- エホバの証人とマイコン研究生ふざけるな1 [無断転載禁止]©2ch.net
503 :神も仏も名無しさん[]:2017/06/19(月) 14:58:28.13 ID:YdYxTfNx - 三位一体が示されています。
コリントの信徒への手紙二/ 13章 13節 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。 マタイによる福音書/ 28章 19節 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
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504 :神も仏も名無しさん[]:2017/06/19(月) 15:03:08.84 ID:YdYxTfNx - ヨハネ8章12節でイエスは、「わたしは世の光です」と、神性について言明されました。
旧約聖書では、「光」とは、常にYHWHである神の称号の一つでした。「わたしは世の光です」 " I am the light of the world " にも、「エゴー・エイミ」が含まれています。 続いて、イエスは19節でパリサイ人に対して「あなた方はわたしも、わたしの父も知りません」と論議の中で挑戦しておられます。 24節では「わたしが[その者]である(エゴー・エイミ)ことを信じないなら、あなた方は自分の罪のうちに死ぬことになるのです」と強調されます。 つまり、イエスの神性を認めないなら、裁きを被ることになると言われました。 当然のことながら、パリサイ人たちは25節で、「あなたは誰なのか」と尋ねました。イエスが返答なさった26節から29節の中には、死後に 「そのときあなたは方は、わたしが[その者]であり(エゴー・エイミ)を知るであろうと予告されました。 さらに、アブラハムの子孫としてのユダヤ人や、神の御子としてのやりとりが繰り広げられますが、それが、53節で再びユダヤ人が「あなたは自分が何者であると唱えるのか」と詰問している場面であることに注意する必要があります。 54節で、「人の姿でいた時、彼は自分を低くして」(フィリピ2:6-8、ヨハネ17:5)にあるように、ご自分が地上に来られた際、神の栄光を捨てておられる立場であると述べられました。 すなわち、ユダヤ人たちが知りたかったのは、「いつからイエスがおられるか」ではなく、「自分のことを何者であると思っているのか」ということでした。 そこで、58節で「エゴー・エイミ」(ἐγὼ εἰμί)つまり英語で "I am"(わたしはあるという者である)と神性を明確に立証されたのです。
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505 :神も仏も名無しさん[]:2017/06/19(月) 15:03:53.22 ID:YdYxTfNx - キリストは神
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506 :神も仏も名無しさん[]:2017/06/19(月) 15:12:51.60 ID:YdYxTfNx - キリスト以外に救いなし
★新約聖書 使途行伝 4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。 世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。
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507 :神も仏も名無しさん[]:2017/06/19(月) 15:25:19.67 ID:YdYxTfNx - 王国行間逐語訳聖書は、聖霊とエホバは同じであることを示している。 つまり、聖霊はエホバであり、エホバは聖霊であるということを示しているということではありませんか。
王国行間逐語訳聖書と「聖書から論じる」のギリシャ語文法の説明からは、 エホバは聖霊であり、聖霊はエホバだという結論に至ります。 使徒28:25の『……一方パウロは一言こう述べた。 「聖霊は預言者イザヤを通してあなた方の父祖たちに適切に語ったものです。」』という言葉は、 このことを裏付けているのではありませんか。 と言うのも、このあとの使徒28:26,27の言葉は、 イザヤ6:9,10の引用ですが、イザヤは6:8で「それから, わたしはエホバの声がこう言われるのを聞くようになった。…」と言って、エホバの声を聞いていたと証言しているのです。 このことは、更に、6:11に、『これに対して,わたしは言った, 「エホバよ,いつまでですか」と。』と言っているイザヤの言葉が書いてあるので、 間違いなく、 イザヤはエホバに向かっていてエホバの声を聞いていると思います。 でも、ルカは、パウロが、ここで語っていたのは聖霊だったと証言していると書いているのです。 イザヤは、エホバの声だったと言い、パウロは、語ったのは聖霊だったと言っているのですから、やはり、 聖霊とエホバは同じなのです。 つまり、エホバは聖霊であり、聖霊はエホバなのでした。
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508 :神も仏も名無しさん[]:2017/06/19(月) 15:27:15.63 ID:YdYxTfNx - 更に不思議なことは、実は、このイザヤの言葉は、ヨハネも引用しているのです。
そして、12:39,40に、 『39 彼らが信じることのできなかった理由については,イザヤがまたこう言った。 40 「彼は彼らの目を盲目にし,彼らの心をかたくなにした。彼らが自分の目で見,心で考えをつかみ,身を転じ, そしてわたしが彼らをいやす,ということがないためである」。』と言い、 続く41節で、 「イザヤは彼の栄光を見たのでこれらのことを述べ, 彼について語ったのである。」 ( は管理人による)と言っています。 さて、この「彼」というのは、誰のことでしょうか。 ヨハネ12章37節の最後から38節は、「……彼らが[イエス]に信仰を持たなかったので, 38 預言者イザヤの言ったこの言葉が成就した。……」 となっていて、 人々がイエスに信仰を持たなかったことを語っている文脈だということがわかる思います。 そして、42節には、「とはいえ,実際には,支配者たちでさえその多くの者が彼に信仰を持ったのである。 しかしパリサイ人たちのてまえ,[彼について]告白しようとはしなかった。……」 と書いてあって、 実際は、支配者たちの多くがイエスに信仰を持ちながらパリサイ人のてまえ信仰を告白しなかったと言っているので、 間違いなく、ここの「彼」はイエスではありませんか。 つまり、ヨハネは、エホバが語っておられた出来事を、 イザヤが見たのはイエスの栄光だったと証言しているのではありませんか。 イザヤは、確かに、エホバの前にいて、エホバの声を聞いていたのに、パウロは、それを聖霊が語ったと言い、 ヨハネは、それは、イエスだったと言っているのです。 聖書全体を考慮するなら神は三位一体なのです。
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