- カトリック [無断転載禁止]©2ch.net
80 :老クリスチャン[]:2017/07/28(金) 11:06:59.56 ID:OGiEfB6J - 2011年(主日A年) 7月24日 年間第17主日
王上 3:5〜12 ロマ 8:28〜30 マタ 13:44〜52 「天の国は次のようにたとえられる。 ・・・・・ 」(マタ v.44) この譬えを、海賊が宝物を隠すために埋めた畑の話のように考えてはなりません。 今日世界的な争奪戦が繰り広げられているレアアースの鉱床を新たに見つけた人の場合のように、理解しましょう。 高価な真珠の譬えも、次のように考えると良いでしょう。 愛知県の豊田市美術館で、現在二ヶ月半にわたるフェルメール展が開かれています。 フェルメールの絵は “地理学者” という題の小さな作品一枚だけで、これに同時代の多数の作品が一緒に展示されているに過ぎません。 彼は17世紀オランダの画家で、生前はあまり注目もされず、その後19世紀になって高く評価されるまでは忘れられた存在でした。 それが今ではたった一枚で、堂々フェルメール展なのです。 ですから、もし18世紀頃にでもある人が彼の作品の真価に目を留めて、その作品の一枚を自分にとって支払い可能な値段で入手していたとしたら、まさに高価な真珠の譬えのようではありませんか。 “憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし”(エフェ 2:4-5)、 “イエス・キリストによって神の子にしようと”(エフェ 1:5)罪と死の世界から贖い出してくださいました。 私は個人的には、未だに正式にカトリック教会の信者としては受け入れられず、ミサの交わりの儀では拝領に代わって司祭の祝福を受けていますが、“私は洗礼を受けている!” という高価な真珠を、何ものにも勝る宝として誇りにしています。 司祭の祝福が、どうしてそれ以外の何かを意味し得るでしょうか。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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- ローマカトリック教会20170328 [無断転載禁止]©2ch.net
523 :老クリスチャン[]:2017/07/28(金) 11:08:16.89 ID:OGiEfB6J - 2005年(主日A年) 7月24日 年間第17主日
王上 3:5〜12 ロマ 8:28〜30 マタ 13:44〜52 私たちキリスト者は、洗礼の秘蹟によって聖霊が支配される共同体に接ぎ木されました。 「霊に従って歩む者」(ロマ 8:5)は、キリストの霊である聖霊の思いを理解しなければなりません。 聖霊は 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たち( ・・・ が、神の国を相続するため)には、万事が益となるように共に働くということを」(ロマ v.28)、私たちは再び真面目に考えてみるべきなのです。 私たちが知っている20世紀の教会は、良い魚と悪い魚を共に大切にして共存させる、「天の国のことを学んだ学者」(マタ 13:52)に要求されている見分ける責任を放棄した教会ではなかったでしょうか。 それは一方では、“莫大な価値のある宝物” であるはずの受けた救いの恵みの大切さを見失わせ、他方では終末における神の審判(使 10:42, 17:31、IIテモ 4:1)を神話の世界に追いやって来ました。 神の国を受け継ぐのは切り離された個人ではなくて、キリストの体に接ぎ木された共同体としての教会でありますから(ルカ 12:32 参照)、 その共同体を 「キリスト・イエスの日までに」(フィリ 1:6) 「招きにふさわしいもの」(IIテサ 1:11)としてくださるようにと祈りましょう。 私たちの祈りが、私たち一人一人のキリスト者自らの奉献を伴った真実なものであるためには、自分の属する共同体への具体的な責任の自覚が必須であればこそ、 聖霊は 「万事が益となるように共に」(ロマ v.28)働いてくださるのですから。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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- 十十十 カトリック250 十十十 [無断転載禁止]©2ch.net
693 :老クリスチャン[]:2017/07/28(金) 11:09:26.42 ID:OGiEfB6J - 2005年(主日A年) 7月24日 年間第17主日
王上 3:5〜12 ロマ 8:28〜30 マタ 13:44〜52 ソロモンはイスラエルの歴史に残る偉大な王で、彼の時代に古代近東の文化が盛んに流入して、後のイスラエルの知恵文学の隆盛の起源となったと考えられています。 それでソロモンについての伝説が生まれ(王上 5:9-14)、やがて詩篇やコヘレトの言葉、雅歌、知恵の書、シラ書などの著者と見なされるようになりました。 イスラエルにおいて “知恵” がどのように理解されたかを、次のソロモンの祈りは典型的に示しています。 「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することが出来るように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(王上 v.9) 古代近東における近隣諸国の “知恵” が魔術的神話的性格の強いものであったのに対して、イスラエルの “知恵” は共同体の宗教的倫理的な面に関わる実際的・行動的・生活的なものでした。 現代のキリスト者にとって、キリストの体である教会を造り上げて行く “知恵” は、まさにこれでなければなりません。 良い魚と悪い魚を見分けること、「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる」(ロマ 12:2)のに必要なのは、この “知恵” なのです。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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- カトリック教徒が励まし合う場所3 [無断転載禁止]©2ch.net
649 :老クリスチャン[]:2017/07/28(金) 11:10:44.72 ID:OGiEfB6J - 2008年(主日A年) 7月27日 年間第17主日
王上 3:5,7〜12 ロマ 8:28〜30 マタ 13:44〜52 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ v.28) これは、何という驚くべき言葉でしょう。 それは聖霊によって新しく生まれた人(テト 3:5)だけが理解出来るものです。 なぜなら、聖霊によらなければだれも “イエスは主である” とは言えないし(Iコリ 12:3)、キリストにおける救済史の展開を信じることが出来ないからです(エフェ 1:3-7)。 キリストがその長子である神の国の相続人たちの共同体、それが聖霊に導かれている教会です。 この地上ではあらゆる種類と状態の人々が混在していて、神の審判による選択が今は保留されているとしても、神は救済史を確実にお進めになり、御自分の民を神の国にお集めになります。 歴史の教会は、その外見上の破れと悲惨にもかかわらず、「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように」 父なる神によって導かれているということを、私たちは信じてよいのです。 使徒たちの宣教が、この “福音の希望”(コロ 1:23)を私たちに確信させてくれます。 代々の教会は聖伝と聖書によって、この使徒たちの宣教を受け継いで来ました。 私たちの小教区のミサで、私たちの神父がこの “福音の希望” を力強く説教するように祈りましょう。 聖職位階にある人々は、そのために召されて(IIテモ 2:2)教会に奉仕している人たちだからです。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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