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ろん(ろんぎぬす)
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220

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【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
904 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:27:03.12 ID:gB6ZSdl2
29 そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。

死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。

(コリント一 15)

1‐2 だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、

種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの

基本的な教えを学び直すようなことはせず、

キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。

(ヘブライ 6)

21 この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によって

あなたがたをも救うのです。

洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。

(ペトロ一 3)
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
905 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:32:01.10 ID:gB6ZSdl2
他スレより。

274神も仏も名無しさん2018/11/06(火) 18:44:38.15ID:vCLkzD3x
>233
Re: 「剣をもたらすために来たのだ。」と「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」

> >>桃栗さま
>
> >そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。
> >マタイによる福音書 / 26章 52節
>
> そのように語るイエス自身が、同じマタイの福音書の別の個所では
>
> >わたし(イエス)が来たのは地上に平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来たのだ。
> >敵対させるために来たのだ。マタイ10:34-
>
> などと語っているんですよね。
> こんな矛盾したことを語るイエスに、キリスト教徒の方々は矛盾を感じないのでしょうかね。


こういう疑問をキリスト教徒に投げかけたところで、
「その"剣"とはこれこれこういう意味であって、
こっちの"剣"とはこれこれこういう意味である」
などと苦しいこじつけをしてつじつまを合わせようとするのが常套手段です。
都合の良い個所は「文字通り」信じるのに、
都合が悪い個所は文字通り解釈しようとはしません。

まあ、ともかくイエスは「剣で滅びる」の言葉通り、
十字架の上で滅びましたけどね(笑)。

もう一つ、イエスは剣にまつわる発言をしている箇所があり、
こちらも大変矛盾している箇所なのですが、近々ブログで取り上げたいと思います。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
906 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:34:11.27 ID:gB6ZSdl2
新約聖書 ルカによる福音書 12章
51節 あなたがたは、わたしが平和を
この地上にもたらすためにきたと思っているのか。
あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
52節 というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、
三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、
53節 また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、
しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」

新約聖書 エペソ人への手紙 6章
1節 子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。
2節 「あなたの父と母とを敬え」。
これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、
3節 「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。

〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

イエス様は、父母に対立せよ
パウロ様は、父母を敬え
聖書内で言っている事が真反対[正反対]です。どっちを信じればいいのですか?と。

ある神父様に聞いた事が有ります。
聖書は切り口によって教えがあると、解釈は個人でなく聖職者にあると。

新約聖書 ペテロの第二の手紙 1章
20節 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、
まず第一に知るべきである。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

解釈は教会の聖職者がするわけで、教会の聖職者の代わりに
注解書や聖書ガイドブック[やネットの福音講解など]を読んで解釈するのだと。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
907 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:36:18.23 ID:gB6ZSdl2
旧約聖書 申命記 6章
13節 あなたの神、主を恐れてこれに仕え、その名をさして誓わなければならない。

新約聖書 マタイによる福音書 5章
33節 また昔の人々に『いつわり誓うな、
誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、
あなたがたの聞いているところである。
34節 しかし、わたしはあなたがたに言う。
いっさい誓ってはならない。
天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。

〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

旧約聖書は、誓え
新約聖書は、誓うな
聖書内で言っている事が真反対[正反対]です。どっちを信じればいいのですか?と。

どうせ約束は守れないんだから、約束なんかするな、みたいな。

聖書は真反対[正反対]の事が色々書かれていますから。
[キリスト教信心のまね事ながらも]教養の本として読ませて頂いてます。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
908 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:39:43.83 ID:gB6ZSdl2
新約聖書 ヨハネによる福音書 20章
27節 それからトマスに言われた、
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
28節 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

トマスはイエスの肉体の復活を見ている上にイエスの昇天に立ち会っている。

パウロはイエスの肉体の復活を見ていないが昇天後のイエスの声を聞いただけである。
パウロは死者の復活とは天上で霊のカラダで復活することだと説く。

福音書のトマスと使徒手紙のパウロとでは復活のカラダが肉か霊かで違っている。

そこで私はこう考えた。肉体が死んでも肉体の復活後に肉体が昇天したら
天上で霊のカラダに変わり地上に向かって声が出せて永遠に生きていけるのだろうと。

新約聖書が書かれた当時、夜空の星達は、天上の霊になって生きている人間達で
光輝く衣を着ているものと考えられていた。(当時のギリシア人の思想では)

聖書でいう日や月や星の天の違いとは栄光の違いの事で衣の違いだと考えられる。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
910 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:41:26.26 ID:gB6ZSdl2
>>908
> 光輝く衣を着ているものと考えられていた。(当時のギリシア人の思想では)

市川喜一 著作集  総目次
 パウロによるキリストの福音 目次
  パウロによるキリストの福音 II-7
http://www.tenryo.net/old/paul_2-7.htm#6

パウロによるキリストの福音 II
 第七章 死者の復活
  ― コリントの信徒への手紙 I ―
続いて、「しかし、天上の体と地上の体があります」と言って、
体に違いがあることが、地上だけでなく、天上にまで広げられます。
「天上の体」というのは、わたしたち現代人には分かりにくい表現ですが、
当時の宇宙観では、天体は光の衣を着ている生命体と考えられていたのです。
そして、「天上の体の輝きと地上の体の輝き」とが異なっていることが指摘されます。
これは、「輝き《ドクサ》」という点では、
天上の体は地上の体にはるかに勝っているということでしょう。
地上の体は輝きを発していませんが、天上の体は自ら輝きを発しています。
それだけでなく、「太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、
星と星との間の輝きにも違いがあります」と言って、
天上の体にも輝きの違いがあることが強調されます。
 
 このように、体の「輝き《ドクサ》」に違いがあることが強調されるのは、
すぐに続いて(四三節)、この自然界の事実との類比で、
「栄光《ドクサ》」では地上の体とは異なる復活の体のことを語るためです。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
911 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:43:51.10 ID:gB6ZSdl2
ローマ書簡の霊性(1)パウロという出来事

アンティオキアで初めて、
「ナザレ派」のユダヤ教徒が「クリスティアノイ」(キリスト狂いたち)という
あだ名をいただくことになります。
彼らは、聖霊体験を重んじて、イエス様の再臨の近いことを語り合い、
異言で祈ったり預言したりしていました。

聖書講話欄
 ローマ人への手紙の霊性
  ローマ書簡の霊性(1)
  パウロという出来事
http://koinonia-jesus.さくら.ne.jp/paulinedoc/fromroman1.htm
(「さくら」をローマ字に)
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
913 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:47:10.61 ID:gB6ZSdl2
聖書を理解するにはユダヤ人の歴史やユダヤと近隣の風習を理解しないといけない。

http://www.geocities.jp/todo_1091/religion/041.htm
11.まとめ
・新約聖書は霊感で書かれたと言うが、誤りのある人間が書いたものであるので、当然誤りも多い。
・読む我々も誤りのある人間であり、自分の新約聖書解釈を絶対視してはならない。また絶対の解釈など存在しない。
・新約聖書を学問的、批判的に読むことは決して不信仰でなく、謙遜で誠実でさえある。
・古代人が書いた文書であり、その時代の歴史、社会文化、風俗習慣、宗教制度を知らなければ理解出来ない。
・新約聖書は歴史的出来事も含むが、歴史書そのものではないので、事実とは異なるものが多い。
・教派教会の信仰思想の産物であるので、各文書により解釈が異なるのは当然である。
・文書を細切れに読まないで、全体の流れを把握し、著者編者の考えを知らなければならない。
(以下省略)

はじめにお読みください-聖書研究デスク-
旧約(ヘブライ語)聖書 新約(クリスチャン・ギリシャ語)聖書
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/8769/bible-desk/top.htm
ある程度の歴史的事実が含まれている寓話と考えれば良いのはないでしょうか?

エホ証関係者はクリスチャン・ギリシャ語と呼ぶようですが、
学術的にはヘレニズム時代の
コイネ―・ギリシア語(アッカド方言の共通ギリシア語)と呼ぶべきものと思われます。
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
915 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:49:48.35 ID:gB6ZSdl2
ギリシア思想による人間の三分法からの三位一体の個人的解釈。

霊・精神(風・霊感・良心の痛み・理性)魂・心(呼吸・魂魄・心・感情)肉体・身体(血流れる肉体・骨肉)
霊・霊魂(プネウマ)魂・心魂(プシュケ)肉体・身体(ソーマ)→肉(サルクス)←ことば(ロゴス)
神のロゴスが人間のサルクスになったのが、キリスト(油注がれた)イエス。

父なる神は霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は、神として、ホモウシオス[同質] 神のロゴス、神であり人)
↓ 神の子キリストは霊(神性と人性)・魂(神性と人性)・肉体(神性と人性)
↓ 
出でる[発出(はっしゅつ)]
神の霊(聖神・聖霊・みたま[冒涜してはならない存在])は霊(神性)

旧約聖書の出エジプ15章3節 神は勇者、その名はヤハウェ。「唯一、一つ」というヘブル語は「エハッド」。

み父の名はヤハウェ(私はある、あってあるもの、イヒェ アシェル イヒェ)。
み子の名はイエス(「神(ヤハウェ)は救い」を意味するユダヤ人の男性名。)。
み霊の名はグロッサ(grossa、舌、意味は「不変」)。

天の父(ヤハウェ、あってあるもの)
神の御子(イエス、キリスト)
神の霊(聖霊、舌のような炎)がキリスト教徒一人一人に宿る(神の子たち)
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 220
916 :ろん(ろんぎぬす)[]:2018/11/10(土) 20:53:04.34 ID:gB6ZSdl2
律法は生きています。イエス様は律法を完成されるために世に来ました。

新約聖書 マルコによる福音書 12章
29節 イエスはお答えになった。
「第一の掟は、これである。
『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
30節 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』
31節 第二の掟は、これである。
『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

旧約聖書 申命記 5章
7節 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
8節 あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、
いかなるものの形も造ってはならない。
11節 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
12節 安息日を守ってこれを聖別せよ。
あなたの神、主が命じられたとおりに。
16節 あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。
そうすればあなたは、
あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。
17節 殺してはならない。
18節 姦淫してはならない。
19節 盗んではならない。
20節 隣人に関して偽証してはならない。
21節 あなたの隣人の妻を欲してはならない。
隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、
隣人のものを一切欲しがってはならない。」
〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕


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