこの部分の抜粋で 、十結煩悩の解説、 四沙門果などについて解説をしていくわけです。 私が問題視するのは 桐山さんがこの表面意識、潜在意識、深層意識の三つの意識を使って、勝手にシュダオン、シダゴン、アナゴン、阿羅漢を 分類しているところです。 これについて批判する前にまず桐山さんの特処の三つの意識を示したいと思います 。 したがって、阿含宗の心の分類ではこうなります。 表面意識=意識している心 潜在意識=幼児期に生じた無意識 深層意識=生まれる前の無意識 人間の心はこのように三層に分かれているのです。 ところで、さきほど、古代仏教もまた無意識の意識を発見しており、それを「随眠」という名でとらえていたと申しましたが、 (166ページ)
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114 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:11:10.13 ID:+8BAw/uw - 609 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:20:13.01 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判 この桐山さんが人間の心を三つの意識無意識に分類できるとして物事を考えようとしたことに対する批判をよりも先に、 桐山さんがこの三つの意識に基づき、シュダオン、シダゴン、アナゴン、阿羅漢を独自に分類した表を示しましょう。(170ページ) ●シュダオン ・表面意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている ・潜在意識の欲貪・瞋恚→一部断ち切っている ・深層意識の欲貪・瞋恚 →残っている ●シダゴン ・表面意識の欲貪・瞋恚→なし ・潜在意識の欲貪・瞋恚→残りが薄らいでいる 深層意識の欲貪・瞋恚→薄らいでいる ●アナゴン ・表面意識の欲貪・瞋恚→なし ・潜在意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている ・深層意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている ●阿羅漢 ・表面意識の欲貪・瞋恚→なし ・潜在意識の欲貪・瞋恚→なし ・深層意識の欲貪・瞋恚→なし
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116 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:12:35.95 ID:+8BAw/uw - 610 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:45:36.06 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判 >>609の 桐山分類表は三結断のシュダオンでも実は欲貪や瞋恚は 表面意識のそれは 断ち切っていることを示したものです。 もちろん経典にはこんな話はありません。 桐山さんが勝手に自分の考えを添えたとしか言えません。 そもそも経典では無意識だの潜在意識だの深層意識だの説いていないからです。 そんなことはない随眠があるではないかと言うかもしれませんが、実は随眠は無意識のことではないんです。 そのことは後で詳しく述べていきたいと思うが、 三結とは身見、疑惑、戒取であるが、 この三結を断じた者をシュダオンというのだが 、 じゃあ欲貪や瞋恚はどうなっているのかと言うと、一部切れているのだとした。 ヨル公さんは 欲貪や瞋恚なんてものは シュダオンになってから初めて考えればいい話だなどと戯けたことを書いていたが、 桐山さんはそれを否定している。 桐山さんは身見を因縁因果の道理がわからない ことだとしているので、因縁因果の道理のわからないことに基づく欲貪や瞋恚は もう表面意識上ではなくなっているとしたのです。 桐山さんの勝手な理屈の前に、私はこれは切れているかどうかはともかく 、ある程度そういうことは言えるなと思います 。 なぜならば 三結が切れているけれども 、欲貪や瞋恚が丸ごと野放しに残っている奴なんているはずがないからです。 仏教を信仰することを表明して貪ってはならない怒ってはならないと教えられたからには 皆それを守ろうと意識して努力するからです。 実は意識をそこに置くということは非常に大切なことなのです。 それだけで改善されるものがあるのです 。 例えば昔はゴミのポイ捨てが当たり前で、分別ということは全く 考えずにひどいものでした。 ところがゴミの分別、ポイ捨て禁止を 呼びかけるようになりました。 私の父などは当時そんなエコロジーだの説いたところで と馬鹿にしていました。 ところがどうでしょう? それから十数年何十年も経ってこれはかなり浸透してきました。 その父もちゃんとゴミの分別を守り、タバコのポイ捨て、ゴミのポイ捨てなんてことはしなくなったのです。 もちろん一部の人は守らず根絶したわけではないけれども、かなり改善されたと言えるのです。 それほど言葉による教えと言うか意識を持つということは、実はすごく効果のあることなんです。 だから仏道修行者が欲貪や瞋恚を野放しにしているなんてことは考えられないのです。
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117 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:15:05.86 ID:+8BAw/uw - 611 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:02:03.98 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判 そこで>>609の桐山分類表は経典には何の根拠もない話だということながら、 欲貪や瞋恚に関して言うならば、シュダオンでも実は かなり制御されていると見るべきだと だけ言っておきます。 問題としたいのは、 表面意識、潜在意識、深層意識の三つの意識に分けて物事を考えようとすることです。 実は仏教には 経典にはそんなことは説かれていません。 言うならば常に表面意識と言うか意識の中に置いてだけ 注意をしていくということしか説かれていないのです。 無意識なんて説いていない。 唯識などは阿頼耶識だのそういう深層心理学的な方向に釈尊の考えとはよそに 暴走していってしまったが、 釈尊の仏教では あくまでも意識の努力しか説かないわけです。 随眠ですか? これは深層心理学的な無意識とは違うのですよ。 例えば私が今石鹸という言葉をここに書きます。 皆さん方はそれまで石鹸のことについて頭の中にはなかったでしょうが、私が石鹸という言葉を書いたことによって 石鹸のことを思い出すでしょう。 じゃあ皆さんは皆さんの頭の中に石鹸ということがなかったのかと言うとちゃんとあったわけです。 それは眠っている状態だっただけです。それが思い出されたということに過ぎません。 だから桐山さんは自分が聖者のような 気持ちで法話を 話していた。 この時の 彼の気持ちの中には 得意満面のおごりはあっても 怒りというものはなかった。 ところが突然おばちゃん信者が管長猊下は嘘つきですと言ったことによって、桐山さんは 怒りが彼の心に芽生えたわけです。 そしてキサマ!キサマ!を連発し つまみ出せ、このバカ!とその怒りを爆発させた。 これは桐山さんの中にある 眠っていた怒りが呼び覚まされたという話です。 これの説明するのに 無意識、深層心理学は必要ありません。 そしてこれこそが随眠という考え方なのです。
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118 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:16:48.36 ID:+8BAw/uw - 612 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:19:48.50 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判 だから随眠という言葉は煩悩の代名詞です 。 煩悩というものは 常に意識下にあるものでもないが、 油断していると出てしまうものなのです。 それを随眠という名で警告しているのです。 ちなみに自分の中の赤の他人が自分の表面意識とは関係なしにおかしな選択行動をしてしまうなんて話ではありません。 随眠という煩悩に対処するには常に意識しているということが大切なのです。 油断をしないということです。 眠っている煩悩、随眠が表面に現れたことを纏といいます。 纏もまた煩悩の代名詞です。 ならば随眠が纏となって現れ出た時を見逃さずにこれを意識的努力で抑止するということが大切なわけです。 自分の中の赤の他人だの、 わかっちゃいるけどやめられないなんて言い訳は許されないのです。 わかっちゃいるけどやめられないのではなく、わかってないのです。 わかろうとしたくないだけです。甘ったれてるだけです。 生まれる前の無意識って何ですか? そんなわけのわからないものは説かない。 そうではなくちゃんと自分の中で分かるものしか釈尊は説かないのです。 寝ている間に見る夢はどうか という質問が スマナサーラさんに寄せられたことがあります。 スマナサーラ老師はこう答えました。 夢を見ている最中が その人にとっては(表面)意識なのだ。 だったらそこにおいてそれを注意するのだと。 これが寝ている間も自己観察を怠らないということです。 つまり無意識の意識なんてものは考えずに常に自分が今面している意識のみをに注意を払うのです。
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119 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:17:58.51 ID:+8BAw/uw - 613 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:29:22.31 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判 そこで、この本の中でも解説されているフロイトの無意識の意識を説く人がいますが、実はフロイトの精神分析なんてものは 現在においてそれは科学などと認められていません。 皆さんはフロイトの心理学をこれは科学だと信じているかもしれませんが、現代におけるそれは単なる一思想に過ぎないのです。 文学といってもよい。 だから無意識の意識の存在そのものを疑問視する 心理学だってあるのですよ。 もちろん記憶というものは 膨大なものですが、自分の中の赤の他人みたいな無意識なんてものは否定する人は否定するのです。心理学者であっても。 皆さんは 桐山さんが示したからといっていつまでもそんな時代遅れを科学などと しない方がよいですよ。 フロイトを否定しているのではなく、 フロイトの説いた思想をこんな形で活用して 何の利点がありますか ? それって単に自己責任を回避する言い訳に過ぎないではありませんか? だったらフロイトなんて捨てた方がよい。 繰り返しが釈尊の説いていることは常に意識的努力だけです。 煩悩の制御を示す仏教に対して、潜在意識だの深層意識だのわけのわからないものを導入して、 訳の分からない話にしようなんて策略に乗ってはなりません。
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126 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage]:2019/01/12(土) 11:57:05.26 ID:+8BAw/uw - >>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。 てかこの人は まず 私が四つの止息は同じものだとレスしたと言っているが、 どう同じなのかということを 書いてみなさい と言いたい。 つまり相手が何を 述べたかを正しく理解しているか が大切なわけです。 私はあなたの主張、すなわちシュダオン向は まだ三結を断っていない状態だから聖者ではない。 だから1000人の 仏弟子がいたら1000人とも最初はシュダオン向であるはずだから 1000人とも最初の段階は聖者でないと書きましたよね。 これはあなたの主張を理解したからです 。 もちろんその内容は否定しますが、しかしあなたが何をどう主張したか、そこだけはちゃんと理解しているのです。 だからあなたも同じように 、こちらの止息経の桐山解説が四つの呼吸法としたことが間違っている、 これは呼吸法などではない、 この四つの表現は こういう意味なんだ ということを 私らは示しています。 その私たちの 示した内容をあなたは正しく自分の言葉で 書けますか?
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