- 不思議なキリスト教IX
148 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 00:04:20.56 ID:YU+9RYIw - >>145
イエスやクリスチャンには、それらが「一切」当てはまらないのは何故だろうw。 イエスは、空腹時に無花果の木に実のなっていないことにさえ腹を立て、木を呪い 枯らしたw。 イエスのこの「愛の欠如」は、その統合失調症の症状の一つとしての「疎通性 (他者の感情に対する活き活きとした反応・思いやり)の欠如、冷酷さ」によ るものである。 イエスが笑うと場面は、聖書にはない。 イエスは、神どころか、人間としての人格も、極めて低劣であった。
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151 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 00:21:04.68 ID:YU+9RYIw - >>146
>エロースか、フィリアか、アガペーか、ストルゲー 創造主が人間に与えた「愛」は、他者を土壇場で助けるための「肉体的 行動本能」だけです。それは、相手の窮状を目の当たりにした場合のみ 発生します。幸せな人、満ち足りた人には、不要なもの、余計なお節介、 ありがた迷惑、エゴの押し付け、に過ぎません。 その他はすべて、ギリシャ人が、労働は奴隷に任せ、だらしなく寝そべって 飲み食いしながらひたすら語り合った「人工愛」。それはなんと「小児愛」 「同性愛」でした。プラトン参照。 エロースに基づかない愛は、神が人間に与えた愛ではありません。人間の 「神になった積りの、観念の産物」に過ぎません。
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154 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 00:40:26.17 ID:YU+9RYIw - 「隣人愛の教え」と言われる「善きサマリア人の話」におけるイエスの真意は、
「サマリア人にかこつけて、自分の気に入らない祭司とレビ人とを非難すること」 でした。さもなければ、わざわざ彼等の名を挙げて彼等を悪人にする必要はなく、 単に「他の通行人たちは」とだけ言うべきでした。 彼等が「道の向こう側を大急ぎで通り抜けた」のは、彼等も、被害者のことを 気にしていたが、行かなければならないよんどころない必要があったのではないか、 ということくらいは、イエスは考えるべきでした。 また、イエスはサマリア人に対して、特別の関係と好意を有していました(「サ マリア人の女の話」参照。 イエスからこの話を聞かされた律法学者は、何の反論もしませんでした。「当 たり前のことを言うな」という気持ちだったのでしょう。 このように、イエスの殆どすべての「教え」なるものは、「自分の気に入らない者 に対する憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、看破することが 必要です。
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156 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 00:50:40.11 ID:YU+9RYIw - >>153
>一方は獣的。一方は人間的。 人間は、獣の一種に過ぎないことを忘れているのではないか。動物分類を参照 されたし。獣は、生存に無関係な「架空の神」のために殺しあったり、争いあ ったりするほど、愚かではない。この意味で、宗教者は「犬猫にも劣る」。 魚釣り場で、幼い子が、吊り上げられてもがき苦しむ魚を見て「可哀想」と 言った言葉が、今でも記憶に残っている。
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158 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 01:00:21.60 ID:YU+9RYIw - >>157
旧約聖書では、「(聖)霊」とは、創造時に神が人間に吹き込んだ「生命」の こと。それを、「どこか人間の外部から、鳩のように舞い降りてくるもの」など と「捏造して冒涜した」のが、イエスであり、クリスチャンである。 「聖霊を冒涜する者は、永遠に赦されない」(by イエス)。
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160 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 01:05:35.34 ID:YU+9RYIw - すでに述べたように、イエスの「教え」なるものは、「創造(あるがままのす
べての人間と自然)」の視点からはすべて誤りであるから、信じるべきものでは ない。例は、その他にも無数ある。
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165 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 01:18:03.56 ID:YU+9RYIw - >>161
生命は、常に、肉体という神殿のみに宿り、肉体と生死をともにする。 睡眠中でも、心臓は鼓動し、血液は全身を流れている。しかし、死ねば 鼓動も血流も止まり、肉体は腐敗する。感覚器官も、思考器官も、 記憶器官も、すべて灰になるか、腐敗するので、死者にとっては、この 全宇宙が無となる。 イエスの言った「永遠の生命」などない。彼の「生命の軽視・否定」を 証明する言葉。
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170 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 01:24:35.77 ID:YU+9RYIw - >>163
生命に疑問があれば、死んで試してみればよい。絶対に死ねないだろw。 それが「生存本能(生命)」というものだ。 生命は、自他の死を恐れる。そこから「他者への思いやり」「愛」が発生する。
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174 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 01:33:47.60 ID:YU+9RYIw - >>152
>人は経験してないことは語れません(語ったとしても、それは推測や >憶測や想像や伝聞などになる)から、 すべてのクリスチャンは、自分で経験していないことを、大昔の一握り の人間が書いた聖書だけからの推測・憶測・想像・伝聞で語っています。 真実であることの保証は「皆無」です。
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177 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 01:45:59.32 ID:YU+9RYIw - クリスチャンの方は、誤りや矛盾がないと思うイエスの「教え」が、唯の
一つでもあれば上げてみてください。一発で反論が可能です。 イエスの「教え」は、すべて彼の「我のみ良しの思い上がった独善性」 「人間差別」「自分の気に入らない人間に対する憎悪・非難・排斥」「論理 矛盾」「創造(あるがままのすべての人間と、その生命を支える自然)に 対する畏敬の欠如」に基づいているからです。 その統合失調症の症状としての「誇大妄想」から、「自分が神になりたい、 なった積りの」イエスにとって、実は創造主(神)が邪魔で、憎くてたまら なかったのです。
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179 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 02:06:40.64 ID:YU+9RYIw - >>178
>より偉大な人間はより小さい人間を包含する。 >大は小を兼ねる。 それがイエスや君らの最大の誤りと勘違い。生命には大小はない。「 すべての 人間は、生命において等価・至上である」。
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184 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 02:18:57.27 ID:YU+9RYIw - キリスト教とは、イエスの統合失調症の集団的一大感染という「精神医学的
現象」以外の何物でもない。精神病が患者に接するものに感染することは、 現代の精神医学の定説。「感応精神病」「二人組精神病(folie a deux)」 などと呼ばれる。当時は精神医学がなかったので、分らなかっただけ。 イエスが精神病であったことは、聖書でも、イエスを身近によく知る家族、 郷里の人々、仲間のユダヤ教徒たちが証言している。イエスも「郷里では 奇跡が行なえない」とぼやいている。ネタがばれていたからである。 知らぬは無知な信者だけ。
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193 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 02:41:05.44 ID:YU+9RYIw - >>187
それが、キリスト教が狂気である所以。 殺されても、架空の神や大昔の赤の他人のイエスを捨て切れなかった 殉教者たち。本当の神は、「私を捨てて生き延びよ」と絶えず語りかけて いたはずだが、イエスで狂わされた彼等には、その神の声が聞こえなかった のである。 信者たちが火あぶりにされ、ライオンに食わされているのに、ただ祈る だけで何もできなかったパウロ。 体を張って助けようとしたのは、未信者の若者だった(映画のシーン より)。
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201 :神も仏も名無しさん[]:2012/08/29(水) 03:00:02.81 ID:YU+9RYIw - >>196
すべての批判を、荒しとしか受け取れない、被害妄想のクリスチャンたち。 聖書などという何の根拠もないものだけを信じているため、常に不安に 怯えている。少しでも正当化の言葉があると、藁をも掴む思いですがりつく。 「Memento mori(死を忘れるな)」と絶えず口走りながら歩いている修道士 たち。「生きている」より、「もはや死んでいる」姿である。
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