トップページ > 心と宗教 > 2017年07月25日 > KIpDn/8J

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神も仏も名無しさん
プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの? その2 [無断転載禁止]©2ch.net
エホバ病、よしおバンナいすらえる [無断転載禁止]©2ch.net

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プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの? その2 [無断転載禁止]©2ch.net
364 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:37:26.72 ID:KIpDn/8J
キチガイ
プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの? その2 [無断転載禁止]©2ch.net
365 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:38:25.02 ID:KIpDn/8J
何が論破だww

やっぱ何だかんだいって異教の慣わしがメインでイエスの指示された行いは一切行ってないことを認めたなw

やっぱクズだな。やってることと言ったら クリスマスや三位一体などの異教を正当化することと、他の宗教の批判ぐらいだもんな。

完全に滅びの道へまっしぐらだわw

女関係も若者に嫉妬し、宗教もデタラメだと明らかにされ、 もうわずかに残った余命を細々と生きてくしかないのね、、可哀想にwww
プロテスタントの分際でエホバの証人批判するとか馬鹿なの? その2 [無断転載禁止]©2ch.net
367 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:41:11.78 ID:KIpDn/8J
「三位一体」については、矛盾していると批判したところで、キリスト教徒から返ってくる答えは、信仰は理屈ではないと言い、キョドり始めます。

ひどい場合には、人間の理解を超えた神秘だから、矛盾だろうがなんだろうが黙って受け入れるしかない、と言い逃げ回ります。

そして、負け犬の遠吠えのように自己流のお粗末な理論で論破論破と吠えまくります。
エホバ病、よしおバンナいすらえる [無断転載禁止]©2ch.net
346 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:46:58.12 ID:KIpDn/8J
例えば、クリスマスだという12月25日は本来、太陽神であるバアルの誕生日として守られた季節である。
一年を通じて、弱くなった太陽が力を得るこの時期(冬至)を、バアルの誕生日と考慮したのだ。
また、復活祭(イースター)を英語ではEasterというが、実際には、この用語は、月の神として知られるIshtarという名前に由来したものである。
12月25日が太陽神であるバアルの誕生日であれば、復活祭がある4月中旬が、月の神イシュタルの誕生日だったということだ。
復活祭になると、教会で卵を配る風習があるが、実際にはこれも教会の伝統ではなく、 Ishtarが卵から誕生したというバビロンの神話に由来したものである。
カトリックのマリア崇拝も、まさにセミラミス、あるいはイシュタルに仕えたバビロン宗教から始まったのだ。
またマリアが赤ん坊のイエスを抱いている様子は、以下の図でも分かるように、セミラミスがタンムズを抱えているバビロンの宗教から持ってきたものである。
そのほかにも、バチカンで使用しているいくつかの建物と象徴の中で、今も難なくバビロン宗教の痕跡を見つけることができる。
エホバ病、よしおバンナいすらえる [無断転載禁止]©2ch.net
348 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 14:49:39.32 ID:KIpDn/8J
タンムズ神と十字架との関わりは否定できません。
「新約聖書用語解説辞典」にそのことが記載されています。
また、「天地の女王イナンナ」(1983年)という著書には、「古代シュメールには非常に多くの『死にゆく神々』がいた。
最もよく知られているのはドゥムジ、つまり聖書中のタンムズで、エルサレムの女たちはエゼキエルの時代になってもまだこの神のことを嘆き悲しんでいた。
本来、ドゥムジ神は死すべきシュメール(バビロン地方)の支配者だった」。という記述があります。
タンムズは太陽神ではありませんが、最初のバビロニア帝国の神々の万神殿には三つ組の神々が幾組か含まれるようになり、その一例に、月神シン、太陽神シャマシュと、タンムズの愛人もしくは配偶者である豊饒の女神イシュタルということのようです。
そして、バビロニア人とシリア人は、タンムズを植物の神と考えていました。
植物は雨の季節に生長して乾季に枯れます。植物が枯れることはタンムズの死に相当したようで、暑さの盛りの時期になるとその死を嘆きました。
雨の季節に植物が再度生長してくると、タンムズがあの世から戻って来たと考えられました。
エゼキエルの時代の女たちがないているのもその崇拝行為の由来からです。
元来、世界中の宗教の様々な教義の要素は直接的間接的に、紀元前20世紀以上前のメソポタミア文明の流れから継承されている古代のバビロンに由来しているので、三位一体や十字架なども名残として今でも連綿と受け継がれてきています。
ちなみに、十字架が取り入れられて年月がたつと、約400種類もの異なった形の十字架が登場しそうです。
初めのうちはキリストは含まれていなかったようですが、西暦7世紀終わりごろに、十字架上に若い男子の胸像をあしらった十字架が“公式”となりました。
やがてこれがキリストの彫像の付いた十字架へと発展しました。
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353 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 15:01:05.81 ID:KIpDn/8J
>>349
ちょっとしばらく離れるね。
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354 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 15:01:27.62 ID:KIpDn/8J
少なくともそれなりの人材がいるメジャーな教団では
三位一体がどうしようもない空論である事は十分に認識している事なので、メジャーな教団では三位一体を
放棄するのは時間の問題だと思います。
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413 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 22:48:44.49 ID:KIpDn/8J
>>411
自滅すんのはお前らだろw

いわゆる「信仰の時代」において、農夫たちは、キリスト教会側の人々が望んだほど、十字架に対してひたすら謙虚であったわけではなかったと思われる。
「呪われたる狩人たち」、あるいは「弓を射る魔術師たち」というある血盟団は、いつも、道端にある十字架をぶちこわしていた。
十字架に3本の矢を続けて射込むと、弓の手がすばらしくあがる、と信じていたからであった。
彼らは太古の狩猟の神が持っていた男根を表す三叉のほこと、キリストのシンボルである十字架とを、対比させたのであった。
point.gifTrident.。 
今日では、十字架は宝石品になることが多い。
太古の時代に十字架はなお守りの呪力があるとして用いられたが、今日、十字架が宝石品として用いられているといういうことは、太古の時代と全く変わらずにお守りとして機能しているということを証明しているようなものである。
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414 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 22:55:15.99 ID:KIpDn/8J
キリスト教の三位一体の解釈の違いがその原因です。
そもそもキリスト教は、ギリシャ世界で広がり、それがローマ帝国全体に広がりました。
キリスト教がローマ帝国の国教となったときに、キリスト教の定義として、三位一体の考え方が規定されました。

そこの公会議で使われた言葉がキリリシャ語であったため、ローマで使うラテン語に翻訳された際に、聖霊の出に関しての誤訳がありました。
本来は、「聖霊は父より出でて」となっているところが、「聖霊は父と子より出でて」となってしまいました。
このことにより、ローマ教会とコンスタンティノープル教会とで、三位一体に関する解釈が異なり、それが典礼の差につながり、しだいに乖離が大きくなり、修正が不可能になり分裂しました。
特にビザンツ皇帝レオ3世が出した、「偶像破壊令」が、両教会の決定的対立点となり、教皇レオ3世が、
フランク王国のカールを西ローマ皇帝に戴冠すると、政治的にも統一は不可能になりました。

そもそもローマ教会による三位一体に関する誤訳は、誤訳ではなく、意図的に行われたと考えざるをえません。
三位一体の考え方の違いにより、ネストリウス派、単性派などが異端とされていますが、それらの異端と、正教会では、
父=神
子=人間
聖霊=天使
三位一体=キリスト
と解釈されていますが、カトリックでは、
父=父なる神
子=子なる神(キリスト)
聖霊=神の意思(?)
三位一体=神
とわけのわからない解釈になっています。

(これは三位同体であっって三位一体ではありません)
これは、キリスト教がローマ周辺で、キリスト教の本質からずれた布教(キリストを神としてしまった)が原因で、本来のキリスト教の理念に戻れなくなってしまったために行われたとしか思えません。
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415 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:10:20.95 ID:KIpDn/8J
「三位一体の神・・・この神観は、確かにキリスト教に独特のものであるが、イエスは夢にだにこういう『展開』を考えたことはなかった。
こういう議論は、あの時代特有の文化史的背景のなかで、特定の意味を持っていたものにすぎず、それを実体化・永遠化・形而上学化することは、ほとんど迷信的であろう。」
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416 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:12:25.34 ID:KIpDn/8J
一部の神学者の頭でしか理解できない「三位一体」などというドグマが「啓示」から生じているはずはなく、人為的に作られたもの、一つの解釈に過ぎないということは明らかです。
もちろん、わかりやすければよいというわけではなく、「異端」とされた「三神説」または「様態説」なども「啓示」に根ざしているとは言えません。
「啓示」から導き出される「三・一」の関係とは、「正統」を自認する人々が、結局は「秘義」だの「神秘」だのと言って思考停止させる不可解な言説などではなく、
イエスという人が聖霊に満たされ、その送り主である創造主なる「神」を「父」(アッバ)と呼んで親しく交わり、その関係の中に人々を招き入れようと働かれた「神の国の福音」宣教から示される「神(父)、イエス(子)、聖霊」に尽きるのであり、
実に簡単明瞭、誰にでもわかることです。
そこに複雑怪奇な、「位格」(ヒュポスタシス/ペルソナ)だの「実体・本質」(ウーシア/スブスタンチア、エッセンチア)といった哲学的概念は無用なのです。
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418 :神も仏も名無しさん[]:2017/07/25(火) 23:38:00.85 ID:KIpDn/8J
「三位一体」の教義は、ほとんどのクリスチャンがわからないのです。
唯一の神に三つの位格があるなど簡単に言いますが、そのような定式だけ聞いてわかったふりをしているだけであって、具体的には理解できていません。
それでは信仰生活とはつながりません。
司祭や牧師も同じで、いかにもわかったようなつもりになっているだけで、突っ込んで問われたら結局、三神論や様態論のようになったり、従属説などと大差なくなるのです。
神学者と呼ばれる人々の中にもそういう人が少なくありません。
しかも、その理解できないことをもって三位一体の真理性だと主張した日には一般信者の現場を無視した暴論としか言えず、ただ驚き呆れるばかりです。


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