- YHWH☆十字架☆ヤハウェ☆イエス・キリスト復活69 [無断転載禁止]©2ch.net
237 :CHRISTIAN.DINNER[]:2017/02/20(月) 16:07:35.60 ID:tPzmxB8a - だから、聖霊が言っているように、
「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、 荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、 あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。 あなたがたの先祖たちは、 そこでわたしを試みためし、 しかも、四十年の間わたしのわざを見たのである。 だから、わたしはその時代の人々に対して、 いきどおって言った、彼らの心は、いつも迷っており、 彼らは、わたしの道を認めなかった。 そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの安息に はいらせることはしない、と誓った」。
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238 :CHRISTIAN.DINNER[]:2017/02/20(月) 16:10:36.55 ID:tPzmxB8a - 「兄弟たちよ。
気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、 不信仰な悪い心をいだいて、 生ける神から離れ去る者があるかも知れない。 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、 心をかたくなにする者がないように、 「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、 わたしたちはキリストにあずかる者となるのです。 それについて、こう言われています、 「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、 あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。 すると、聞いたのにそむいたのは、だれであったのですか。 モーセに率いられて、エジプトから出て行った すべての人々ではなかったのですか。また、四十年の間、 神がいきどおられたのはだれに対してであったのですか。 罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに 対してではなかったのですか。 また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、 と誓われたのは、だれに向かってであったのですか。 不従順な者に向かってではなかったのですか。 こうして、彼らがはいることのできなかったのは、 不信仰のゆえであることがわかります。」
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239 :CHRISTIAN.DINNER[]:2017/02/20(月) 16:13:34.64 ID:tPzmxB8a - 「ですから、
神の安息にはいるべき約束が、 まだ存続しているにかかわらず、 万一にも、 はいりそこなう者が、あなたがたの 中から出ることがないように、注意しようではありませんか。 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも 福音が伝えられているのです。 しかし、その聞いた御言葉は、彼らには無益でした。 それが、聞いた者たちに、信仰によって 結びつけられなかったからです。 ところが、 わたしたち信じている者は、 安息にはいることができます。 それは、「わたしが怒って、彼らをわたしの安息に、 はいらせることはしないと、誓ったように」 と言われているとおりです。 しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていました。 すなわち、聖書のある箇所で、七日目のことについて、 「神は、七日目にすべてのわざをやめて休まれた」 と言われており、 またここで、 「彼らをわたしの安息に、はいらせることはしない」 と言われています。 そこで、 その安息にはいる機会が、人々になお残されている のであり、しかも、初めに福音を伝えられた人々は、 不従順のゆえに、はいることをしなかったのですから、 神は、あらためて、ある日を「きょう」として定め、 長く時がたってから、先に引用したとおり、 「きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、 かたくなにしてはいけない」とダビデをとおして言われたのです。
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240 :CHRISTIAN.DINNER・デザート[YHWHを褒め称えよ]:2017/02/20(月) 16:17:05.33 ID:tPzmxB8a - 「もしヨシュアが彼らを休ませていたとすれば、
神はあとになって、ほかの日のことについて 語られたはずはありません。 こういうわけで、 安息日の休みが、 神の民のために、まだ残されているのです。 なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざを やめて休まれたように、自分もわざを休んだからです。 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように 努力しようではありませんか。 そうでないと、 同じような不従順の悪例にならって、 落ちて行く者が出るかもしれない。 というのは、 神の言葉は生きていて、 力があり、 もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、 関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、 心の思いと志とを見分けることができるからです。 そして、神のみまえには、あらわでない被造物は ひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、 あらわにされています。この神に対して、 わたしたちは言い開きをしなくてはならないのです。」
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