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343 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:23:04.67 ID:X4siE7s4 - >>340
マタイによる福音書/ 04章 10節 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」 ギリシャ語原文に『エホバ』は存在しない。 神である主である。 イエスも聖霊も神であり主である。 三位一体の神だけが唯一の神。 お前が最初から論破されている。
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- プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの? その2 [無断転載禁止]©2ch.net
361 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:28:06.62 ID:X4siE7s4 - >>353
マタイによる福音書/ 04章 10節 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」 ギリシャ語原文に『エホバ』は存在しない。 神である主である。 イエスも聖霊も神であり主である。 三位一体の神だけが唯一の神。 はい論破。
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344 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:40:56.45 ID:X4siE7s4 - タンムズの神に起源?
ものみの塔の出版物は、タンムズの神について、次のような論理を展開する。 バビロンのタンムズ神は十字架によって象徴された。キリスト教がシンボルとしている十字架は、そのタンムズの十字架と関わりがある。 だから、キリスト教の十字架は異教に由来し、偶像崇拝となる。 果たして、この主張は正当なのか。検証してみよう。 まず、協会出版物が、タンムズ神と十字架の間に深い関係があったとしている記述を紹介しよう。 例え ば、『ものみの塔』誌は、次のように述べている39。 「十字は、キリストが来る数世紀も前から、インド、中国、ペルシャ、エジプト、そしてもとよりバ ビロンの異教徒が使っていました。 直立の十字は、バビロニア人の神タンムズの象徴でした。 また古 代ローマにおいては、太陽神ソルのシンボルとしても使われました。この種の十字は、タンムズ神の 頭文字「T」の原形でした。」 39『ものみの塔』1964 年 10 月 1 日号、587 頁。 ここでは、タンムズ神がTという十字に象徴された、と断言している。 しかし、そう主張する根拠を挙げていない。重要なのは、歴史的な証拠である。 さらに、他の『ものみの塔』誌は、エゼキエル書 8 章 14 節に出てくるタンムズ神と十字架を結び付けて いる40。 「エホバの宮にすわり、バビロニアのバッカス、タンムズ神のために泣いた背教のユダヤ人の女にと って、十字架は神聖なる象徴であったに違いありません。 これらの女たちは、実際にはバビロンを建 設した強力な狩人ニムロデのために泣いていたのです。」 この『ものみの塔』誌の執筆者は、タンムズ神のために泣いた女にとって、「十字架は神聖なる象徴であ ったに違いありません」と推測している。 しかし、筆者の知る限り、エゼキエル書 8 章 14 節のタンムズ神 と十字架と結び付けて説明している注釈書は一冊もない。 タンムズ神が十字架と関係があったという歴史的証拠はない。 協会出版物の辞典、『洞察』や『聖書理解 の助け(Aid to Bible Understanding)』でさえ、「タンムズ」の項において、十字架との関わりは一言も 述べられていない。
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345 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:46:10.06 ID:X4siE7s4 - 協会が、十字架とタンムズ神とを結び付ける根拠として挙げる書物は、バインによる『新約聖書用語解 説辞典』である。
『目ざめよ!』は、次のように述べている41。 「新約聖書用語解説辞典はさらに明確に、十字架は『古代カルデアにその起源を有し、タンムズ神の 象徴(その名の最初の文字で、神秘的意味の付されたタウの形)として用いられた』と述べています。 ですから、十字架は明らかにキリスト教以前のものです。」 ここに指摘されている『新約聖書用語解説辞典』とは、むろん、バインの辞書のことである。 その辞書 が、十字架とタンムズ神とを関係づけていることは確かである。 しかし、残念ながら、バインは、そう主 張する根拠を提供していない。バインの辞書は、一般の読者のために解説したポピュラーな書物である。 従って、いつでも詳しい資料を提供しなければならないというわけではないが、一般に定説として認めら れていないことを記す場合には、その根拠を提示する必要がある。 上記のバインの主張はまさにこのケー スである。ところが、バインは一つの文献も挙げていない。
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350 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:53:23.78 ID:X4siE7s4 - タンムズ神とは無関係
筆者は、タンムズ神と十字架とを結び付ける歴史的資料を探している。残念ながら、今のところ、その両者を結び付ける歴史的証拠を確認できない。しかし、筆者がそう主張するだけでは、議論はかみ合わずに終わってしまう。 そこで、ものみの塔協会が主張するように、タンムズ神はTというシンボルによって表され、その形象は何らかの崇拝の対象となっていた、という仮説をとりあえず認め、議論を進めること にしよう。 もし、タンムズ神がTというシンボルによって表され、そのシンボルが崇拝されていた場合には、協会が説くように、キリスト教の十字架のシンボルとタンムズ神のシンボルとの間に、関係があったことになるのか。 そう考えるには無理がある。というのは、もし、キリスト教の十字架がタンムズ神と関係があったので あれば、キリスト教の十字架は、十字ではなく、Tの字の形でなければならない。 あるいは、Tの形から十字の形に変化した理由を説明する必要がある。 十字によって、タンムズの神を象徴したとは考えられないからである。 バインでさえ、タンムズ神はT字で表されたと述べている。 さらに、キリスト教に十字架が取り入れられていくプロセスの中で、タンムズ神への信仰がどのように 影響を与えたのかを歴史的資料によって説明しなければならない。 協会出版物は、コンスタンチヌス大帝 が太陽神の崇拝者であったことを述べているが、タンムズ神への信仰との関わりについては触れていない。 協会が、キリスト教とタンムズ神との関連性を主張する以上、協会には両者を結び付ける歴史的証拠を提 供する責任がある。 それは、むろん、コンスタンチヌス大帝であっても、彼以外の誰であってもかまわな い。 その証拠を示さない限り、キリスト教の十字架のシンボルをタンムズ神のT字形のシンボルと結び付 けて説明するのは、単なる空想にすぎず、説得力はまったくない。
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351 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:54:22.07 ID:X4siE7s4 - タンムズとは無関係。
これでこの点も論破済み。
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352 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:57:56.71 ID:X4siE7s4 - >>349
ユダヤ人はヘブライ語聖書のYHWHをアドナイ(主)と発音し、四文字だけでは名前ではなく単なるアルファベット四文字なので読めない。 つまり、翻訳時にはアドナイの訳語である主が正しい。 ギリシャ語本文のどの写本にもテトラグラマトンYHWHは存在しない。 つまり、主である。 この点でも論破済み。
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376 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 15:01:33.40 ID:X4siE7s4 - >>373
そのような結論にはならない。 ユダヤ人はヘブライ語聖書のYHWHをアドナイ(主)と発音し、四文字だけでは名前ではなく単なるアルファベット四文字なので読めない。 つまり、翻訳時にはアドナイの訳語である主が正しい。 ギリシャ語本文のどの写本にもテトラグラマトンYHWHは存在しない。 つまり、主である。
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419 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:38:17.51 ID:X4siE7s4 - >>414
> 聖霊は天使なんですか? 聖霊は、「三位一体の神」の位格の一つで、天使とは違うとされます。 キリスト教は一神教ですが、一つの神に三つの位格、父なる神・御子イエス・聖霊を信仰します。 これは、父と子と聖霊は互いに応答しあう関係性を持ちながら、三つの神ではなく、一つの神という意味です。この教義は三位一体(さんみいったい)と呼ばれ、人智を超えた奥義とされます。 このうち「聖霊」は、神の霊、創造する力、生命の与え主、真理を示す弁護者です。自ら啓示し・証しをし・呼び掛ける、固有の位格とされます。 一方、天使は、神ではなく、物質的な存在でないものの、神から創られた被造物の扱いです。 > 正教会で聖霊は天使だと教えている? 正教会でも、聖霊(正教会では聖神と訳します)と天使とは、別個と捉えられている。 https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1323963863 もちろん正教会でも、至聖三者として三位一体なる神を信じている。 日本正教会では"the Father"・"the Son"・"the Holy Spirit"に、「父・子・聖霊」ではなく「父・子・聖神゜(せいしん)」の訳語を用いる。 聖霊を天使などとは教えていないのだ。
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420 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:44:13.24 ID:X4siE7s4 - >>414
聖霊は父と子から発出する根拠は聖書である。 ヨハネ15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。 ヨハネ20:22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
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421 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:46:50.00 ID:X4siE7s4 - >>413
十字架を神として崇拝しているクリスチャンなど存在しない。 お守りとして機能しているという事は何ら証明されていない。
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422 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:53:37.94 ID:X4siE7s4 - たとえや類似点は、教義を完全に説明することはできないものの、三位一体に関して似ている点をわかりやすく説明するのには役立ちます。
基本的なレベルでは、他の人たちに証しをする上で助けになるのです。しかし、完全に正確な描写ではないので、博学な人との熱のこもったディスカッションやディベートにおいて三位一体の完全な真理を示すのには不十分です。 たとえは基本的なレベルでは役に立つのですが、限界があるのです。 しかし、完全に正確なたとえはないものの、また、三位一体のどんな説明によっても教義を完全に把握することはなくとも、三位一体が神からの理解力によって理解できないということではありません。 クリスチャン神学者ロバート・M・ボウマン・ジュニアが、限られた人間の頭で三位一体を理解するとはどんなことかを説明しており、私はその説明が気に入っています。 「三位一体は理解できないものと言うのは不正確であり、少なくとも誤解を招く可能性がある。三位一体を説く神学者は、三位一体が訳の分からない戯言だなどと言うつもりはない。 彼らの言わんとすることは、三位一体は、人間の限られた頭脳では完全には理解できないということである。 何かについて基本的に正しく理解することと、すべてを総合的、包括的、また完璧に理解することとの間には違いがある。他の多くの神学者はこの違いについて、 三位一体は理解(understand)されうる、つまり『意味をとらえる(apprehend)』ことはできるが、『しっかり把握する(comprehend)』ことはできない、と述べる」。[2]
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423 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:54:39.22 ID:X4siE7s4 - C・S・ルイスも、著書「Mere Christianity(邦題:キリスト教の精髄)」の中で三位一体について次のように述べています。
「神のレベルにおいても人格があるが、そこでは、神のレベルで生きていない私たちにとっては想像もできない新しい形でお互いに結合されている。 いわば神の次元においては、三つの人格でありながら一つの存在であるという、そんな存在が見えるのだ。・・・もちろん、そのような存在を完全に理解することはできない。 それは、私たちが空間の中に二次元までしか知覚できないように造られているとしたら、立方体というものを正しくイメージできないのと同じである。 「三位一体について考える時、それがあり得ない矛盾であるとか、ろくでもない算数(1+1+1=1)であるなどと考えるべきではない。 そう考えるということは、私たちが人間や人間関係を把握するのと同じ方法で神を把握できると考えていることになる。神は、ある程度、不可解な存在である。 何といっても、永遠なる創造主のことなのだから。
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