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老クリスチャン
キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net
敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
ローマカトリック教会20171102
キリスト教初心者です。いろいろ教えて
日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net

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キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net
661 :老クリスチャン[]:2017/12/07(木) 11:58:12.52 ID:0WT9XMAW
2002年(主日B年) 12月8日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11  IIペト 3:8〜14  マコ 1:1〜8

待降節第2主日の主題は、福音の終末的使信の将来的な展望であります。
神の子イエス・キリストの公生涯に先立って道を準備した洗礼者ヨハネの物語りは、決して単なる過去の思い出としてではなく、正に私たち教会がよりどころとしている(Iコリ 15:1-2)福音の終末的使信を伝えるために、マルコ福音書の冒頭に置かれました。

ヨハネがかつて 「わたしよりも優れた方が、後から来られる」 と語った方は、“かつて来られた方(受肉のキリスト)” であり、“やがて来られる方(再臨のキリスト)” と同一の方であります。
使徒たちが伝え、教会が代々にわたって受け継いで来た福音はただ一つであって、時代が変わっても世の中が変わっても決して変化することのない 「神の子イエス・キリストの福音」 であって、
教会は私たちがこの方の終末の再臨に備えて待つことを教えて来ました。

私たちがそこで生まれ育って来た20世紀のキリスト教では、“使徒たちから伝えられたこと”(神の啓示に関する教義憲章 8)と並んで、それとは別な “様々なほかの福音” “様々なキリスト観” “様々な種類の信仰” が大いに語られて来たと言うことが出来ます。
大多数の信者たちが自分の福音理解や自分の信仰に確信が持てないでいるそんな状況の中で、
それでも聖霊は、教会があえてこの待降節の主日の聖書朗読配分に固執し、神の子イエス・キリストの福音の “終末的使信” に会衆が耳を傾けることを求め続けるようにと、導いて来られました。

マラキ書3:1(マコ v.2)と、イザヤ書40:3(マコ v.3)と、洗礼者ヨハネの言葉(マコ v.7)を神は用いて、私たち現代のキリスト者に向かって “やがて来られる方(再臨のキリスト)” を迎える準備を呼びかけてくださっている
・・・・ 、それが今朝私たちが聞いている福音の使信です。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
敬虔なクリスチャンは喧嘩しない
510 :老クリスチャン[]:2017/12/07(木) 11:59:03.22 ID:0WT9XMAW
2005年(主日B年) 12月4日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11  IIペト 3:8〜14  マコ 1:1〜8

現代の教会がこの世の人々への福音の証言者としての役割を果たすためには、その福音が神からの福音、神のことばの福音、キリストの福音でなければなりません。
福音の土着化という耳当たりの良い表現で、もし使徒たちが伝えたのとは別な “日本的、あるいは東洋的キリスト教の再構築” を考えるなら、それは神が 「力を振るって声をあげよ」 「声をあげよ、恐れるな」(イザ v.9)と言っておられるものではあり得ません。
救済史に関わる宣教は 「主の口がこう宣言される」(イザ v.5)ことばの宣教であり、「見よ、主なる神」(イザ v.10)と指さすものなのです。

第二イザヤの冒頭のこのテキストは、神の救済史の完成を予告する大いなる慰めを、代々のキリスト者の心に与え続けて来ました。

「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。」(イザ v.1)

ルカ福音書2:25のシメオンのように、代々の敬虔なキリスト者たちは聖霊に導かれて、神の民の慰められるのを切に待ち望んでいたからです。
その同じ神からの慰めと、神の国の到来が近いという知らせを、今年もこのテキストから聞くことが出来る人は幸いです。
待降節第2主日は、神の約束から来る慰めの主日です。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
ローマカトリック教会20171102
304 :老クリスチャン[]:2017/12/07(木) 11:59:51.34 ID:0WT9XMAW
2002年(主日B年) 12月8日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11  IIペト 3:8〜14  マコ 1:1〜8

聖書は過去の歴史の中で語られ記録され編集されて出来た多くの文書群から成っています。
ですからこれを歴史書や文学書の一つとして味わったり研究したりすることが可能です。
事実今日の聖書学は、そのような多くの研究の成果によって大いに助けられて、非常に豊かなものになりました。
私たちキリスト者にとってもその恩恵は計り知れないほど大きなものです。

しかし私たちは聖書を、神が教会に与えてくださった書物であると信じているのです。
それは地上のあらゆる他の書物とは区別され、神から教会に与えられた聖なる書物群、すなわち “教会の書物” と考えられて来ました。
教会は聖書を、“これに付け加えることも、何かを取り去ることも禁じられた書物” として、受け入れて来たのです(黙 22:18-19、申 4:2)。

イザヤ40章は、イスラエルの民のバビロン捕囚期の終わり頃の無名の預言者の語った預言です。
ペルシアの王キュロスがバビロンを征服して捕囚の民を解放し、故郷の地への帰還がいよいよ実現するという息づまる期待の中で、この預言は語られました。
捕囚の民の帰還はイスラエルの神ヤーウェのエルサレムへの帰還であり、ヤーウェは羊飼いとしてその民を導いて行かれます。
その帰還のために荒野に道を備えよとの呼び声を、預言者は天から聞いたのでした。
神はこの預言者の言葉を、そのような目的のために用いられたのでした。
ローマカトリック教会20171102
305 :老クリスチャン[]:2017/12/07(木) 12:00:43.55 ID:0WT9XMAW
(つづき)
しかしこの預言者の言葉は、その時代の一つの記録に止まることなく、神はこれを再び、洗礼者ヨハネとその後に来る主イエス・キリストを指し示すために用いられます。
聖書が “教会の書物” であるとはそういうことです。
そして福音書に記録された洗礼者ヨハネの証しは、今再び神によって、キリストの再臨と神の国待望を教会に向かって語る “神のことば” として用いられて、待降節第2主日のミサに集まる私たちに語りかけているのです。

「見よ、あなたたちの神、見よ、主なる神。 彼は力を帯びて来られ ・・・・・ 」(イザ vv.9-10)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
キリスト教初心者です。いろいろ教えて
56 :老クリスチャン[]:2017/12/07(木) 12:01:38.16 ID:0WT9XMAW
2002年(主日B年) 12月8日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11  IIペト 3:8〜14  マコ 1:1〜8

「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(IIペト v.13)

私たちが生きている今の時代の精神にあえて反抗して、この聖書の言葉にアーメンと応えます。
私たちが待降節第2主日のミサを共にささげるとは、そういうことなのです。

教会が誕生して間もない頃から今日に至るまで、福音はいつも “別の福音(ガラ 1:7)” に置き換えられる危険と共にありました。
キリストの復活が否定されたり、キリストの再臨と神の国待望とはまるで別物の主題が主張されることによって、人々の目には本来の福音が見えなくなる事態が繰り返されて来ました。
「生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト」(IIテモ 4:1)とは結びつかないような “別の福音” が、現代の多くの信者たちを誘惑し続けています。

今朝の聖書の朗読を通して私たちに語っておられるのは神です。
聖霊はミサをささげる会衆一同に働いて、今朝の朗読を通して神のことばを聞かせてくださいます。

「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。 そうではなくて、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。 主の日は盗人のようにやって来ます。」(IIペト vv.9-10)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net
287 :老クリスチャン[]:2017/12/07(木) 12:03:01.61 ID:0WT9XMAW
2008年(主日B年) 12月7日 待降節第2主日
イザ 40:1-5,9-11  IIペト 3:8〜14  マコ 1:1〜8

ミサにおける聖書の朗読は、神からの 「慰めよ」 の呼びかけです。

「あなたたちの神は言われる。 エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。 罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。」(イザ vv.1-2)

神は、待降節第二主日のミサに集う私たちに、教会の贖いの日、神の国の到来の日の約束を語ってくださいます。
「彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。」(イザ v.10) だから 「主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」(イザ v.3)
待降節は、教会が 「主の栄光がこうして現れるのを」(イザ v.5)待つことを学ぶ、大切な期節なのです。

  感謝の典礼で一同が主の祈りを唱えると、それに副文が続きます。
  司祭  ・・・・・ わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。
  会衆  国と力と栄光は、限りなくあなたのもの。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
キリスト教初心者です。いろいろ教えて
57 :老クリスチャン[]:2017/12/07(木) 12:15:27.18 ID:0WT9XMAW
>>56 訂正
× 私たちが生きている今の時代の精神にあえて反抗して、この聖書の言葉にアーメンと応えます。
〇 私たちが生きている今の時代の精神にあえて反抗して、教会はこの聖書の言葉にアーメンと応えます。


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