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神も仏も名無しさん
エックハルト・トールについて語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net

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エックハルト・トールについて語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
874 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:01:45.38 ID:Ash4YwBX
🌟  大川隆法著 「伝道の法」

 第3章 人類幸福化の原点

1 「宗教心」「信仰心」は、なぜだいじなのか

 「大悟三十五周年」「立宗三十周年」を迎えた幸福の科学

 幸福の科学にとって、二〇一六年は「大悟三十五周年」「立宗三十周年」であり、一つの区切りの年でした。
 立宗して三十年がたったので、宗教団体としては、ある程度、日本のなかにおいての地位は確立してきたと考えていますし、世界においても知られつつあると思います。
 海外で当会を知っている人の数を合計すれば、日本よりは、はるかに多いと思いますが、海外でも、まだまだ現在進行形で活動しているところです。
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875 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:05:03.61 ID:Ash4YwBX
 私の生誕地である徳島県が、どのくらい海外で知られているかは知りませんが、いずれ徳島県は世界の聖地になると考えています。
 また、二〇一六年には、映画「天使に゛アイム・ファイン”」でも多少キャンペーンをしましたが、立宗三十周年を記念して、吉野川市の川島町に、「聖地エル・カンターレ生誕館」を建立させていただきました。
 内心では、多少、恥ずかしい気持ちがないわけではないのですが、記念になるものが何か一つぐらいはあったほうがよいのではないかと思っています。きっと、世界のみなさんが参拝に来て下さるようになるのではないかと信じています。
 未来の徳島県には、阿波踊りのときだけではなく、私の生誕日である七月七日あたりを中心にして、さまざまな機会に、全世界からいろいろな方が訪れるようになるのではないかと考えているので、徳島県の未来はとても明るいのです。
 以上を前置きとして、本章では、主として宗教的な話をしようと思っています。
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876 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:11:48.86 ID:Ash4YwBX
  徳島県出身の「三木武夫・元総理の霊」を困らせた質問

ーー17行割愛ーー

 やはり、「四国の地は、弘法大師空海が八十八箇所の霊場を定めて以来、千年以上もの間、霊的な地として護られていた」ということが大きいのではないかと考えています。
 生まれ育った環境から、やはり、文化的なものの影響をそうとう受けるので、「そうした霊的な環境のなかに生まれた」ということが大きかったのではないかと考えているのです。
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877 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:15:05.31 ID:Ash4YwBX
  「霊的なこと」を受け付けない、現代の学問や科学

 ただ、そういう信仰深い所に生まれたからといって、すべての問題が解決したわけではないことも事実であり、私の人生の大半は、「田舎的な部分と都会的な部分との葛藤を経ながら、成長してくる」という過程でした。
 世界の情勢や日本全体を見渡す意味において、四国は、そう有利な地だとは思いません。
 しかしながら、郷土の「純粋な信仰心」と、「日本全体は、今、どこを向いているのか。
世界は、どのような方向に向いているのか」ということを比べてみて、そのギャップを知ることは、「今、何をなさねばならないのか」ということを考える意味で、たいへん役に立ちました。「勉強になった」といってもよいかもしれません。
 四国の徳島に育ち、やがて東京に出ると、「常識」というものがかなり変わっている印象を私は受けました。
 簡単に言えば、「信仰心やあの世など、『霊的なこと』について表立って話をしても、あまり受けつけない」という感じでしょうか。コーティングされていて水を弾くような感じで、ツルンとしていて、まったく受け付けないような感じでした。
 学問においても、科学においても、あるいは都市文明においても、だいたい、そういうところがあったように思います。
 また、日本以外の国においても、先進国では、そういう点が非常に強いのではないかという印象を受けました。
 もっと話を大きくすれば、次のようなことが言えます。
 現代において、例えば、「霊界」「あの世」とか、「神様」「仏様」、あるいは、「高級霊」「菩薩」「如来」という言葉は、学問的には完全に死滅しかかっており、そういうものは「ないもの」とされています。
 そして、「目に見えるこの世だけを、どうにかよくして快適にし、幸福に暮らすのが、人間の目標、人類の目標だ」と考えるのが主流になっています。
 いろいろな学問があり、いろいろな専門がありますけれども、どれもこれも、「地球の表面上で起きていることがすべて」のように見えていて、
宇宙を見ても、「天体望遠鏡で見える世界がすべて」という感じで見ていて、これが「開かれた世界」だと思っている人が多数なのです。
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878 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:20:08.15 ID:Ash4YwBX
   戦後の日本人の信仰心は「縁起を担ぐ」というレベル

 二〇一六年四月に出した、福田赳夫・元総理の霊言の「まえがき」にも書いておいたのですが、アメリカでアンケートを取り、「あなたは神を信じていますか」という質問をストレートにしたら、
九十八パーセントぐらいの人が「信じています」と答えることが多かったようです。
 調査によって少し違うこともありますが、だいたい九十八パーセントぐらいの人が「神を信じています」と答え、「信じていない」と答える人は二パーセントしかいないのです。
一方、日本では、「あなたは神を信じていますか」とズバッと訊いた場合、「信じています」と答える人は十数パーセントです。そういう答えは、十五パーセント前後、十五パーセントか十六パーセントぐらいしか返ってきません。
まともに「神を信じていますか」と訊いたら、一、二割の人しか、「信じています」と言えないのです。
 ところが、「あなたは正月に初詣に行きますか」「お盆にはお墓参りをしますか」「お守りなどを信じますか」「お祓いを受けたりしたくなることがありますか」などというかたちで訊いたら、
半数以上の人は、「そういうことはあります」と答えます。
 「神様を信じていない。仏様を信じていない」と言っても、「合格祈願」や「交通安全祈願」などのお守りを持っていたりするのです。
 神も仏もなかったら、そういうものを持っていても意味がないと思うのですが、「『縁起を担ぐ』というレベルぐらいの薄い信仰心がったら、この世の今の進化についていくことができ、共存できるぐらいの範囲でいられる」という感じでしょうか。
それが今の日本の常識なのではないかと思います。
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879 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:23:04.98 ID:Ash4YwBX
しかし、これは、世界の常識からみれば、かなり外れているわけです。 ただ、決して、昔からこうだったわけではないのです。
第二次世界大戦後、この風潮が極めて強くなりました。
新しい憲法ができ、政治と宗教の分離を決められ、「学校教育から宗教を追放する」ということが行われてからは、宗教は一種の迷信扱いをされてきたのですが、それ以前もみな、そうだったわけではありません。
 つまり、戦後の七十年余りが「異質」なのです。
その前の日本人は、「神を信じていますか」と訊かれたら、今のアメリカ人が答えるように、九十八パーセントぐらいの人は、「神様や仏様ぐらい、いて当たり前でしょう」と答えたと思います。
 戦争で敗れた国の価値観が、全部間違っていたかというと、そんなことはありません。
「そこまで自虐的になってはいけないのだ」ということを申し上げておきたいのです。
 一部、物質文明のなかで勝ち負けが生じることはありますが、「それによって、今まで持っていた伝統が全部否定されたり、信じていたものが全部崩れたりする」というのは行きすぎであって、やはり、きちんとした揺り戻しがあって、元に戻らないといけないわけです。
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880 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:27:05.46 ID:Ash4YwBX
  霊言集を何百冊も出し、霊人たちの「個性の違い」を示している

 「そういう気持ちになっていただきたい」と思って、三十年間。幸福の科学の活動をしてきました。
 私自身、説法を数多く行い、また、理論的な本をたくさん出してきたのですが、それ以外にも、霊言集というものを、相当の数で出してきました。
 「霊言集を出さなくても、総裁の考えとして教えを説けば十分ではないか」と言う方もいますし、私もそう思って、十数年間、新たな霊言集を出さずにいた時期もあります。
 しかし、だんだん、若い人が生まれて大人になってくると、「霊言」というものを知らない人が増えてき始めました。
 「え?あの世ってあるの?死んでも人間としての個性がそのまま残っているなんてことが、あるんですか。脳が魂なんじゃないんですか。
脳が停止したら、人間として終わりなんじゃないですか」と考えて、このあたりを「当たり前で、常識だ」と思っている人がすごく増えてきたのです。
 「魂やあの世などと思っているのは、脳や神経の作用だ」と思っている人が大勢いるわけですが、火葬場で焼かれてからも思考力が残っていたら、「そうではない」ということになるでしょう。そこで、霊言集を数多く世に送っているのです。
 そのなかには、私の考えとは多少ずれている意見のものもあります。その人特有の考えがあるので、私の考えとは、ずれているものもあるのです。
 そういう意味では、「教義の統一」は難しくなるのですが、「この世で個性が違うように、死んで、あの世に還っても、個性の違いはそのままあるのだ」ということをお教えするために、たくさんの霊言集を出してきました。
 それはどういうことかというと、みなさんは、今世に生まれて、何十年かの人生を生き、やがて、あの世に還ります。「みなさんは、死んで、肉体を火葬場で焼かれ、お墓に入れられたら、それで終わりではないのですよ」ということを意味しているのです。
 これは、すごく大きなことなのです。
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881 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:30:06.45 ID:Ash4YwBX
  信仰心には「この世を善良にしていく力」がある

 死んで、火葬場で焼かれ、お墓へ入れられ、それで終わりだったら、「残された時間で、とにかく自分が満足できるように、快適に、エゴイステイックに生きればよいのだ」と思うかもしれませんが、
「もし、『死んで終わり』ではなかったとしたら、どうするか」という観点から考えると、人生はコロッと変わってくるわけです。
 さらに一歩進めて言えば、昔の人が言っていたような、「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが見ているのですよ」というあたりから始まって、「神様、仏様があなたの人生を見ているのですよ」という言い方もあります。
 これは、「今では、笑う人が大半だろう」と思うようなことでしょうが、もし、これを「本当だ」として、
「神様、仏様が見ている」「亡くなったお祖父さんやお祖母さんが、私の一生をずっと見守っている」と思って生きたら、悪いことの一つも、なかなか、そう簡単にはできません。
 子供でも同じです。中学生や高校生で、「コンビニには、夜間、店員は一人しかいなくて、とろいから、二つか三つ商品を゛持っていって”も、分からないだろうな」という気持ちがあったとしても、
ふと、「やはり、お祖父さんが見ているかもしれないなあ」と思ったり、「仏様は見逃さないだろうなあ」と思ったりして、それを止めようとする力が働いてくることがあります。
 こういうものが実は信仰心の力なのです。信仰心には、実は、「この世を善良にし、道徳的に推し進めていく力」があるのです。
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882 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:34:08.84 ID:Ash4YwBX
 「自分ならざるものが自分を見守っている。ほかの人が見ていなくても、別の世界から自分を見守っている存在、自分の一生をジーっと見守っている存在がいる」と思うことによって、自分の人生を正すことができるようになるわけです。
 ただ、「丸見えで、監視カメラで見られている」というようなことが感じられると、人生は不自由なので、それが分からないようにはなっています。
「自分がやっていることを見られていない」と思って生きていられるようにはなっているのです。
 しかし、時折、そういうものを霊感的に感じたり、自分の両親や親戚などから、そういう宗教的な話を聞いたりすることがあり、それで、ふっと気がつくことがあります。
 そういうものの存在を忘れないようにすることは、とても大事です。そのような「宗教心」「信仰心」というものは大事なのです。
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883 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:38:15.57 ID:Ash4YwBX
2 善悪を分ける「二つの方向」

  毎日、W幽霊”の相手をしている私でも、ホラー映画は怖い?

 今、日本で広がっている「霊的なもの」や「宗教的なもの」のなかには、残念ながら、誰もが怖がるような内容を持っているものが非常に多くあります。
 私は毎日のように、霊言を録ったり、あの世の方と実際に話をしたりしています。そして、それを本にしたり、映像として公開したりしています。
「そのような人間は、あの世の人など別に怖くも何ともないだろう」と思うでしょう。公式的には、そうです。全然、怖くも何ともありません。
 ただ、そんな私でも、「リング」だとか、「らせん」だとか、「着信アリ」だとか、「エクソシスト」だとか、そういうホラーものの映画を観ていると、やはり怖いのです。
「うわっ、怖い、怖い。ぞくぞくしてくる」と思ってしまいます。
 しかし、ふと気がついて、「あれ?私は毎日、W幽霊”の相手をしているのだから、怖がってはいけない」と思うことがあります。
「そういうものをつくっている人は、『怖がらせよう』と思っていて、霊などについては、話には聞いているかもしれないが、よく知らずに作っているのだ。
毎日、あの世の人と話をしている私が、そういう人が作ったものを見て怖がってはいけないな」と考え、思い直すことがあるのです。
 ただ、時々、仕事をしていて、「この世は、なかなか手強い。難しいなあ。もう、どうしようもないな」と思うようなときに、つくりものではあっても、ホラー物を観ると、身震いというか、武者震いをして、
「これは戦わねばならん」という気になることもあるので、そういうものの効能がゼロというわけではありません。
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884 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:42:03.49 ID:Ash4YwBX
  悪魔を退散させるには、悟りに伴う「法力」が要る

 特に、エクソシスト(悪魔祓い師)ものの映画では、バチカン公認のエクソシストたちが悪魔と戦ったら、たいていコロコロと負ける話になっています。
 登場人物たちは、窓から落ちたり、階段を転げ落ちて死んだりするのですが、あまりにも情けないので腹が立ってきます。
 私も悪魔を数多く相手にしたことがありますが、私はあんなに弱くはありません。映像でご覧になった方もいると思いますが、たいてい、数秒ぐらいで退散させているので、簡単なのです。
「出ていけ!」と言ったら、バーンと出てしまいます。(注。『エクソシスト入門』等参照)
 それほど力の差があるので、映画のようにはならないのです。
 映画では、バチカン公認のエクソシストたちが、ラテン語の『聖書』を読み、十字架を掲げ、「聖水」という水を振りかけても、向こう(悪魔)は笑っていて、全然、出ていかないわけです。
 しかし、本当に「悟り」を持っていて。その悟りに伴って、「法力」というものがあったら、悪霊(あくれい)、あるいは悪霊(あくりょう)、悪魔というようなものであっても、退散させることができます。
 悟って、日々、それを実践している人には、一種の力がついてきます。禅定をすれば、「禅定力」というものがついてくるように、いろいろな修行をすれば、力がついてくるのです。
 四国では弘法大師の密教が流行っていますが、弘法大師の一生も、おそらくWエクソシストの一生”であっただろうと思います。いろいろな悪魔祓いをたくさんやっていただろうと思うのですが、私にはそれがとてもよくわかるのです。
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885 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:47:06.92 ID:Ash4YwBX
  「人の幸福と不幸のどちらを願うか」が人間の方向を決める

 死んで浮かばれていない人、例えば、交通事故で亡くなったり、急な病気で亡くなったりして迷っている人の霊が出てくるのは、よくあることであり、おかしくも何ともないのです。
ただ、その奥にあって、そういう霊たちを地獄に引きずり込もうとしたり、あるいは、そういう霊たちを、ある家庭に解き放ち、その家庭をもっと不幸にし、目茶苦茶にしようとしたりする霊人がいます。
 そういう事を本当に計画的に考え、後ろから操っている霊人がいるのです。
 こういう者と対決することもありますが、やはり、許しがたいものはあります。
 自分一人が不幸であることについては、多少、受け止めなくてはいけない面はあるかもしれませんが、自分が幸福になれないときに、せめて、他人を不幸にし、それを嘲笑って快感を味わおうとする人が、世の中にはいるのです。
 それは、例えば、自分はお金儲けに成功しなかったけれども、他人がお金儲けに失敗したり、破産や倒産をしたりしたら、「ざまを見ろ」と言って喜ぶ人です。
あるいは、自分の病気が治らないときに、隣の誰それさんがガンになって死んだと聞いて、「ざまを見ろ」と思う人です。
 そのように、他人の不幸を見たら、胸がスッとしたり、「許せる」という気分になったりする人は、やはりいると思うのです。
 ただ、「これは、人間として考えて、やはり最低の心だ」ということを知らなくてはいけないと思います。
 環境や政治制度、周りの影響によって、自分が幸福になれないこともありますし、たまたま家庭に恵まれないこともありますが、自分が恵まれないこと、あるいは、現在、幸福感を得られないことには、何らかの理由があることもあります。
 そういうことも、やはり、よく考えるべきです。それをもって、「ほかの人の不幸を願う心」のほうに向かっていくようであったら、これは、いわゆる「悪霊」や「悪魔」の気持ちに通じていくものなのです。そのことは知らなくてはいけません。
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886 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:52:56.32 ID:Ash4YwBX
 原理は簡単なのです。それほど大きく難しいものではありません。
 「他人さまの幸福を願う方向」で考えているか。「他人さまの不幸を願う方向」で考えているか。どちらを願うかが人間の方向を決めるのです。
 もっと簡単に言えば、他人の幸福を願いながら数十年の人生を生きた人たちは、基本的に、天国という世界に還ることになっています。
 あの世の天使や菩薩たちも、そういう人が亡くなったら、きちんと「お迎え」に来て、行くべきところへ連れて行ってくれます。
 ところが、生きているときに、何か他人の不幸を願っていて、実際に、それに加担するというか、悪霊や悪魔たちがやっていることを、この世に生きながら、一緒になって行っている人がいます。
 例えば、いじめです。映画「天使にWアイムファイン”」にも、いじめの問題が出てきました。周りが何人かでいじめをやっているときに、「そんなことをやってはいけない」と思いつつも、自分も参加することで快感を得たりする人がいます。
あるいは、「いじめに参加することで、自分がいじめられなくなる」と思い、いじめっ子グループのなかに入ることで身を護ろうとする、卑怯な心をもって生きている人もいます。
 どちらも同じであり、やはり、他人の不幸を願う方向に引っ張られていきます。
 善悪と言っても、基本的には、そういうことです。
 ほかの人の幸福のほうを選ぼうとするか、ほかの人を幸福にするように、自分の人生をつくりあげていきたいか、そういう人生を生きたいか。そういう仕事をしていきたいか。それとも、反対に、他人さまの不幸を願う方向で生きたいか。その二つに大きくは分かれます
 細かくは、それぞれのケース分けがいろいろあるとは思いますが、基本的には、そういうことなのです。
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887 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 14:56:37.37 ID:Ash4YwBX
  「ほかの人の幸福を願う人間」を地上に増やしていく

 幸福の科学が目指している「人類の幸福化」とは、どういうものでしょうか。
 私どもは、基本的に、「ほかの人の幸福を増やしていくようなことを願っている人間」を、この地上に増やそうとしています。
 「世の中を悪くしよう」とか、「他人を不幸にしよう」とか、そのような気持ちになり、「それが当たり前なのだから」と思い、そちらだけで行ってしまっては駄目です。
 人間の持っている動物性というか、動物的本能としては、当然、自分の身を護り、ほかの人を蹴落としたり、そういうことを思ったりします。
 動物は、みな、「食べられる恐怖」でいっぱいです。「食べられる恐怖」と「飢え死にする恐怖」が、動物たちの持っている基本的な恐怖です。この二つから逃れることは、ほぼできません。一生、「植える恐怖」と「食べられる恐怖」「殺される恐怖」でいっぱいなのです。
 それが人間世界でも広がりつつあるわけです。
 しかし、私たちは、もう一度高度な存在として、やはり、善悪の観念をはっきりと持たなければいけないのです。
 善悪は、個別具体的には難しいものがあり、何とも言えないところはありますが、大きく言えば、前述したように、「他の人々をその方向で引っ張っていくことが、他の人々を幸福にするのか、不幸にするのか、それをよく考えて生きなさい」ということです。
原点は、ここにあるのです。
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888 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 15:07:26.71 ID:Ash4YwBX
3 政治問題を宗教の立場で考える

  「自衛隊員の命を護れ!」といった民進党幹部

 「善悪」は、大きく言うとそういうことですが、個別に見ると、難しい問題もあります。
 宗教団体の多くは、今、政治問題としては、「反戦」「平和」「環境保護」等に取り組んでおり、そちらのほうを支援する方向に行っている団体が多数です。お坊さんたちもそうですし、新宗教もキリスト教も多数はそうです。
 「反戦」「平和」「環境保護」「沖縄のジュゴンを護れ」などの言葉は、耳触りがとてもよく、訴えていて気持ちがよいのです。
 一方、例えば、W戦争法案”と言われている、日米が共同で軍事行動をとれるようにする安保法案は、「よろしくない。戦争に巻き込まれるではないか」と言われたりしています。
(注。安全保障関連法は、2015年9月30日公布、2016年3月29日から施行された)。
 民進党の政調会長になった方が、「自衛隊員の命を護れ!」と言っているのを聞いて、私は引っ繰り返りそうになりました。
 「ええっ?自衛隊員が日本国民の命を護るのではなかったのですか」と思い、一瞬、耳を疑ったのです。
 例えば、火災が発生しているときに、「消防隊員の命を護れ」と言って、一生懸命、消防車の前で演説している人がいたら、
普通は、「あなた、何を言っているのですか。火事で燃えている所から、命を懸けて人を助け出すのが、消防隊の仕事でしょう?火消しをするのが消防隊の仕事でしょう?」と言われるでしょう。
 「消防隊員の命を護れ。出動しては相ならん!」と言ってる人がいたら、「ちょっとおかしいのではないか」と思うのが常識でしょう。
 そのように、生命の危険を伴う職業も世の中にはあります。
 警察官もそうです。「警察官の命を護れ」と言っていたら、警察官は危険な所には出かけなくなります。「今、ナイフを持った男が家に押し込んできました。来てください!」と言われたのに、警察官が、「いや、私も怖いから行きません」と言っていたら、仕事になりません。
これでは単なる「税金泥棒」です。そうとしか言いようがないのです。
 職業によっては、他の人を護るために、生命の危険を伴う働きをしなくてはいけない人もいるわけです。
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889 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 15:13:11.13 ID:Ash4YwBX
  宗教系統の人たちが「悪」に対して勘違いしてはいけないこと

 宗教で言えば、私たちもそうです。
 前述したように、この世の人が死んで不成仏になっている場合もあります。それはよくあることではありますが、
それ以外に、(生きている人のなかで)大きな野心を持ち、この世の中を悪くしようとしている人たちが動いているときには、やはり、これを止めようとして、現実の行動を起こさなければいけないこともあります。
 そのためには、「個人の力」だけでは駄目で、多くの人たちの「集合の力」が要ります。たくさんの人の思いを集め、その悪くしようとしている「方向性」を変えていかなければならないのです。
 そのあたりを勘違いしてはいけないと思います。よく考えてください。
 「平和」や「環境保護」を訴える人たちはいますし、宗教系統の人たちも、そういうことを言うのがすごく好きです。私も、できればそれを言ってみたいと思ってはいるのです。
 しかし、その結果、最終的に卑怯な自分をつくり、他の人々の幸福についてはどうでもよく、無関心で、「ただただ自分のことだけをやっていればよい」という気持ちになるのであれば、問題があるのではないでしょうか。
 このあたりは、もうすこし賢くないといけないのではないかと思います。
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890 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 15:24:34.86 ID:Ash4YwBX
  地震が多発するときには国が乱れている

 地震も、現在ただ今のテーマではあるのですが、非常に難しい問題です。
 地震が起き、被災して、亡くなる方や救助を求める方がいます。そういう人を助けに行くのは英雄的な行為ですし、それに反対する人は誰もいません。
 幸福の科学も、これまでずっと、炊き出しをしたり、給水をしたりしてきています。これは当たり前のことであり、全然、批判すべきではありません。
 ただ、その原因のところ、「なぜ、そういう地震が起きるのか」ということについて、唯物論的にだけ考え、「断層があるから起きるのだ」などという人もいるのですが、「ちょっと待ってください」と言いたいのです。
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891 :神も仏も名無しさん[]:2018/04/17(火) 15:29:15.74 ID:Ash4YwBX
 断層は昔からいくらでもあるのですが、「なぜ、それが今、活発化しているか」というところが問題なのであり、それを私どもは調べていっているわけです。
 日本列島は世界の地震の一割ぐらいを起こしており、地震そのものを止められるわけではないのですが、過去を調べてみても地震が多発するようなときには、やはり、国が乱れているときがすごく多いのです。
 国が乱れるときには、「地震」「津波」「火山の噴火」「飢饉」「疫病」などが流行ります。そういうときに、いろいろな宗教家たちが出て、新しい教えを説いたりします。
あるいは、政治においては革命が起き、幕府が倒れ、新しい政権に替わったりします。そのようなことがたくさん起きています。
 それは、天から見放された場合のことだと思うのです。


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