- ■新設・真光関係者集まれ■ Part.5
392 :神も仏も名無しさん[]:2017/11/10(金) 14:07:24.11 ID:rdNwOd51 - >もうひとつは教団内に他人の霊層の高い低いを勝手に決めつけている奴がいるということ。
彼等が口にする霊層とは、想念の事です。 霊層が低いとは、アナタの考えは「真光の教えとは違いますよ」という意味が含まれています。 つまり、誰かが反論的な意見を言ったとしましょう。 それが教団に合わない時、教団の教えと異なるときに「霊層が低い」という言葉を使います。 例えば、教練の最中に指導教官の指示に、何らかの理由で従えなかったとしましょう。 その場合に、「霊層(想念)が低い」と言われたりしますね。 想いが足りない時、彼等のいう流れに乗れない時などが、「想念」という単語を使う絶好のタイミング。 実際に自分を含めた他人の霊層界など誰にも見えませんよ。 ただ、真光では、相手を貶めたい時に使うのです。 「神様のみ心に合っていませんよ」では、言い方が緩く優しすぎるので、厳しく相手を戒める時などに使います。 言われた方は気分悪いですよ。 相手に見下されたようで、バカにされたようで、身分?を低く見られたように感じます。 でも、それが狙いなので、効果的な言葉というわけ。 こんな言葉は組み手にしか伝わりません。 それに、教えでは「他人を裁くな」とあるので、それに代わる言葉として用いるのです。 ある意味、ダメ人間の烙印を押せるわけですから、裁かれる以上の効果があるわけ。 その言葉を組み手は日常的に効果的な場面で使います。 霊層昇華、霊層浄化などというみ歌の一節があり、そこから悪想念を持ったりするとき、「今、霊層が曇った」などと言います。 そもそも霊層を行ったり来たりして、曇ったり汚れたりするのなら、真光で手をかざしても意味はないって事ですよ。 人間の思考は、一日中同じで、四緑四十清らかなわけありませんもん。 黄の持ち方で気分が上がったり下がったりするように、霊層も上がったりさがったりするようです。
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