- 外道の独り言 10
173 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 00:51:07.52 ID:kmkS30Jz - >>168
ダンマパダ なら、もっと直接的な 126 或る人々は[人の]胎に宿り、悪をなした者どもは地獄に墜ち、行ないの良い人々は天におもむき、汚れの無い人々は全き安らぎに入る。 なども、ありますよ。 これなどは、もろに、死後存続のことを言っていますが、では、釈迦は本当に このような死後存続を支持していたのか? なら、「無我」もくそもないでしょ? 死後もきちんと永続していく「我」が存在しています。 そういう言及は、バラモンからの混入、もしくは、釈迦が言及したのなら 倫理的要請からの言及でしょう? 釈迦が、無我を説き、一方ではそれと矛盾する死後存続を説いたのならば、 釈迦は、その論理破たんを理解できないほどのバカということになりますが、 貴方はそう思いますか? 私はそのようには考えません。 無我がその教説の根幹であり、輪廻転生、死後存続はあくまでも、倫理的要請による 方便であったと考えますがね?w
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175 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 00:57:08.95 ID:kmkS30Jz - >>174
え〜〜とですね、何が論点かもわからない人は、とりあえず黙っておいて くれませんか?w
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180 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 01:13:02.18 ID:kmkS30Jz - >>178
>誰も聞いてなかったのだから後世の捏造ですか?w 誰も聞いてなかった? 誰かが聞いていたから、それが残されたのでしょう? 本当に誰も聞いていなかったのなら、その言葉は残っていませんよ。 まあ、内容からして、おそらくバラモン出身の弟子に対して言ったことでは ないでしょうか?
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183 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 01:34:51.96 ID:kmkS30Jz - >>176
根本的に間違っているのは、「我」という概念の捉え方です。 輪廻転生論者の常套句とも言うべきものが、貴方がそこで言っている 「業はアートマンと違い不変ではなありません。だから、『我』ではないのです。」 ということです。 では、ここに田中さんという人がいたとします。 田中さんは、様々な行為を行い「田中さんの」業を形成します。そして、 死後、その業が残り、その田中さんの後継者(死後の相続者)である「田中2」に引き継がれたとしましょう。 さてその業は時間の経過と共に色々、変化します。不変ではありません。 だから、「我」ではないんだと・・・・・・ それでは、聞きますが、その業は途中で「鈴木さん」の業に変化したりすることは ありますか? その「田中さんの業」が、森本さんの業になったりすることはありますか? ・・・・・ありませんよね? それは、どんなに変化しても、やっぱり「田中さんの」業なんです。 その「個識別性」だけは変化しないのです。 そこは不変なんですよ。 もし、そこが変化して、鈴木さんの業になってしまったら、輪廻転生もくそも ありません。 つまり「田中2」に引き継がれた業は、田中さんの業であると言える属性が必須なんです。 その属性が、 田中⇒田中2 のラインを担保しているわけです。 その「個識別性」・・・・即ち、これこそが「我」ですが、 それを必須とする輪廻転生は、決して無我とは両立しません。
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187 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 01:40:54.11 ID:kmkS30Jz - >>181
>「菩提樹の下で悟りをひらき、輪廻から解放された安堵と喜びを表現した」という>のは本心ではなかったということですか? 「・・・輪廻から解放された安堵と喜び」 ではなく、「元から輪廻などなかったことがわかった喜び」でしょう? >そして翻訳し註釈をいれた中村元先生もそこまではみぬけなかった、と? みぬけなかった・・・・というよりは、あの人は元々、印哲出身の「非我」論者 ですし、どちらかといったら、「基体」肯定派だと思いますよ。
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189 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 01:48:48.51 ID:kmkS30Jz - >>186
>なるほど、ではやはり輪廻転生からの解脱を目標に掲げながら一方では無我を説く>というのは矛盾であり、それに気づかなかったブッダが間違えていたということで>すかね 言ってることがよくわかりませんが? 釈迦は、その説法においては、相手によって様々な語り口を用いたと思いますよ。 例えば、在家に対しては生天思想を説いて、その行いを正したり、 出家者に対しても、輪廻を信じ込んでいるバラモンなどに対しては、そこからの 解脱として修行を推奨したりと まあ、 様々だったでしょう。
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191 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 02:03:18.86 ID:kmkS30Jz - >>188
>無明が晴れたら(妄執を滅したら)実は輪廻などは幻に過ぎなかった >と解釈していらっしゃるということですね? そうです。 釈迦も解脱するまでは、無我 を了解することはなかったでしょう。 その 無我 をとことん自己に落とし込めて、了解できたことによって 苦が滅せられたわけであり、 同時に無我により、基体否定が了解できて 基体(我)がないことが分かったことにより、(それまで普遍的真実として 信じ込まれていた)輪廻転生が幻であることがわかったのでしょう。 釈迦の賢いとこは、それで直ちに「輪廻転生などまやかしである」と言わなかったとこです。 それを言ってしまうことによる弊害が十分わかっていたし、その利用価値も分かって いたからです。
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194 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 02:14:47.02 ID:kmkS30Jz - >>190
少なくとも「天眼」により、過去世を思いだした なんて言ってるのは、 もし本人が言ったのなら、かなり思い込みの激しい痛い人だった可能性がありますね。 まず、六神通の言及は、殆ど神格化の一形態です。 後世の経典製作者の筆が滑ったと信じたいw でなければ、当時の阿羅漢の多くが、精神上に何らかの問題を抱えていたことになる。
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195 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 02:25:22.20 ID:kmkS30Jz - >>192
要は「ライン」なんですよ。 田中1⇒田中2⇒田中3⇒田中4・・・・・・ の輪廻ラインがあったとして、田中4で発芽した100個の趣旨が、田中1で形成された ものとします。 それも、「個識別性」です。 その、100個が全くべつの鈴木さんの阿頼耶識であれば、それはもう、輪廻転生ではありません。 業には、異熟 という考えがありまして、積んだ業の果はすぐに表れるとは限りません。 次世かもしれませんし、7代後かもしれません。 しかし、必ずその業の継承者のどこかで現れると考えます。 つまり、ラインなんです。
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207 :パーピマン[]:2018/06/14(木) 09:59:13.86 ID:kmkS30Jz - >>203
wwwwwwwwwwww >地獄に落ちる奴らも居るし、来世どころか永遠の宿業も、血筋も、憑き物筋も、祟>り神も妖怪も護法も神々も概念ではなく本当に居るぞ。(笑) うんw やっぱりお前は狂だなw お前はそうでなくてはいかんw 変に悪悟りしたのかと思ったわw
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