- 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14
546 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 00:26:12.98 ID:FWVnIcdP - 最近、中村元の龍樹を読んでいるのですが
中村元によると説一切有部の法は概念であり、超越的実在という理解ですが スマナサーラによると説一切有部の法は自然的事物であるように見えます。 中村元 龍樹より抜粋します ・有部は法の実在を説いたのであって、自然的存在の実在は説かなかった。 ・存在はつねに時間的に存するが、法は、「それ自身の本質を持つ」ものとしてより高次の領域において有るから、超時間的に妥当する。かくして法は有る、すなわち実在する、とされた。 ・こういうわけで法は「もの」であるとする解釈が成立するに至ったのであるが、この「もの」というのはけっして経験的な事物ではなくて、自然的存在を可能ならしめている「ありかた」としての「もの」であることに注意せねばならぬ。 ・故に「法有」の「有」とは「経験界において有る」という意味に解することはできないと思う。 ・「中論」は決して従前の仏教のダルマの体系を否定し、破壊したのではなくて、法を実有とみなす思想を攻撃したのである。概念を否定したのではなくて、概念を超越的実在と解する傾向を排斥したのである。
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547 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 00:51:10.14 ID:FWVnIcdP - ・以上は「ありかた」としての法を中心として考察したのであり、今日のことばでいえば
ほぼ概念の中に含まれるところのものである。ところがわれわれはその他に法有の立場の注目すべき特徴を認める。 有部は概念のみならず判断内容すなわち命題それ自身実在することを主張した。 つくられたものども(諸行)は無常である。しかしながら「諸行は無常である」という命題自身は変易しない。 もし命題自身が変易するならば、つくられたものどもは無常である、とはいえなくなる。 故に命題自身、すなわち「句」も実有であるとされ、五位七五法の分類中の心不相応行法の中に入れられた。
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- 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14
548 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 00:54:55.55 ID:FWVnIcdP - 法とは何かを部分部分で抜粋したので前後の文章を読まないとうまく理解できないかもしれません
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550 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 01:56:24.25 ID:FWVnIcdP - 中村元によると
説一切有部は実念論(法という概念が存在する)なのですが >>543、>>549さんによると、テーラワーダは実念論ではなく実体論のようですね
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574 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 13:30:28.38 ID:FWVnIcdP - >>554
中村元は説一切有部の「三世実有法体恒」をイデア的に捉えているんですよね これは中村元が間違っているんですかね? p154 東西における対応は容易に理解することができる。図式化すると 実念論 - プラトーン - 説一切有部 実念論に対する反対者 - プラトーンに対する反対論 - ナーガールジュナ学派
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577 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 14:59:11.53 ID:FWVnIcdP - >>575
>>558さんの考えには反対ですか?
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584 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 16:39:12.63 ID:FWVnIcdP - >>580
「実体がある」という意味は 「この現象界を構成する要素となる法が実体として刹那生滅していて、感じ取ることができる」 という理解で合っていますか?
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- 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践14
587 :神も仏も名無しさん[sage]:2018/11/22(木) 17:21:43.54 ID:FWVnIcdP - >>586
そうですね 簡単に答えは出ないと思います 見方も違うし、見ているものも違う というのが実情だと思います テーラワーダの人たちですら意見が合わないので 他宗派を交えたらなおさら話が噛み合わないのでしょう
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