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534 :神も仏も名無しさん[sage]:2017/06/09(金) 00:08:49.96 ID:ta3yAZxq - >>530
自分で写すのに一巻五千円もするのかいw しかも漢文じゃ意味分らんだろうに。 1 仮に由て我法と説く。種々の相転ずること有り。彼は識の所変に依る。此が能変は唯三つのみなり。 2 謂わく異熟と思量と、及び了別境との識ぞ。初めは阿頼耶識なり、異熟なり一切種なり。 3 不可知の執受、処と了とあり。常に触と、作意と受と想と思と相応す。唯だ捨受のみなり。 4 是無覆無記なり。触等も亦た是の如し。恒に転ずること暴流の如し。阿羅漢の位に捨す。 5 次は第二の能変なり。是の識を末那と名けたり。彼に依て転じて彼を縁ず。思量するを性とも相とも為す。 6 四の煩悩と常に倶なり。謂わく我癡と我見と、併に我慢と我愛なり。及び余の触等と倶なり。 7 有覆無記に摂められ、所生に随って繋せらる。阿羅漢と滅定と、出世道とには有ること無し。 8 次は第三の能変なり。差別なること六種あり。境を了するを性とも相とも為す。善と不善と倶非となり。 9 此の心所は遍行と、別境と善と煩悩と、随煩悩と不定となり。皆三の相応す。 10 初の遍行とは触等なり。次の別境とは謂く欲と、勝解と念と定と慧なり。所縁の事不同なるをもってなり。 11 善とは謂く信と慚と愧と、無貪等の三根と、勤と安と不放逸と、行捨と及び不害とぞ。 12 煩悩とは謂く貪と瞋と、癡と慢と疑と悪見とぞ。随煩悩とは謂く忿と、恨と覆と悩と嫉と慳と、 13 誑と諂と害と驕と、無慚及び無愧と、掉挙と昏沈と、不信と併に懈怠と、 14 放逸と及び失念と、散乱と不正知となり。不定とは謂く悔と眠と、尋と伺とぞ二に各々二あり。 15 根本識に依止す。五識は縁に随て現ず。或ときは倶なり或ときは倶ならず。濤波の水に依るが如し。
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535 :神も仏も名無しさん[sage]:2017/06/09(金) 00:09:22.75 ID:ta3yAZxq - 16 意識は常に現起す。無想天に生まれたると。及び無心の二定と、睡眠と悶絶をば除く。
17 是の諸の識は転変して、分別たり所分別たり。此に由りて彼皆無し、故に一切唯識なり。 18 一切種識の、是の如く是の如く変ずるに由り。展転する力を以ての故に、彼彼の分別生ず。 19諸の業の習気と、二取の習気と倶なるに由て、前の異熟既に尽きぬれば、復た余の異熟を生ず。 20 彼彼の遍計に由て、種種の物を遍計す。此の遍計所執の、自性は所有無し。 21 依他起の自性の、分別は縁に生ぜらる。円成実は彼がうえに、常に前のを遠離せる性なり。 22 故に此れは依他と、異にも非ず不異にも非ず。無常等の性の如し、此を見ずして彼をみるものに非ず。 23 即ち此の三性に依て、彼の三無性を立つ。故に仏密意をもって、一切の法は性無しと説きたまふ。 24 初のには即ち相無性をいふ。次のには無自然の性をいふ。後のには前きの所執の我法を、遠離せるに由る性をいふ。 25 此は諸法の勝義なり。亦は即ち是真如なり。常如にして其性たるが故に、即ち唯識の実性なり。 26 及し識を起こして、唯識性に住せむと求めざるに至るまでは、二取の随眠に於て、猶未だ伏し滅すること能わず。 27 現前に少物を立てて、是唯識の性なりと謂えり。所得有るを以ての故に、実に唯識に在するには非ず。 28 若し時に所縁のうえに、智都て所有無くなんぬ。爾の時唯識に住す。二取の相を離れぬるが故に。 29 無得なり不思議なり。是出世間の智なり。二麁重を捨つるが故に、便ち転依を証得す。 30 此は即ち無漏界なり。不思議なり善なり常なり。安楽なり解脱身なり。大牟尼なるを法と名づく。
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541 :神も仏も名無しさん[sage]:2017/06/09(金) 00:16:24.14 ID:ta3yAZxq - 唯識三十頌(口語体)
1 我、法に関して様々に言語表現がなされているが、それはすべて識の変化したものにすぎない。 2 それらは、阿頼耶識と末那識と前五識である。阿頼耶識は阿頼耶識、異塾識、種子の蔵の識と三つの呼び名と、働きがある。 3 阿頼耶識は知覚されず、身体と環境世間を維持している。そして、心所としては、触、作意、受、想、思の作用を持つ。 4 阿頼耶識は心所と共に汚されておらず、暴流の様であり、阿羅漢になれば智に変化する。 5 二番目は末那識である、阿頼耶識に縁り、それを対象とする。常に自分という自性を思い続けている。 6 我癡、我見、我慢、我愛という四つの煩悩と常に一緒にある、また触などの心所も一緒である。 7 煩悩に染まっており、阿羅漢と滅塵定、初地以上の出世間の菩薩にはない。 8 つぎが第三の識であり、六つの対象に分けられる、対象を認識することが、六識の性質である。善(善いこと)、不善(煩悩にまみれたこと)、無記(どちらでもない)のいずれかである。 9 心所としては、遍行、別境、善、煩悩、随煩悩、不定がともない、三つの受が伴う。 10 始めの遍行は触などである、次の別境は欲、勝解、念、定、慧であり対象はそれぞれ異なる。 11 善とは、信、慚、愧、無貪等三根、勤、安、不放逸、行捨、不害である。 12 煩悩とは、貪、瞋、癡、慢、疑、悪見である。随煩とは忿、恨、覆、悩、嫉、慳、 13 誑、諂、害、驕、無慚無愧、掉挙、昏沈、不信、懈怠、 14 放逸、失念、散乱、不正知まで随煩悩。 不定とは、悔、眠、尋、伺、二つに各二である。 15 根本識に依止する、五識は縁に従って現じ、有る時は倶となり、あるときは倶とならず波が水に依るがごとくである。
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542 :神も仏も名無しさん[sage]:2017/06/09(金) 00:17:04.88 ID:ta3yAZxq - 16 意識は常に起っている、ただし無想天に生まれたときと無心の二定を修しているとき、睡眠時と悶絶したときは生じない。
17 このように諸識は転変して主観として分別し、分別されるところとなる、これであるから、一切はただ識の現れであり、世界の実体はない。 18 一切種識がこのように、このように変化することにより、展転する力を持っての故に数々の対象という分別が生じる。 19 業の習気と、二取の習気と倶なるによりて、前の異熟がつきれば、また次の異熟を生じる。 20 彼彼の遍計によって、種種の物を遍計する。この遍計所執の自性はあることなし。 21 依他起性の自性は、分別を縁として生じる。円成実性は常に前の二性から遠く隔たっている。 22 ゆえにこれは依他起性と異なるものでもないし異ならないものでもない、無常などの性のごとくである、これを見ずに彼をみるものには非ず。 23 すなわちは、この三性によりて、かの三無性が立てられる、ゆえに仏は秘密の教えである、一切法無性を説きたもう。 24 初めは相無性で、次に無自然の性をいう。後者は前者の所執の我、法を遠く離れているゆえの性をいう。 25 これは諸法の勝儀諦なり、すなわちこれは真如である、常にこのように性であるがゆえに、すなわち唯識の実性なり。 26 唯識性を求めようとする識を起こさず、二つの随眠をいまだ滅することができなければ、 27 目の前に小さいものを立てて、これを唯識性であると思う。このところは所得があるので真に唯識の住しているとはいえない。 28 もし、識に所得を得ることがなくなったとき、唯識の住み、二取の相を離れたのである。 29 無所得は不思議である、出世間の智である。二つの麁重を捨てるがゆえに、転依を証する。 30 これはすなわち無漏界である。常なる善の不思議である。安楽な解脱身である。釈尊の妙法である。
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548 :神も仏も名無しさん[sage]:2017/06/09(金) 00:30:45.86 ID:ta3yAZxq - >>545
唯識には難点があるんだよね。 それは、華厳経学畢竟の「常楽我浄」が理解できない謬見を起こしやすいって事。 これは空観を究める坐禅宗でも、究めすぎるとそれが執着になって同じ様に謬見を起こす。 一心三観はこの病を治すと聞く。 鎌倉仏教の流れを組む宗派は、大なり小なり叡山教学を引いてるから、ちゃんと学べばどこでも一心三観は取り込める。 ただ、正師に付けとは良く聞くが、その正師が病んでれば気付けない。 この病みを、学ぶ側は気付けない。 如何ともし難し。
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244 :神も仏も名無しさん[sage]:2017/06/09(金) 02:25:09.92 ID:ta3yAZxq - ブラフマン?
「業報有りて而も作者無し、此の陰滅し己わりて異陰相続す(第一義空経)」 鬼和尚、作者を立てたらそれは外道ですよ。 「差別をやめろ」も立派な差別です。 それが分からないなら、あなたは偽善者です。
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