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老クリスチャン
日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net
敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
ローマカトリック教会20171102
キリスト教初心者です。いろいろ教えて

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日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net
417 :老クリスチャン[]:2018/01/25(木) 11:31:26.31 ID:uBojYiTw
2006年(主日B年) 1月29日 年間第4主日
申 18:15〜20  Iコリ 7:32〜35  マコ 1:21〜28

「決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。」(Iコリ v.35)

使徒たちとその後継者によって指導されて、初代教会は 「基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」(使 9:31)ので、
使徒パウロも 「あなたがたは、 ・・・・・ 伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり」(ロマ 6:17)と書いています。
しかしその “教え” が信者を束縛する戒律や規則として理解されるようになったのは、後の時代になってからのことです。

使徒たちが伝えたキリストの福音は、罪の赦しの出来事の福音、私たちを来るべき怒りから救うためにキリストが再び天から来られる待望の福音でありますから、
「人が義とされるのは律法(戒律や規則)の行いによるのではなく、信仰による」(ロマ 3:28)と教えられています。

ここで結婚している男女と、そうでない独身者が話題とされているのは、決して優劣や清い清くないの問題ではなくて、“ひたすら主に仕える” という目的のためであることを理解しましょう。
そしてこの “目的”は、聖書を通して今も語り続けている使徒たちの宣教に耳を傾けることなしには、決して正しく捉えることが出来ません。
現代日本における結婚年令の高齢化や独身男女の増加現象が、聖書やキリストの福音と何の関係もないことは、言うまでもありません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
650 :老クリスチャン[]:2018/01/25(木) 11:33:02.22 ID:uBojYiTw
2000年(主日B年) 1月30日 年間第4主日
申 18:15〜20  Iコリ 7:32〜35  マコ 1:21〜28

「人々はその教えに非常に驚いた。 律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(マコ vv.21-22)

このような主イエスに、私たちもお会いしたいと思います。
私たちは漠然と信じているのではなくて、権威ある者としてお教えになる主イエスに出会って、私たちが受けている救いについてもっとしっかりした確信を持ちたいものだと思います。

「人々は皆驚いて、論じ合った。 “これはいったいどういうことなのだ。 権威ある新しい教えだ。 この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。”」(マコ v.27)

現代の教会が、この驚き ・・・ 神の子イエス・キリストの力ある救いに与かる驚き ・・・ を体験する教会となるために、第二バチカン公会議は典礼憲章を定めて、典礼刷新の基礎をおきました。
全世界の教会は今、その典礼刷新の中を歩んでいるのです。
敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
651 :老クリスチャン[]:2018/01/25(木) 11:34:01.27 ID:uBojYiTw
(つづき)
ミサで聖書が朗読されることについては、「信者に神のことばの食卓の富を豊かに与えるために、聖書の宝庫を今まで以上に広く開かなければならない」(典礼憲章 51)と規定され、そのおかげで私たちは今朝も、定められた三つの朗読を聞くことが出来たのです。
さらに会衆がそこから神の呼びかけ、神の語りかけを聞くことが出来るように、典礼憲章は 「典礼の暦に従って、聖書に基づいて、信仰の秘義とキリスト教生活の諸原則を説明する説教を、典礼そのものの一部として、大いに奨励する」
「特に、主日と守るべき祝日に、・・・・・ ミサ聖祭において、説教を重大な理由なしに省略してはならない」 と定めました(典礼憲章 52)。

私たちが今朝、マルコ福音書からの朗読を通して聞いたガリラヤ湖畔カファルナウムの会堂での人々の体験は、説教を通して今日の私たち自身の体験となります。
なぜならこの福音書で物語られている主イエスは、私たちが今朝このミサでお会いし、その御聖体に与かるイエス・キリストと同じ方だからです。
私たちも今朝、この同じ神の子イエス・キリストにお会いして、その権威ある教え、権威ある救いに驚くのです。
それが私たちのミサなのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
ローマカトリック教会20171102
773 :老クリスチャン[]:2018/01/25(木) 11:35:06.46 ID:uBojYiTw
2000年(主日B年) 1月30日 年間第4主日
申 18:15〜20  Iコリ 7:32〜35  マコ 1:21〜28

第二バチカン公会議から始まった典礼刷新の大いなる貢献は、“ことばの典礼” と “感謝の典礼” という二つの部分が、ちょうど長円の二つの中心のようにしてミサを構成していることを、再び明らかにしたことです。
ミサ典礼書の総則の第二章が 「ミサには、神のことばとキリストのからだの食卓が用意され、信者はそこで教えられ、また養われる」(総則 8)と述べているとおりです。

「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。 あなたたちは彼に聞き従わねばならない。」(申 v.15)

この言葉はかつての古きイスラエルにおいて非常に重視されて来たものでした。
イエスが公の生涯を歩み始められた頃、人々の間にはもしかするとこのイエスがあの 「預言者の一人」 かもしれないという期待がありました(マコ 8:28)。
しかし私たちは今朝、この申命記の言葉は私たち現代の教会に向かっても、今なお有効に語り続けていることを知ることが出来ます。

「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。」(申 v.18)

まさに私たちのミサの中のことばの典礼で、神は司祭を説教を語る者、神のことばの預言者として用いることを始められたのです !!
ローマカトリック教会20171102
774 :老クリスチャン[]:2018/01/25(木) 11:36:05.46 ID:uBojYiTw
(つづき)
このことは長いキリスト教の歴史から見れば、まだほんの緒に就いたばかりで、実情はかなり未熟であるとしても、「聖霊が人々を恵みの泉に近づけようと、現代の教会を訪れてくださった ・・・・・」(ピオ12世)のであれば、
必ずこれから成長して行って、よりよく用いられるようになって行くことを信じることが出来ます。

申 vv.19-20
人々が救い主イエス・キリストを信じるようになるため、そして信仰によってキリストの死と復活に与かる者となり、やがて実現する神の国に復活してこれを受け継ぐ民として、主日のミサを喜びと感謝をもってささげて歩むために、
神は司祭に “感謝の典礼” とともに “ことばの典礼” を司り、その中で説教することを始めさせてくださったのです。

会衆は、私たちのミサを司式する司祭たちのためにも祈りましょう。 彼らがより良く委ねられた務めを果たすことができるように ・・・・・ と。
また会衆は、将来の司祭を主が私たちの中から起こしてくださるように祈りましょう。
多くの人々は世のことに心を遣いながら、その中でせめて主日のミサでは主のことに心を遣いますが、神が選び神が育ててくださる司祭は、その生涯を主のことに心を遣うためにささげます。
そのような司祭を私たちの中からも起こしてくださる ・・・・・ 、そのことを今朝の聖書は私たちに期待させてくれるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
キリスト教初心者です。いろいろ教えて
166 :老クリスチャン[]:2018/01/25(木) 11:37:40.73 ID:uBojYiTw
2006年(主日B年) 1月29日 年間第4主日
申 18:15〜20  Iコリ 7:32〜35  マコ 1:21〜28

「イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 人々はその教えに非常に驚いた。 律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(マコ vv.21-22)

ここで私たちは、使徒たちが伝えたイエス像の一端に触れることが出来ます。
それなりの学問的修練によって律法解釈の専門家となった正規のユダヤ教の教師たちのようにではなく、イエスは神御自身によって遣わされた預言者のような権威を帯びておられることを、人々は驚きをもって承認しました。
使徒ベトロは次のように証言しています。 「イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです」(使 10:38)と。

人間の姿で現れ、神の国の到来と罪の赦しの福音を宣教し、十字架に死んで復活されたキリストは、神から遣わされた者としての権威を帯びておられることを、福音書は語っているのです。
このキリストは、「人々の罪を清められた後、天の高いところにおられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」(ヘブ 1:3)
そしてやがて 「生きている者と死んだ者を裁くために」(IIテモ 4:1、使 10:42)来られる終末の審判者です。
キリスト教初心者です。いろいろ教えて
167 :老クリスチャン[]:2018/01/25(木) 11:38:56.21 ID:uBojYiTw
(つづき)
キリスト教を “イエスの教え” のことだと考えている人々は、聖書を通して使徒たちが現代の私たちに証言しているキリストの福音を、まだ理解していないと言わざるを得ません。
田舎であるガリラヤ地方の教師たちとは違って、はるかにレベルの高い優秀な教師として、イエスは際だって立派な教えを会堂で語られたというだけの話であれば、
それは使徒たちが “どんなことでもして”(Iコリ 9:23)宣教した福音とはならなかったことでしょう。

使徒たちが宣教した福音は、救済史の中の出来事(使 10:37)であって、“神が既に(旧約)聖書の中で預言者を通して約束されていた、御子イエスに関するもの” でありました(ロマ 1:2-3)。
私たちを来るべき怒りから救うために、終末の日に天から来られるキリスト(Iテサ 1:10)は、権威ある神であることを、使徒たちはここで証言しているのだと気づく人は幸いです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より


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